73_魔法がとけたら
「はぁ……」
疲れた。非常に疲れた。
ビョルンさんが立ち去ったあと、私はポーシャさんにお風呂に入れてもらい、綺麗さっぱりピカピカの状態になった訳だが。
なんだか先ほどまで高級ドレスに身を包んでいたとは思えないほど、凡庸な女が鏡に映っていた。おろした茶色の髪と、特徴的な泣きぼくろ、そしてメリハリのない身体。よくもまぁあんな豪奢な舞踏会会場で立ち回れたなと我ながら感心してしまう。
「長い一日だった」
アニタさんが貸し出してくれた客間のベッドに横たわる。ふっかふかでお日様の香りがするそのベッドに横たわっただけで、すぐにでも夢の国に旅立ってしまいそうになる。
「とりあえず、少しでもビョルンさんの負債を返せたらいいんだけど」
天井を見上げながら、ぽつりとつぶやく。今回の目的は重税に苦しめられていた商人ギルドを救うだけじゃない。エリザベスさんから報酬をもらって、少しでも多くビョルンさんの負債を返済するためだ。
そして、異世界人であるハルから異世界人召還儀式について情報を得るのも、もう一つの目的だった。
「帰り方を知ってる、か」
あの言葉が本当だったのか、私には分からない。もしかしたら本当に知っているのかもしれないし、私を釣り上げるためのデタラメだったのかもしれない。
「もし、あの時……」
ビョルンさんやエリザベスさんを裏切って、ハルの手を取っていたら。私のスキル『招き猫』が発動したりして、ハルが逆転勝利しちゃったりしたんだろうか?
いや、ハルの味方をするなんて天と地がひっくり返ってもありえないんだけど。でも、それでも。
「もうちょっと、ヒントくらい欲しかったなぁ!」
魂の叫びを枕に叩き込んだ。そりゃ人間だもの。あんなに頑張ったんだから少しのご褒美くらい欲しい。
「はぁ……次は、どんな仕事をしよう」
自分でヒントを断ち切ってしまった今、次のことを考えるしかない。気持ちを切り替えるんだ。
ポーションの改良とバリエーションの拡張、新商品は……まだアイディアがないな。市場調査をして、もっとこの世界について知らないといけない。そんなことをぐるぐると考えていると、抗いがたい眠気が足元から這い上がってきた。
あ……やば。寝そう。
意識が闇に落ちかけたその時、扉が雑に三回ノックされて意識が急浮上する。
「俺だ」
「ビョルンさん? どうぞ」
身なりを整えたビョルンさんは、いつものように髪を乱雑に流してラフで動きやすそうな格好をしていた。ラフな格好でもさらりと着こなしてしまう美丈夫が憎らしい。対して私はお風呂上がりの寝間着姿なので、対比としてはなんだか不相応だ。まぁ、気にしないけど。
「どうしたんですか?」
「傷の具合を見に来た」
ビョルンさんは私の左足の包帯を見て、僅かに眉根を寄せる。
「痛むか」
「アニタさんの回復魔法のおかげで、だいぶん良くなったんですよ。もう全然痛くないですから」
そんな苦しそうな顔、しないで。
その言葉が何故か喉に詰まって出てこない。それくらい、ビョルンさんは悲痛な顔をしていたから。
「今、完治させてやる。動くな」
ポウッと緑色の光が淡く灯って、左足の鈍い痛みが徐々に和らいでいく。まるで最初から傷なんてなかったみたいに綺麗に治療されていた。しかしビョルンさんの表情は暗いままだ。私はわざとらしくならない程度に明るい声を出して、拍手をしてみせた。
「すごい! さすがビョルンさんですね」
「……」
「魔力の回復も早いし、魔法も一流!よっ、さすがっ!」
「……」
気まずい!気まずすぎるこの空気!
私の努力も虚しく、ビョルンさんは沈黙したまま視線を床に落としている。
「ビョルンさん、あの、なにかお話しません?」
「……」
あぁもう! 面倒くさいなこの人。いつもの不貞腐れた態度はどこに行った!
「傷はもう治していただきましたし、こうして2人とも無事だったんですから、気にしなくていいんですよ?」
「理解している」
いや、1ミリも納得してない声じゃないですか、それ。
私の不満が伝わったのか、ビョルンさんが顔をあげる。と、彼の視線が、ベッドサイドテーブルに置いていた私の耳飾りで止まった。
「あぁ、それ。転んだ時に金具がズレちゃったみたいです」
「壊れたのか」
「金具さえ取り替えてもらったら、使えると思うんですけど。修理はいくらかかるんでしょうね……」
私は遠い目をして答えた。銀の装飾と真珠が美しいそのバレッタ型の髪飾りは、噛み合わせが悪くなってしまったようだ。金貨75枚を買い換える余裕なんてないので、どこかで修理できたら嬉しいのだが、それでも出費が嵩むことには変わらない。大事にしようと思っていたのに。
肩を落としていると、ビョルンさんは大きなため息を吐いてこちらに手を差し出した。
「貸せ」
「え? 魔法で直せるんですか?」
「この程度ならば魔法も不要だ」
ビョルンさんはポーチから工具の袋を取り出して、耳飾りの金具を弄り始めた。その指先は、繊細な魔力を操る時と同じくらい慎重で、けれど工具を扱う動きには迷いがなかった。工具を扱うことに慣れているんだろう。
「魔術師なのに、工具袋を持ち歩いているんですか?」
「なんでも魔法に頼るのは半人前だ」
「そういうものなんですね」
カチ……カチ、カチ……
ビョルンさんが金具を巻いたり、外したりする音が聞こえる。静かだけれど、先程の痛い沈黙よりはずいぶんと心地よい。それに女性用の髪飾りを持つとビョルンさんの手の大きさがよく目立つ。彼はそのライムグリーンの瞳を少し緩めると、大きく工具を回した。
「噛み合わせがズレただけだ」
キュ、と最後に金具が締まる音がして、ビョルンさんは視線をこちらに戻す。そして彼は工具袋から取り出したシルクの布で髪飾りを拭うと、満足そうに髪飾りを差し出した。
「も、もう出来たんですか!?」
「造作もない」
どこか得意げに、鼻を鳴らして言うビョルンさん。たしかに言葉の通り、髪飾りは元通りになっていた。
「ありがとうございます」
その大きな手のひらから髪飾りを受け取ると、宝物のように胸に抱いた。これで金貨75枚の負債は免れたことも嬉しいけれど、この髪飾りはアニタさんからのプレゼントとして大切にしたいだったから、修理して貰えたのは本当に嬉しい。
「そういえばドレスの方も、修繕してもらえるかもってアニタさんから教えてもらったんです」
「そうか」
でも、と付けたす。
「金貨百枚の代わりに、修繕費を申請しますからね。チャラじゃありませんよ」
「分かっている」
ビョルンさんはぶっきらぼうに答えてから、私をじっと見つめた。正確に言うと、私のお腹あたりを。
「ビョルンさん?」
「他に傷はないのか」
おそらく、私がビョルンさんの剣で切り付けられた時のことを気にしているのだろう。
「コルセットって案外分厚いんですよ。だから私は怪我はしていません」
「……そうか」
またしても気まずい空気が流れる。せっかく少し和らいだと思ったのに。
ええと、どうしよう。そうだ、私らしい返しといえば。
「ご心配なく。今回の件は慰謝料を請求したので。慰謝料さえ貰えたら、私は構いませんよ」
それは強がりでもなく、本心だった。ハルに油断したとはいえ、ビョルンさんだって魅了魔法を受けたくて受けたわけじゃない。今回の一件をお金で解決できるのなら、それで万々歳だ。
「必ず、返済する」
「はい、お待ちしています」
静かに頷くビョルンさんに、にっこりと微笑んでみせる。きっと彼ならちゃんと返してくれる。今だけは彼の負債を忘れて、そう信じてみようと思った。
「それにしても、よく私の『死んだフリ』作戦に気付きましたね? 事前に知らせてなかったのに」
「エルフは耳がいい」
「というと? ……あっ!」
頭の上で豆電球が光って、ポンと手を叩く。
「私の心臓の音ですね?」
「そうだ。死人から心音は聞こえない。それにお前の音はいつも大きい」
「ちょっと、それっていつもうるさいって事ですか?」
目を見合わせ、同時に吹き出した。先程までの暗い空気はようやく霧散して、いつもの穏やかな空気の訪れに胸を撫で下ろした。
そしてその穏やかさは疲れと心地よい眠気を連れてくる。身体が脱力して、それに釣られるように大きな口で欠伸をする。
「ふぁあ……さすがに疲れましたね」
「さっさと寝ろ」
「はぁい」
瞼が開かなくなって、そのまま重力に逆らうことができずにベッドに横たわり、目を閉じた。あ、眼鏡外さなきゃいけないのに。
「良い夢を」
額に一瞬だけ大きくて暖かい手のひらの温度を感じて、安堵に包まれながら夢の国へと旅立ったのだった。




