126 / ふれあう髭
「ヒロくんじゃない!いらっしゃーい!」
夜のネオン街の片隅にあるそのバーは、名を「エスペランサ」という。
「ずいぶんとご無沙汰だったじゃない。元気してた?」
まだ開店直後ということもあり、店内に客は俺だけ、カウンターの中では若い子たちがせっせとグラスを磨いたり酒瓶を並べたりしている。
「元気です。ママもお元気そうで何より」
俺はカウンターの一番奥に腰掛けると、「霧島、ロックで」といつものやつを注文する。
ママは「はぁい」と言って、さりげなく灰皿とコースターを俺の前に差し出す。
俺が煙草を取り出すと、ママはすかさずライターを持った両手を近づけてくる。
しゅぼ、という音とともに、火がついて、細い煙が天井へと吸い込まれてゆく。
「ヒロ君がいないあいだに、新しい子、入ったんですよ?おいでリリー!」
リリーと呼ばれた子は、まだあどけなさの残る、若い男の子だった。
ママのように化粧はしておらず、その辺の大学生をそのまま連れて来たような恰好をしている。
「おや、ずいぶんと若い子じゃない」
俺はリリーに向かい、にこりと笑ってみせる。
「はじめまして」
リリーは俺と目を合わせると、気恥ずかしそうに礼をした。
「見た目完全にノンケ。ヒロくんと一緒。うける」
ママはそう言ってリリーの肩をばしばし叩いてみせた。
それが、俺とパートナーとの出会いだった。
俺とリリー、もとい、木下健司は、それから一年後に同棲をはじめた。
今では近所でも噂のカップルとなっている。
「あのさ、妹が健司にも会いたいんだって。いい?」
キッチンで二人分の卵焼きを作りながら、俺は背後をうかがう。
「いいよー。どうせかわいいんでしょ。ヒロくんに似て。なんか嫉妬しちゃう」
健司はそう言うと、くわえていた煙草を指でつまみ差し出してくる。
「はは、出てるぞ、『リリー』が。まだ昨夜の酒が残ってるんじゃないのか?」
俺はそれを唇でもらいうけると、卵を1回、2回とひっくり返す。
「やだ、それはいつものことじゃない」
リリーはそう言って俺の頬にキスをする。
「おい、煙草」
俺は口から落ちそうになったものを灰皿替わりの空き缶にねじこむと、まだ頬にあるリリーの唇に自分の唇を重ねた。
「あらご馳走様」
リリーはそう言うとくしゃりと笑った。
俺たちは唇を離すと、いつものように顔と顔をすり合わせ始めた。
互いの頬の、まだ剃られていない顎髭のこすれ合うわずかな音が耳に届いてこそばゆい。




