70_昨日の敵は今日の友
「ルナ、ビョルン」
ビョルンさんとの押し問答をしていると、クレイモアさんに支えられたエリザベスさんが私たちの元に来てくれた。
「エリザベスさん、お身体は大丈夫ですか?」
「少しふらつきは残りますが、問題なくてよ。お前は怪我をしたようね。大事はなくて?」
「はい。少し切っただけなので問題ありません」
「そう。然るべき治療を手配しますわ」
そう言うエリザベスさんだってドレスは薄汚れてしまって、埃や瓦礫で襟や裾、そしてその人形のような肌にも細やかな傷が残っていた。貴婦人に傷をつけるなんて、場合によっては重罪だ。きっとハルはこの罪にも問われることだろう。
「ルナ」
エリザベスさんは私に近づいて、静かに見つめる。
「わたくしは、最も立ち向かわねばならない時に動くことができなかった。わたくしの力不足を、どうか許してくださいましね」
「そんな……! 私はビョルンさんに守ってもらっていたから、運よく平気だっただけですよ。しかも解決してくれたのはビョルンさんで、私は大した働きは出来ていませんし」
エリザベスさんはゆっくりと首を振った。そしてとても柔らかく優しい声で言葉を続けた。
「ビョルンが正気を取り戻せたのも、この場で誰一人命を失わずに済んだのも、全てあなたのおかげです。本当に感謝しますわ」
そこまで言ったあと、エリザベスさんとクレイモアさんは私に対して深く頭を下げた。貴族が平民に頭を下げるなんて聞いたことがないし、この世界のマナーに疎い私でもその行為がどれほどの意味を持つか理解できる。
「わたくしは、あなたに酷いことをしてしまった。無意味に傷つけ苦労を強いた。それでもあなたはわたくしや、この地に住む民のために諦めずに戦ってくれた。領民を代表して、あなたには深い感謝を示します」
「あ、頭をあげてください! あなたが私みたいな一般人に礼をするなんて」
「いいえ。恩人には礼を尽くすのが統治者の役目ですわ。本当にごめんなさい、そしてありがとう、ルナ」
ようやく顔を上げてくれたエリザベスさんは、初めて教会で出会った時のような暗い表情とは違い、とても晴れやかで優しい顔をしていた。
「こういう時は『どういたしまして』でいい」
困り果てていると、ビョルンさんが耳元で囁いて教えてくれた。
「い、いいんですかね……?」
「お前よりはるかに長寿のエルフがそう言うんだ。問題あるまい」
「ルナ嬢、ビョルン殿のおっしゃられる通りかと」
クレイモアさんまでそう言うものだから、私はもう大人しく降参するしかない。
「お言葉、大変ありがたく頂戴します……えぇと、それから、その」
エリザベスさんの言葉はそれはもう身に余る光栄で、自分の行動や選択を評価されたのは素直に嬉しい。でも忘れちゃいけない。これはビシネスであって慈善事業ではないのだ。
「承知していますわ、報酬のことでしょう?」
「うっ! すみません、こんな空気の時にすみません!」
「構いませんわ。元よりそのための契約なのですから、相応の報酬を差し上げます」
エリザベスさんは優雅にそう笑うと、自身が羽織っていたレースのケープを脱いで私の肩に巻いてくれた。
「今はこれしかございませんの。許してくださいましね」
「いえ! とんでもないです!」
このケープだけで一体何枚の金貨が消し飛ぶのか、今考えると失神しそうなのでまたしても思考を隅に追いやった。あぁあ、でもこれワインで汚れちゃったよ、どうしよう。
「わたくしの侍女たちは優秀ですの。ワインの汚れくらい、なかったことのように綺麗にしてくれますわ」
「ありがとうございます……」
思考を完全に読まれていて、エリザベスさんは困ったようにくすくすと笑いながら私の手を両手やわらかく握った。
「ハルや伯爵の処分、また商人ギルドへの謝礼は後日改めてお伝えします。それまで羽を伸ばし、休養なさい」
「ありがとうございます。エリザベスさんもどうか無理はなさらないでくださいね」
「ふふ、何を言っているのかしら? わたくしの仕事は今から始まるのですわよ。休んでなどいられませんわ。さぁ行きますわよ、クレイモア」
「はい。エリザベス様」
上品な顔を崩してやる気に満ちた顔で微笑むエリザベスさんは、心の底からかっこいいと感じた。やっぱり、自らの意志で道を切り開いていく女性は特有の輝きを持つのだろう。
私はクレイモアさんを伴って憲兵隊長の元へと歩いていくエリザベスさんの後ろ姿を、羨望の眼差して見つめていた。




