103 / 小瀑布の一滴
休みをとって、今年33歳になる娘といっしょに、滝を見に来た。
この滝は「竜頭の滝」といって、日光の有名なものとは比べものにならないくらい小さいのだが、それでも数十メートルの高さはあって、もちろん水も流れていて、立派に滝の形をしている。
なぜ今日、この滝を見に来たのかというと、私の定年を前にして、ちょっと一休みして自然に触れたかったためだ。
私ひとりでも平気だったが、一人で行くのは危ないからと、娘まで休みを取ってこうしてついてきてくれた。
この滝は地元の山奥にある滝で、地元では有名だが、ひとたび県外に出ると誰も知らないといった程度のものである。
そのため、今日だって私と娘以外に観光客はおらず、私たちは滝という非日常を前に二人してテンションが高まり、女ふたりキャッキャとはしゃいでスマホをかざして写真を撮ったりした。
私は、あまりにも滝に近づきすぎたため、大量の水しぶきが顔にかかり、その冷たさにますますはしゃいで娘を笑わせた。
「そろそろ、お昼にしようか」
どちらからともなくそう口にして、私たちは滝が臨める小高い岩の上に陣取り、持ってきたお弁当に箸をつけはじめた。
おなかもいっぱいになって、ぼんやりと滝を眺めていて、ふと、人生とは滝のようなものかもしれない、と思った。
一瞬で落ちてゆく水そのものが、私たちの人生なのだ。
落ちてゆく、その一瞬のうちに、必死にもがいて何事かを成す。
最後にはみんなまとめて「歴史」という名の、くらい滝つぼに飲まれてゆく――。
そう思えば多少適当に生きたって、どうせ最後には死んでしまうのだから、いいじゃないか、という気がしてくる。
けれど、律儀な私は、目の前に人がいればにこやかに対応するし、困っている人がいればとりあえず声をかける。
仕事は義務とは思わずに趣味などの延長と考えていて、責任感を持ちながら日々楽しくこなせており、幸いにもそれで結果も出せていて、定年後も働いてくれと声をかけられている。
そんな私の人生は、未来において、いや、今このとき、他人の感性に刺激を与える一滴になりえるのだろうか。
まさにさきほど私の頬にかかった、ひんやり冷たく感じられた、あの一滴のように。
「お母さん、定年後も働こうかな」
滝を眺めながら、気づけばそんなことを口にしていた。
娘は、「いいんじゃない?お母さんの好きにすれば」と言って笑顔でこたえてくれた。




