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異世界にとばされた社畜OLですが、ツンデレエルフと行商ライフを満喫中です!  作者: しらたき 茶々麻呂
04_VS 魅了の魔女 ハル編

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68/251

68_最大の敵は最大の味方

 ハルの魅了魔法は脳髄(のうずい)に直接、汚泥(おでい)を流し込まれるような不快感を生み出した。粘(ねば)りのある、まとわりつくような魔力を振り払えないのが腹立たしい。


 エルフの抗魔力を持ってしても、暴走した魅了魔法はあまりに厄介だ。視界が灰色の霧に覆われ、隣で叫んでいるはずのルナの声が聞こえなくなる。


『殺せ』


 考えるよりも先に魔力を練っていた。自らの意識が、自分の腕を動かしている感覚がない。まるで天から吊り下げられた糸に操られているようだ。


「ビョルン、さん……?」


 ルナがこちらを見た。その瞳に浮かんだのは、信頼か、それとも恐怖か。


 頼む、逃げろ。今の俺は、俺ではない。


「三十六計逃げるに如かず!!」


 目が合った次の瞬間、小娘が全力で背を向ける。その判断の速さに、脳の片隅でわずかに笑った。


 そうだ、それでいい。その明晰(めいせき)な頭脳こそ、お前の最高の武器だ。そういうところが、好ましいと感じていた。


 だが今の己の体は、残酷なまでに最適解を選び取り、ルナを追い詰める。

 よせ、やめろ。全力で抵抗するが、そんなものは意味をなさない。言葉すらも紡(つむ)ぐことは叶わず、俺は分厚い小窓からルナを眺めることしか出来なかった。


「どいてください!」


 しかしこの小娘は、それしきのことでは諦(あきら)めない。自らの身体をぶつけるように体当たりをしてくる。


 あぁ、まったく。そんな重心では派手に転ぶだろうに。


 俺の身体は自分の意志とは反して彼女の脇をすり抜け、彼女は案の定地面に転がった。その背後に追い討ちをかけるように魔法を放つ。


「ちょっと!! これ金貨百枚なんですけど!?」


 非難(ひなん)めいた声で叱られ、彼女らしい言葉に気が抜けそうになる。いつもの自分ならば『言っている場合か』と一蹴(いっしゅう)するだろう。そう、いつもならば。


 無理矢理流し込まれる汚泥(おでい)のせいで、思考が纏(まと)まらない。剣を振るうことを是(ぜ)とする声と、必死に押しとどめようとする声が聞こえる。


 このまま覚えたての小僧のように全力で魔力を使い続ければ、底を尽きるのも時間の問題だ。魔術師にとって、魔力の枯渇(こかつ)は命に関わる。魔力の枯渇(こかつ)が魔術師としての生存本能を呼び起こし、繋がれた糸を軋(きし)ませる。


 今だ、抗(あらが)え。


「ビョルンさん……?」


 すぐ足元でルナの声が聞こえ、一瞬指が引き攣る。彼女の声に理性が引き戻される。もう少し、あと少しで戻れる。理性の意図を手繰り寄せようとした、その時。


——ピィイーッ!!!


 警笛を聞いた直後、視界が急激に黒く染まる。意識が途切れ、宙ぶらりんに吊るされたような感覚がした。必死に手を伸ばし、ルナを呼ぶ。


 しかし、誰も答えなかった。


 静寂は嫌いだ。声が届かないのは嫌いだ。誰も俺の言葉に耳を貸さない。

 あ(・)ん(・)な(・)思(・)い(・)は、もうたくさんだ。



 

 それから非常に長い静寂(せいじゃく)を感じた。それが一瞬のことなのか、それとも数年のことだったのか理解が追いつかない。自分の周囲の時間が、非常に遅く巡っているような感覚に陥った。


 ようやく視界が晴れた時、目の前に広がっていたのは白い床を染めていく禍々しいほどの赤。


「は……?」


 足元の血溜(ちだ)まりで倒れているのは、俺がよく知る小娘だった。 


 その光景が網膜に焼き付いた瞬間、身体を縛っていた黒色の糸が、ぷつりと音を立てて弾け飛んだ。一瞬で取り戻した正気により、地獄のような絶望が波のように押し寄せてくる。


「……ル、ナ……?」


 赤い海の中に沈む彼女に触れようとして、手が止まる。



 

 遠い過去の記憶が、脳裏に鮮明に蘇った。暗い部屋は鮮血で染まり、俺は剣を手にしていた。


『お前が……やったのか?』


『違う、俺じゃない。何かの間違いだ!』


 仲間たちの温度のない声が、耳を刺す。目の前に倒れ伏している男は、血を吐きながら、そして心底残念そうに言った。


『残念だよ。本当に……』


 やめろ、やめてくれ、聞きたくない。


『もうお前をこのパーティーに置いておけない』


 その言葉と共に、俺は全てを失った。それまで築き上げてきた信頼も、立場も、絆(きずな)すらも全て無に帰(き)した。


 何かを持つことも許されず、ボロ布一枚で地下牢に放り込まれた。あの日のことを、忘れたことはない。 


 俺じゃない、何かの間違いだ。


 何度叫んでも、最早誰も俺の言葉に耳を傾けることはなかった。今回も同じだ。俺の意思でやったんじゃない。


 いいや、違う。俺がやった。俺の剣がルナを斬った。


「おい、起きろ。ルナ……!!」


 掠(かす)れた声で彼女の名前を呼び、震える手で抱きあげた。


 その時。


「……?」


 鼻腔(びくう)を突く甘ったるい果実の香り。傍らに散らばったワインボトルの破片。そして彼女の体から静かに脈打つ鼓動を聞いた時、絶望は戦慄(せんりつ)に変わった。


 視線を感じたのか、悪戯(いたずら)っぽく口を歪めて見せた。


『ね? 信じてくださいって言ったでしょ』


 そんな得意げな声が聞こえてくるようだ。まんまと嵌められた。全てはこの小娘の掌の上だったのだ。


 屋敷の外から、けたたましく多数の足音が聞こえる。ルナが警笛を吹いたことにより、憲兵たちが動き出したのだ。


 ハルの制圧という大役を、たかが憲兵如きにくれてやるつもりは無い。この人騒がせな魔女にどれほどの手間を取らせられたことか。数えるだけでも苛立ちが込み上げてくる。


「魔女よ。俺はもう、貴様の操り人形ではない」


 自ら術を打ち破った今ならば、その魅了魔法の解除方法は明白だ。そして手中が明らかになった魔術師を無力化させることなど、赤子の手をひねるよりも容易い。


 身体に残る魅了魔法の残穢(ざんえ)を浄化すると、先程まで霧が勝っていた思考が澄み切った青空のように冴(さ)える。無駄に浪費した魔力も大方戻ってきたようだ。


 となると、残された仕事は目前の敵の排除のみ。 


「な、なによ! 来ないでよ!」


 俺が魅了魔法を解除した事に動揺するハルは、威嚇するように黒い弾丸をこちらに向けて乱射する。しかしそれは弾と称するにはあまりにも稚拙。指を鳴らしただけで風魔法と相殺できるほどだ。


「魅了魔法以外は見習い以下か」


「ほんっとうざい! なんなの! なんで私の思いどおりになんないのよぉ!」


 世の事柄が自らの思いのままになるなど、ただの幻想。我欲(がよく)に溺(おぼ)れ、他人を貶(おとし)めた罪を、今こそ精算する時だ。


「案ずるな、殺しはしない」


 口ではそう言いながら、手中には全力の魔力を込める。これまでのこの魔女の所業を思えば、多少痛い思いをさせてやったとして罰は当たるまい。


「あぁあもう! あんたも死んじゃえぇ!!」


 半狂乱(はんきょうらん)になった魔女から放たれる魔力弾は、わざわざ避ける必要もない。掌に込めた魔力を圧縮し、ハルに向けてかざしてみせる。


「これで終いだ」


 勢いよく放出された魔力はハルの魔力弾ごと周囲を焼き尽くし、彼女の体を緑色の炎が包み込む。そしてそのまま中央階段の踊り場まで吹き飛び、領主の肖像画に勢いよく叩き付けられた。肖像画は大きく歪み、壁にめり込んだハルが反撃しようと手を伸ばす。


 しかし魔力が尽きた魔女はただ、泣き出しそうな声を上げるだけだった。


「……んで……? なんでよぅ、私、は……ヒロイン、なの……よ……」


 その言葉を最後にハルは沈黙し、舞踏会会場にはようやく静寂が訪れた。


「さっすがビョルンさん、スカッとしましたね! ざまぁみろ!」


 身体を真っ赤にしながら、ムクッと起き上がって宣う小娘が小憎たらしくて仕方がない。思わずその丸い頬に両腕を伸ばして、包み込んだ。その小憎たらしい額に己の額をぶつける。硝子のように繊細なその小娘の体を壊さぬよう、細心の注意を払った。


 温もりが、触れた肌から伝わってきた。

 彼女は確かに生きている。この手で取りこぼしたわけでは無かった。その事実こそ、今の俺にとって最重要事項だ。


 何故、そんなことを思うのか。この小娘はただのビジネスパートナーであり、厄介事の発端(ほったん)でもある。それなのになぜか、手放すのは惜しいと感じている。


「……お前」


「はい?」


 ころん、と首を傾げる小娘の鼻を強めに摘む。言いたいことは山ほどあるがとりあえず、切り刻まれ、ワインでベタベタになったドレスに一言。


「負債が金貨百枚分増えたな」

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