87_同じ穴の狢
エリザベスさんはハルの部屋で立ち止まり、部屋の看守に視線を投げかけた。看守は静かに頷いて、部屋の鍵を開ける。
「ルナ」
いよいよ中に入るという時に、エリザベスさんはふと私の名前を呼んだ。振り返ると、彼女の目には固い決意と、少しの心配が覗いていた。ハルを目の前にする私を案じてくれているのだろう。
この人はやっぱり聡明で、そして懐に入れた人物に対しては慈悲深い人なのだ。エリザベスさんは私の手を優しく包み込むと、力強く言う。
「わたくしも可能な限り情報を集めますわ。それがわたくしがあなたにできる、最大の贖罪であり恩返しです」
「だからルナ、あなたも……何があっても、諦めてはいけませんわよ」
「はい。ありがとうございます、エリザベスさん」
私は彼女の手を握り返して、深く頷いた。
ハルは独房というには清潔で、私室というには簡素な部屋にいた。木製のベッドと椅子、机の中で唯一鉄格子がはめられた窓だけが異様な存在感を放っている。
「おはようございます、ハルさん」
私は穏やかに、椅子に座っているハルに声をかけた。ハルは初めて会った時の華やかさはどこにもない、どこにでもいるような平凡な少女のように思えた。
だからこそ、この状況はなんだか胸が詰まる。彼女は多くの人を騙し、傷つけたけれど、まだ守られるべき子供に思えて仕方がない。
「なによ。私を笑いに来たわけ?」
「いえ、お別れの挨拶に来たんです」
私はハルの前に静かに立って、彼女を見下ろした。髪と爪はすでにボロボロだが、若い肌は艶やかで、目には負けん気の炎が宿っている。
彼女は伯爵とは違う、彼女の心はまだ死んでいない。あれほどのことがあったのに、折れないその根性は素直に賞賛できる。
「私はセレスティウムに発ちます。帰る方法を探しに」
「本気で帰れると思ってんの? バッカみたい」
私の言葉に目を丸め、そして腹を抱えて笑い始めた。笑いすぎてその目には涙すら浮かんでいる。
「あんな所に行ったって、あんたの探してるモンなんてないわよ」
そうかもしれない。
「私たちはね、この世界に落っこちてきたの!」
落ちてきた。ビョルンさんも『彗星と共に落ちてきた』と言っていたから、たしかにその表現が正しいのだろう。
「ドロップアウトしたのよ。もう二度とあっち側になんて帰れない!」
彼女は叫んで、座っていた椅子を蹴り飛ばした。ついでに枕や、テーブルにあったコップまで投げつけてくる。その姿はまさに自暴自棄で、痛々しい。しかし私はその気迫に押されることなく、静かに、しかし力強く言い放った。
「そうだとしても、私は諦めない」
「はぁ?」
「私は、あなたみたいにめざましいスキルはない。ひとりで生き残ることすら難しいくらい、弱い立場です。でも、今の私はひとりじゃないから」
私は首元に巻いたスカーフを握りしめた。これはレイドさんパーティがくれた親愛と応援の証。その他にも、私はこの世界の住人たちから多くの物を貰った。私が折れずに今ここに立っていられるのは、全てビョルンさんや出会った人たちのおかげだ。
「あなただって、ひとりじゃない。私もあなたと同じ世界の人間。……それだけ、言いたかった」
そう、私はこれを告げるためだけに彼女に会いにきたのだ。
あの舞踏会で、本当は言いたかった。私だって、ビョルンさんに出会わなければ、きっとハルと同じように堕落していた。
私はあなたより『ほんの少しだけ』運が良かっただけ。そのことを胸に刻んで、これからの旅路を歩いていく。
だからこれは、私なりの決意の表明であって、決してハルへの慰めなどではない。
だって彼女がこの世界でしでかしたことは、確かに『サイアク』なことなんだから。同情なんてしてやるものか!
「はあぁあああ!? なんなのよ、憐れんでんじゃないわよ! 凡人のくせに!」
ギリ、と爪を噛みながら、喉を枯らしてハルは吠えた。
「私、私は……! 私はみんなに愛されてるの。私はヒロインなんだから!!」
自分でも驚くくらいに、心は凪いでいた。憐れみも同情もない、ただあるのは静かな決意だけ。
「憐れんでなんていませんよ。あなたはみんなを苦しめた、それは変わりませんし。私はあなたのこと、好きじゃありません」
怒り狂うハルに向かって私はそう言い放つと、散らかったテーブルの上にハンカチとカゴを置いた。
「これ、ジャムパンです。よければお腹の足しにしてください」
「いらないわよ!」
「では看守さんにでもあげてください」
ハルは目を真っ赤にしながら、最後に私に向かって手帳を投げつけて蹲ってしまった。手帳は彼女の日記帳なのだろうが、それを私が読む権利はない。
「あ……」
手帳からはみ出た『写真』が目に入った。大学キャンパスを背景に数人と映っている。なにかの記念写真だろうか。
「……っ、返して!」
ハルは写真をひったくるように奪い、胸に抱えていた。その姿を見て初めて、私は彼女への憐れみの情を抱いた。
やっぱり彼女は私と同じ世界の人間だったんだ。まだ守られるべき立場の学生が、こんな場所で、意地汚い男の後妻として生きてきたのか。そう思うと、なんだか無性に腹が立った。
異世界人を好き勝手に呼び出した、この世界の理に対する怒りだ。私たちが一体、なんの罪を犯したと言うんだ。日常を壊されなければならないほど、理不尽な目にあう必要があったのか?
私は静かに深呼吸をした。この怒りをぶつけるのはハルではない。いや、この怒りを振り下ろす場所なんて、きっとどこにもない。
「では、また。遠藤春さん」
その言葉を最後に私は出口に向き直り、看守さんに声をかけた。看守さんはまたしても静かに扉開けてくれる。
「ぐすっ……うぅ、あまい……っ、おいし、い……」
扉が閉まる直前、そんな小さな声が聞こえた気がした。彼女のためにも、私の気のせいだということにしておいてあげよう。
「さて、ビョルンさんは起きたかなぁ」
私は地下室を出て、大きく伸びをした。太陽は南に高くのぼり、広場の鐘楼から午後を告げる鐘が鳴った。
私は帰る方法を見つけだす。その時は彼女も一緒に帰れるかな。きっとそれはこれからの彼女次第だ。




