71_愛されヒロインの終焉
「連行しろ!」
憲兵たちに両脇を抱えられ、床を引きずられるハル。最初に見た煌びやかさはもうどこにもない。煤と涙で泥人形のようになった彼女は、必死に憲兵の手を振りほどいて地を這うようにして私の足元に縋り付いた。
前に出てハルを牽制しようとしたビョルンさんの隣に並んで、ハルを見下ろす。
「ねぇ……っ、あんた! あんた、異世界人なんでしょ! 私と同じじゃない。助けてよ!」
その瞳は濁り、恐怖で血走っている。ハルは私のドレスの裾を煤だらけの指で強く掴んで離さない。
「何が欲しいの? お金? これまでの宝石もお金も、あんたに全部あげるわよ! 」
そんな物の価値は私には分からない。人々から搾取したお金で得た金銀財宝の輝きは、まるで金メッキのようで全く心動かされない。
「行きましょう、ビョルンさん」
彼女の手を払って出口に向かおうとしたけれど、ハルは諦めない。ビョルンさんが苛立って剣を抜こうとした、その時。
「あぁ、わかった。ふふ、あんたの欲しいもの、分かっちゃった」
ハルが不気味な猫なで声で私に囁きかける。ドレスを掴んでいた手が少しずつ這い上がり、まるで蛇のように纏わりつく。そして彼女は私の心の内を見透かしたような桃色の瞳がこちらを覗き込んで言った。
「あんた、元の世界に帰りたいんでしょ」
「……!」
まさか図星を突かれるとは思わなかった。そうか、彼女は魅了魔法の持ち主ではあるけれど、ここまで上り詰めたのは彼女のその狡猾さと洞察力の高さに起因するものだったんだ。
彼女は冷たい手で私の指に指を絡めて、耳元で囁く。
「あんたにだけ、特別に教えてあげる。元の世界への帰り方」
「どうして、それを知っているの」
「旦那様から教えてもらったの。あんたになら特別に教えてあげる。『異世界人召還の儀式』は禁忌扱いだから、どこにも載ってないよ」
どろりとした甘い声で、私の欲するものを目の前にチラつかせる。
「私も協力してあげる。私にはできなかったけど、あんたなら……帰れるかもね?」
ハルの目はこれまでの嘘に塗れていたものとは違うまっすぐなもので、彼女が真実を告げていることを直感で理解した。
「あんただって、こんな世界でひとりぼっちなんだもん。寂しいよね。帰りたいよね?」
先程の身勝手で我儘な女の影はなく慈悲深い天使のように、優しく、甘い声で私に語りかける。
「私を助けてくれたら、全部教えてあげる。だから…ねぇ、ルナ? 私を助けて?」
私は、自分を掴むその白い手を静かに見下ろした。私は静かに、しかしハッキリと言い放つ。
「お断りします」
「……はぁ?」
断られると思っていなかったのか、ハルは素っ頓狂な声で聞き返した。あぁ、腹が立つな。そんな明らさまな餌に釣られるほど愚かな女に見えていたなんて。
「なんで断んの!? 元の世界に帰れるのよ!?」
「ご心配なく。私は自分で帰る方法を探しますから」
私は彼女の手を、優しく、けれど明確な拒絶を込めて引き剥がす。そして腹の底からの叫びを真正面からぶつけてやった。
「私の大事なビョルンさんを魅了した、薄汚い泥棒猫から教わることなんて、これっぽっちもございません!」
私が全力で、そして満面の笑みで言い放つと、ハルの顔が絶望に染まった。
「な、ぁ……なんで……っ!」
「さようなら、ハル。あなたには同情する。だけど、私はあなたに惑わされたりしない」
その言葉を最後に、憲兵たちの手によって、ハルは今度こそ私から引き剥がされた。
「あんた、後悔するわよ! ぜったい、絶対後悔させてやるんだからぁぁぁ!!」
遠ざかる絶叫。それがホールの外へ消えていくと、ようやく会場が静かで穏やかな空気を取り戻した。私は肩から力を抜いて、足の痛みも相まってビョルンさんにもたれかかった。
「ふぅ、疲れましたねぇ。お腹空いてません? 早くギルドに帰ってご飯食べましょうよ」
しかし隣からの返事がない。
「お前……」
「どうかしました?」
隣を見ると、ビョルンさんが片手で顔を覆い固まっていた。視線は斜め下を彷徨い、これまでの偏屈家の面影はどこにもない。必死に冷静さを保とうとしているが、耳の先が赤くなっていることからなにかにひどく動揺していることが見て取れる。
そして少し離れたところで見ていたエリザベスさんやクレイモアさんが、なんだかとても微笑ましいものを見るような視線を寄越していた。
「ん?」
そこで私は、自分が先ほど堂々と放った『決め台詞』思い出す。
『私の大事なビョルンさんを魅了した、薄汚い泥棒猫』
「……わあぁああ!」
体温が急上昇し、ボン! と顔から火が出る音が聞こえた。
「ち、ちがっ、違うんです!!」
先程よりも力を込めて、腹の底から声を上げた。
「あれは、その! ハルを煽るために一番効果的な言葉を選んだだけであって!」
「理解している」
「 『大事な』の後に『ビジネスパートナー』って言葉が省略されているわけでして! 深い意味はないんですよ!?」
「理解している」
必死に手を振りまわして弁明する私を、ビョルンさんがようやく顔から手を離して、薄目で見下ろしてきた。
「今後は軽率な発言は控えろ。いいな」
「はい、すみませんでした……」
なんて馬鹿な私。ハルにムカついたからってなんであんな風に言っちゃったかな。
自己嫌悪に私が頭を抱えてしゃがみ込むと、ビョルンさんはフンと鼻を鳴らす。
「ほ、ほら! もう帰りましょう。あとの事はエリザベスさん達にお任せしましょう!」
居た堪れなくなって、慌てて外に出ようと足を踏み出す。怪我のことを完全に失念していて踏み出した瞬間、ビリリ! と電流のような痛みが走った。
「っ、おい」
焦ったような声が頭上で聞こえて、ふわりと身体が浮く。
え? 浮いた?
「……辛抱しろ」
見上げるといつもより近くにビョルンさんの顔がある。
え、なんで?
足元が浮いている。そして腹と背中には人の体温を感じる。えぇ、そう、つまり今、私はビョルンさんに抱えられている。いわゆる『お姫様抱っこ』の状態で。
「わぁあああっ!?」
「喧しい」
これが騒がずにいられますか、という悲鳴は言葉にならなかった。
「えっ、ちょ、ビョルンさ、お、おろして!?」
「その傷で馬車まで歩くのは不可能だ。可能だとしても、遅すぎて夜が明ける」
「大丈夫ですって!」
「大丈夫じゃない」
またしても押し問答を繰り返し、私はビョルンさんの腕から逃げようと試みる。しかしバランスを崩しそうになるだけで、上手く逃げられない。
「チッ、大人しくしろ」
「ぐぇ」
舌打ちとともにまたしても体が浮く。そして次に視界に入ったのはビョルンさんの背中。お姫様抱っこの状態から、俵担ぎにされたらしい。
「これなら文句ないだろう」
フン、と鼻息荒めに言い放たれて、今度こそ文句が引っ込んだ。いや、物理的に引っ込まざるを得なかった。ビョルンさんの肩が私の腹にくい込んでいるものだから、文句どころか息すら出ない。
「はやく、かえりましょ」
「無論だ」
馬車にたどり着くまでに私が窒息しないことを祈りながら、私はその広い背中に体を預けたのだった。
いや、もっと丁重に扱って!?




