92_長命種の憂鬱
「ビョルンさん!朝ですよっ!というかもう昼!」
「ぐぅ……」
「起・き・な・さ・いッ!」
宿屋のベッドで毛布に包まっている大男の腕を引っ張るが、現代日本人女性の平均の身体ではビクともしない。
「エルフって、もっとスマートで、シャッキリしてるもんだと思ってましたよ」
私が苦言を漏らすと、ビョルンさんは振り返ってじとりと見上げてくる。ライムグリーンの目には、まだ眠気が残っていた。
「一日くらい働かなくとも死にはしない」
「そりゃ何百年も生きているような種族にとっちゃ、一日なんてちょっとした時間なのかもしれませんけどね。私たち人間にとって一日は貴重なんですよ」
私のお説教が効いたのか、ビョルンさんは渋々毛布から這い出てきた。寝癖だらけでしわくちゃの欠伸をする姿は、気高いエルフとは程遠い。
「ほら、もう。せめて寝癖は整えてください。ビジネスパートナーがそれだと、私の立つ瀬がありませんよ」
私はビョルンさんの後ろに回って、彼のパサパサで小麦のような髪に櫛を通す。が、乱れた髪はすぐに櫛に引っかかってしまった。
「そういえば、この宿屋さんのお隣はお風呂屋さんだそうですよ。行ってみます?」
「……あのな」
ビョルンさんは呆れたように言う。
「一般的に、宿屋付近の風呂屋は娼館を指す」
「しょ……!?」
朝から口に出すには相応しくない言葉に、声がひっくり返った。心做しか、頬も熱い気がする。そんな私の反応が気に入ったのか、ビョルンさんは少し耳をあげた。
「しかも壁の外の娼館には非合法のものが多い。近付かないのが吉だ。覚えておけ、小娘」
揶揄うような声音に、私はムッとして返す。櫛を持つ手にも力を込めてやった。
「小娘小娘って言いますけどねぇ。長命種のあなたから見たら、この辺の人全員小僧と小娘でしょ」
ガシガシと乱暴に髪を梳かすと、ビョルンさんは心底迷惑そうな顔をする。これくらい力を込めないと、頑固なくせっ毛は元に戻らないのだ。
「お前ほど面倒な小娘が、そうそういてたまるか」
「エルフほど長く生きていたら、何人かは会うんじゃないですか?」
私はビョルンさんの髪を梳かしながら、自分でも驚くほど不貞腐れた声を出す。年甲斐もなく拗ねたような声だった。
「少なくとも、お前のことは忘れられまい」
ビョルンさんは間延びした声で言う。あくびを噛み殺しながら、面倒くさそうに。
しかし、その言葉はなんとなく私にとってはとても意味のある言葉のように感じた。これから先何百年も生きるであろう彼に、こんな風に言ってもらえるとは思わなかったから。
「じゃ、せいぜい忘れられないようにしてやりますよ」
私は照れくささを隠すように、思い切り櫛を引っ張った。
「……っ! おい、禿げたらどうする」
「あはは! ポーションでなんとかしてください」
「毛生え薬ポーションを自作しろというのか」
鼻息荒く怒るビョルンさんの背中を見ながら、私は笑った。彼が私を思い出す時、この「ちょっと痛い」感触まで一緒に思い出してくれればいい。
そんなことを考えながら。
「まだ怒ってるんですか?髪を引っ張ったこと」
「別に」
私の問いかけに、ぶすっとしたまま答えるビョルンさん。怒っているのも隠そうとはしない。
私とビョルンさんは黙々と街道を歩く。この道の殆どは畑に続いていて、家畜たちがのんびりと歩いている景色がよく見える。しかし、そんなのどかな景色とは裏腹に、ビョルンさんの機嫌は悪い。
仕方ない。今日の夕ご飯はお肉にしてあげよう。
「そういえば、ビョルンさんの好きな食べ物ってなんなんですか?」
「肉」
「や、それは知ってますけど」
ぶっきらぼうな返事に、私は思わずツッコミを返す。
「肉って言ったって色々あるでしょ? ステーキだとか、煮込み料理だとか。これまで食べた中でのお気に入りとか」
「そんなもの、いちいち覚えてない」
ピシャリと言われた言葉に返事が思いつかずに、こちらも黙ってしまった。そんな私にばつが悪くなったのか、ビョルンさんはため息をついて肩をすくめる。
「昨日の晩飯だって覚えていないんだが」
「嘘でしょ? 昨日の晩御飯はクックホッパー(鶏)の煮込み料理ですよ。野菜たっぷりの」
「忘れた」
と、言いつつ顔には嫌そうな色が浮かんでいる。野菜だらけのスープを見つめていた時と同じ顔だ。
「覚えてるじゃないてますか」
「さぁな」
私が揶揄うように言うと、フン、と鼻を鳴らすビョルンさん。彼の歩みが少し早くなる。その後ろ姿を小走りで追いかけて、隣に並んだ。
「エルフの記憶力は、そんなに悪くないでしょうに」
「飯の献立に割く時間などない」
「頑なに認めませんね」
ビョルンさんの顔を覗き込むと、ライムグリーンの瞳がこちらを静かに見つめる。面倒くさそうで突き放すような言葉とは裏腹に、その目にはどこか哀愁が漂っていた。
そこで私はようやく気づく。長い時を生きるエルフにとって記憶とは膨大なもので、その記憶が決して楽しいものばかりではないということに。
「ごめんなさい。ビョルンさん、その、私……」
無意識とはいえ、無神経に彼のことを傷つけてしまったことで自己嫌悪に蝕まれる。私が足を止めて俯くと、ビョルンさんは少し驚いたように立ち止まった。そして私の考えを悟ったのか、ビョルンさんは『やっと気づいたか』とでも言いたげに腰に手を当てた。
「我々の生きる時間は大きく異なる。その違い故、短命種に対理解は求めない」
「でも、そんなの……寂しいですよ」
ビョルンさんは私の方に歩いてくると、困ったように頭をボリボリとかいた。そして。
「ふぎゃ!」
ゴツン、と私の頭に軽く拳を乗せる。痛くは無いけど、急な衝撃に私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「なにするんですかっ!?」
「少なくとも」
ビョルンさんの声は、先程と違って少し優しい丸みを帯びている。顔をあげると、澄み渡った朝の空と、風に揺れる小麦のような髪が見えた。
ビョルンさんが私の顔を覗き込むように、少し視線を下げている。私はその宝石のようなライムグリーンの瞳に、思わず息を飲んだ。
「俺に対してくだらん問答を求めるのは、お前が初めてだ」
ふっと、笑った気配がする。
「長命種に忘れられたくなければ、せいぜい役に立つことだな」
もう一度、ゴツンと頭を叩いたあとビョルンさんはスタスタと歩いていってしまった。
その言葉には、彼なりの気遣いと優しさが詰まっている。その言葉がどれ程の重みを持つのかも、分かっているつもりだ。
きっとビョルンさんにとって、私と過ごす時間なんて一瞬の出来事のことだろう。それでも彼は、少しでも覚えていようとしてくれている。
遠くを見ていた彼の瞳には、彼なりの、これまで出会ってきたであろう人達への最大限の愛情が詰まっていた。その情の一欠片を私にも分け与えてくれる。その事実に、胸が熱くなった。
私たちの道は、まだしばらく続く。だけどいつかは、終わりが来てしまうのだろう。だから、それまでの一日一日を、少しずつ大切に積み上げていくのだ。
「私だって。あなたみたいなイジワルな人、忘れたくても忘れられませんからっ!」
大きな背中にそう叫んで、私は先を行くビョルンさんの背中を追いかけた。
そして迎えた翌日の朝。
「おはようございます、ビョルンさん」
「ぐぅ……」
窓の外のお日様が、高く登っている。ベッドで冬眠中の熊みたいに丸くなっていエルフを見下ろして、私はまた大きなため息をついた。
昨日、少しは優しくしてあげようと思ったのに。
前言撤回だ。この寝坊助エルフには、お灸を据えでやる。
「起きなさーいッ!」
私は大声でそう叫んで、ビョルンさんの毛布を引っ掴んだのだった。




