115 / サブと詩集
まだ五月だというのに三十度を超える日が続いている。
たまらず、綾子は昨晩、ついにクーラーをつけた。
元々汗をかきづらい体質で、体の内に熱がこもる綾子である。
夜は二十五度を記録していたが、クーラーの温度設定を二十四度にして、思う存分その心地よさに酔いしれた。
ふと、両親が生きていた頃に、同じことをして怒られた記憶が蘇る。
あれはまだ、確か、私が四十代前半であったか。
実家暮らしだった綾子が自分の部屋でクーラーを入れていると、母が「切りなさい!まだ早いわよ!」と怒鳴り込んできたのだった。
普通に汗をかくことができて、真夏でもクーラーをつけたがらない母のことを、その点においてのみではあったが、綾子は心底嫌っていた。
母は、元看護士であった。
元看護士であれば、私の体質に対して想像力を働かせてくれでもいいだろうに、と、綾子はそのたびに思うのだった。
父が死に、母が死に、独身だった綾子はそのまま一人暮らしをすることとなった。
そんな綾子も、もう高齢者と呼ばれる年代に突入した。
「おいで、サブ」
今では愛犬のサブと二人暮らしである。
綾子は愛犬を抱きかかえると、くん、とそのおなかのにおいをかいだ。
「生きものの、においがするのよね、あなた」
綾子はそう言って、二回、三回とサブのおなかに顔をうずめる。
生きているということ
いま、いきているということ――
そんな詩があったな、なんて思い出す。
綾子はサブを床におろすと壁にそびえたつ本棚へと向かった。
そこには、今までの人生でちびちびと買い集めてきた沢山の本が並んでいる。
その中から、さきほどの詩の書かれた一冊を取り出す。
「おいで、サブ。読んであげる」
風通しのよい、日の当たる場所に椅子を持っていき、そこに深々と腰掛け、綾子は本を開く。
「生きているということ
今、生きているということ――」
足元のサブは、綾子の声に耳をそばだてて、いつまでもいつまでも尻尾を振っているのだった。




