72_ただいま、我が家
「なっ、な、なな、なんじゃこりゃああーッ!!」
馬車が商人ギルドに着いたのは日付が変わる少し前だった。私たちが扉を開けるなり、中央カウンターで待っていたアニタさんの絶叫が響き渡る。
「あ、アニタさん、もう夜なのでお静かに……」
「出来るわけないだろ!? ルナ、あんたどうしたんだいその格好!? まさか血じゃないだろうね!?」
アニタさんの言う通り、たしかに今の私たちはひどい格好だった。私のドレスはワインで汚れ、裾は切り刻まれてボロボロ。ビョルンさんの髪は大きく乱れ、服は煤まみれだ。魔法が解けたシンデレラでもこんなに酷い格好ではあるまい。
「血ではありませんから、ご安心ください。えぇと、作戦の変更がありまして、そのぅ」
「ビョルン! あんたが付いてて、なんでこんなことになったんだい」
「……」
苦虫を噛み潰したような顔で、耳を下げるビョルンさん。それを鬼のような形相をしたアニタさんが見下ろしている。アニタさんとビョルンさんの間に割って入って、アニタさんを落ち着かせるように手を握った。
「むしろビョルンさんに助けてもらったんです。ビョルンさんのおかげで、ハルに勝つことができたんですよ」
私の言葉にようやく、アニタさんは殺気を収めて大きく息を吐いた。
「そうかい。なら、いいけどね」
ビョルンさんはアニタさんの視線から逃れるように、ふいっと顔を逸らす。そして居心地悪そうに耳を上下している。
「ご苦労さま。疲れたろう、お腹すいたかい?」
「小娘は腹を空かせてるだろうな」
私とビョルンさんの肩を叩いて、ようやくアニタさんが笑顔を見せてくれた。その笑顔にようやくギルドに帰ってきた気がして、足の力が抜けてしまった。
「お腹すいたぁ……」
「じゃ、なにか軽く飲めるスープを用意してあげるよ。その前に風呂に入っといで。ポーシャ、起きてるかい!」
アニタさんの大きな声と騒ぎを聞きつけたロッドさんやポーシャさん、その他商人ギルドの面々が駆けつけて、その場は大騒ぎになってしまった。ビョルンさんは煩わしそうに首を振っているが、そんなのは構わずギルドの皆から構われ倒したのだった。
「全く、騒々しい奴らだ」
「でもようやく、帰ってきたって感じですね」
私の言葉に、ビョルンさんは目を伏せて静かに頷く。
「まぁ……今日くらいは、悪くないだろう」
「出ました。ビョルンさんの『悪くない』!」
「茶化すな。鬱陶しい」
そう言うビョルンさんの口角が、ほんの少しだけ上がっていることに、私は気がついていた。素直じゃないんだから、という言葉は胸の内にしまっておいた。
「ルナ」
ビョルンさんが私の名前を呼ぶ。
「どうしました、ビョルンさん?」
私は普段通りに名前を呼び返す。ビョルンさんはなにか言いたげに視線を彷徨わせでいたけれど、結局それが言葉になることはなかった。
「ビョルンさんってば」
私は焦れてもう一度、彼の名前を呼んでみる。ビョルンさんの耳がひょこんとあがり、わかりやすくひょこひょ揺れていた。帰りの馬車でもずっと、私の様子を伺っている気配はしたけれど、ビョルンさんはなにも話そうとはしない。
きっと、自分の失態を気にしているんだろう。矜持の高いエルフにとって、この失態はかなり堪えたのかも。
「大丈夫ですよ」
言葉を求めるつもりはない。ビョルンさんは言葉よりも、視線や所作が雄弁だ。今だって、私の背中を支える腕を離そうとしないのだから。
「……ん」
まだ不安げな顔をしているけれど、ポーシャさん達ハーフリングがタオルを持ってきてくれたところで、ビョルンさんは私から離れていった。彼は誰にも声をかけることなく、騒がしい人混みをかき分けていく。
「あ、ビョルンさん……!」
「着替えてくるだけだ。お前は休め」
ぶっきらぼうに言って、ビョルンさんはスタスタと立ち去ってしまった。アニタさんはそんなビョルンさんの後ろ姿を静かに見送り、私の方に向き直る。
「さて、ルナ。疲れたろ。あんたは治療と風呂だよ、ルナ」
大きな手で撫でられて、私はひとつ頷いた。
まずは体力の回復をしよう。そしてまた、ビョルンさんに元気な顔を見せられるように。




