91_トロールの小指
商業都市ルーンデールから漁業都市ポルタ・サレまでの道中には、いくつか集落がある。壁に囲まれていない小さな村にも、この世界の人々と生活が息づいていた。
「今日の売上も、それなりですね」
「あぁ」
夕方、広場で露店を開いていた私たちは店仕舞いをしながら話す。背負子にポーションや薬草を片付けている間、ビョルンさんは静かに今日の売上を数えていた。
するとどこからか軽快なベルが鳴って、1人の大きなカゴを持った女性が広場に現れた。その女性に向かって遊んでいた子供たちがわらわらと群がり始める。
「おばちゃん、ちょうだい!」
「はいはい、順番ね」
子供たちは口々に騒ぎながら銅貨を女性に渡して、小さな紙袋を受け取っていた。
「あれ、なんでしょう?」
ビョルンさんに尋ねると、彼は視線を硬貨から外さずに答えてくれた。
「ただの物売りだ。おおかた、『トロールの小指』でも売ってるんだろう」
「と、トロールの小指……!?」
思いもよらない単語に、私の声は裏返った。その声にようやくビョルンさんは視線を上げて、私を見た。
「食ったことがなかったか」
「な、ないですよ!すくなくとも、私の故郷にはなかった文化です」
私の返事に、ビョルンさんは少し思案するように無精髭を撫でる。そして視線を女性と子供たちに移して、何を思ったのかずんずんと歩いていってしまった。
いきなり現れた大男に、子供たちは蜘蛛の子を散らしたように走り去ってしまったけれど、ビョルンさんは気にすることなく女性に銅貨を数枚渡していた。
「ん」
戻ってきたビョルンさんは、小さな紙袋の封を開けて私に差し出してくる。その紙袋の中に『トロールの小指』が入っていることは明らかだ。警戒するように紙袋とビョルンさんの顔を見比べると、ビョルンさんは『はやくしろ』とばかりに顎をしゃくった。
「い、いただき、ます」
私は恐る恐る紙袋の中に手を伸ばす。そしてその中のひとつ、細長い何かを摘んだ。固くて、ゴツゴツした何かを。
「これが……『トロールの小指』?」
取り出したのは、白い粉をまぶした、茶色くて、細長い枝のような物体だった。トロールなんて見た事がないけれど、大きな身体の小指であると言われたら説得力がある。
「食べるんですか、これ」
「当然だ。食い物として売られているんだからな」
信じられないものを見る顔でビョルンさんを見上げると、彼はさも当然とでも言うように軽く頷く。
そして彼は紙袋から1本の指を取って、ひょいと口に放りこんだ。
「……ん」
「お、おいしい、ですか?」
バリバリ、ガリ、ボキン。そんな大きな音を立てながらビョルンさんはそれを咀嚼していた。エルフだから、そういうのにも抵抗がないのかな。
「食わんのか」
ビョルンさんの耳が残念そうに、へなっと下がる。そんな殊勝な顔をされて、断るわけにもいかない。
ここで食べなきゃ、女が廃る。私は決心して、宣言した。
「いただきますっ!」
大きな口を開けて、その指の先に齧り付いた。
バキッ!と音を立てたそれを、前歯で噛んでみる。
「う、ん……?」
少なくとも、覚悟していた血や肉の味はしない。生臭さもない。
「感想は?」
ビョルンさんの言葉に、私はたどたどしい食レポをする。
「最初は甘くて……でも、しょっぱくて、固くて……木の実と、キノコの味がする……」
白い粉は粉砂糖だったようで、サラリとした甘さが舌を撫でる。そして続くのは麦とバターの塩味、木の実のゴリゴリした食感。そしてあとから追いかけてくる、強烈なトリュフのようなキノコの香り。
「これって……ビスケット、ですか?」
私の疑問に、ビョルンさんは答えない。しかしその広い肩は小さく震えていた。
「ビョルンさん、あなた……嘘つきましたね?」
「誰も、本物のトロールの指だとは言ってない」
耐えきれなくなったのか、ビョルンさんは無精髭を撫でながらクックッと笑い始めた。その意地悪な笑みに、私はようやく彼に揶揄われたことに気がついた。
「ちょっとビョルンさん!」
「……ふっ」
「ほんっと、相当覚悟して食べたんですからね!?もうっ!」
文句を言いながらビョルンさんの背中をバシバシ叩くが、彼は微動だにせず二本目のビスケットを齧った。
「この国の伝統的な菓子の一つだ。形状と味から『トロールの小指』と呼ばれている」
私はもう一本ビスケットを取り出し、まじまじと眺める。細長くて歪な形のビスケット。どれも形がまばらで、食欲はそそられない。それでもこの世界の中では定番のおやつなのだろう。
「実際のトロールの指って、こんな感じなんですか?」
「まさか。もっと酷い悪臭がする」
「あ、見たことはあるんですね」
「ポーションの材料になる上、トロール討伐依頼も多い。それなりに手に入りやすい素材だ」
「うげぇ……」
私はその言葉に首をすぼめて舌を出した。想像しただけでなかなかグロい。これ以上聞いたら、せっかくのビスケットを美味しく感じなくなってしまいそうだ。ビョルンさんが話を続ける前に、私は二本目のビスケットに齧り付いた。塩トリュフ味のビスケットみたいなビスケットはしょっぱくて、甘い。
「私はお菓子がいいです」
ガリガリとビスケットを齧る私を見て、ビョルンさんはまたしても楽しそうに目を細め、喉を鳴らしてクックッと笑った。




