138 / たゆたう
定年退職を機に、亡き父の田舎である東北地方へUターンを決めた。
それが3年前のことだ。
最初の一年は、新生活にわくわくしたり、どっと疲れたり、した。
二年が経つころ、俺は一匹の犬を飼った。
早くに妻を亡くし、それ以来さしたる恋愛もせずにこの歳まできてしまったため、ひとりには慣れていたものの、そうは言ってもなんとなく、そろそろ相棒が欲しいと思っていた頃だった。
愛犬の名はラフ。
油絵の裸婦像を好んでいた妻を思い出して名付けた。
俺の一日はラフの散歩で始まる。
ラフに連れられ近所を一周した後、洗濯機の中から洗い上がりの洗濯物を取り出し、ベランダに丁寧に干してゆく。丁寧に、丁寧に、干してゆく。
その後、トーストとジャムというシンプルな朝食をとり、自室のパソコンでニュースをチェックして、腹がこなれた頃に外出し、数km離れたスポーツジムへと車を飛ばす。
午前中、ジムでしっかり汗を流したら、帰り道にあるカフェレストランで昼食だ。
今日のメニューはカレーライス。
車内で少し眠ったら、海を見に行く。
車で小一時間ほどいった先にある日本海は、ときに荒々しく、ときに穏やかに、俺を出迎えてくれる。
心行くまで水面を眺めたあとは、自宅に戻り、静かに読書だ。
老眼がひどくて、大きな文字の本しか読めなくなって久しいが、最近では文字の大きさを自由に変更できる電子書籍をタブレットで読むということを覚えた。
読書に飽きるか、同じ姿勢でいることに疲れてきたら、本を閉じて、ラフと午後の散歩に出かける。
帰宅して、まだ外が明るかったら、映画を一本見るか、アニメやドラマを数話鑑賞する。
日が暮れる前に洗濯物を取り込み、夕食の買い出しへ行く。
スーパーですれ違う人々に思いをいたしつつ、その中の一人であることを悦び、内心お祭り気分で買い物を楽しむ。
自宅に戻り、キッチンに立つ。
俺はこれでも若い頃から料理はうまい方で、妻にはよく褒められたものだった。
今日も妻を思い出しながら、じゃれついてくるラフをいなしつつ、ひとりキッチンに立つ。
ラフとふたりで夕食を摂ったら、行きつけのバーへ向かう。
ドアのカウベルが、からんと鳴る。
いつものカウンター席に座り、いつもの酒を頼む。
多くは飲まない。
たった一杯だけ、頼む。
「今日はどんな一日でしたか」
バーテンの磯貝さんがかけてくれるその言葉を、今日も静かに、待つ。




