68_最大の敵は最大の味方
第68話です。
ハルの魔法に侵されてしまったビョルンは、一体何を思うのか?
ハルの魅了魔法は脳髄に直接、汚泥を流し込まれるような不快感を生み出した。粘りつくような魔力を振り払えないのが腹立たしい。
エルフの抗魔力を持ってしても、暴走した魅了魔法はあまりに厄介だ。視界が灰色の霧に覆われ、隣で叫んでいるはずのルナの声が聞こえなくなる。
『殺せ』
考えるよりも先に剣を抜いていた。自らの意識が、自分の腕を動かしている感覚がない。まるで天から吊り下げられた糸に操られているようだ。
「ビョルン、さん……?」
ルナがこちらを見た。その瞳に浮かんだのは、信頼か、それとも恐怖か。
頼む、逃げろ。今の俺は、俺ではない。
「三十六計逃げるに如かず!!」
目が合った次の瞬間、ルナが全力で背を向けた。
その判断の速さに、脳の片隅でわずかに笑った。
そうだ、それでいい。その明晰な頭脳こそお前の最高の武器だ。
だが、己の体は残酷なまでに最適解を選び取り、ルナを追い詰める。
「どいてください!」
しかし彼女はそれしきのことでは諦めない。自らの身体をぶつけるように体当たりをしてくる。
あぁ、まったく。そんな重心では派手に転ぶだろうに。
俺の身体は自分の意志とは反して彼女の脇をすり抜け、彼女は案の定地面に転がった。その背後に追い討ちをかけるように魔法を放つ。
「ちょっと!!これ金貨100枚なんですけど!?」
非難めいた声で叱られ、彼女らしい言葉に気が抜けそうになる。いつもの自分ならば『言っている場合か』と一蹴するだろう。そう、いつもならば。
無理矢理流し込まれる汚泥のせいで、思考が纏まらない。剣を振るうことを是とする声と、必死に押しとどめようとする声が聞こえる。
このまま覚えたての小僧のように全力で魔力を使い続ければ、底を尽きるのも時間の問題だ。魔術師にとって魔力の枯渇は命に関わる。魔力の枯渇が魔術師としての生存本能を呼び起こし、繋がれた糸を軋ませる。
今だ、抗え。
「ビョルンさん……?」
すぐ足元でルナの声が聞こえ、一瞬指が引き攣る。彼女の声に理性が引き戻される。もう少し、あと少しで戻れる。理性の意図を手繰り寄せようとした、その時。
ピィイーーーッッ!!!
警笛を聞いた直後、視界が急激に黒く染まる。
それから非常に長い静寂を感じた。それが一瞬のことなのか、それとも数年のことだったのか理解が追いつかない。自分の周囲の時間が、非常に遅く巡っているような感覚に陥った。
ようやく視界が晴れた時、目の前に広がっていたのは白い床を染めていく禍々しいほどの赤。
「は……?」
足元の血溜まりで倒れているのは、俺がよく知る小娘だった。
その光景が網膜に焼き付いた瞬間、身体を縛っていた黒色の糸が、ぷつりと音を立てて弾け飛んだ。一瞬で取り戻した正気により、地獄のような絶望が波のように押し寄せてくる。
「……ル、ナ……?」
赤い海の中に沈む彼女に触れようとして、手が止まる。
遠い過去の記憶が、脳裏に鮮明に蘇った。暗い部屋は鮮血で染まり、俺は剣を手にしていた。
『お前が……やったのか?』
『違う、俺じゃない。何かの間違いだ!』
仲間たちの温度のない声が、耳を刺す。目の前に倒れ伏している男は、血を吐きながら、そして心底残念そうに言った。
『残念だよ。本当に…』
やめろ、やめてくれ、聞きたくない。
『もうお前をこのパーティーに置いておけない』
その言葉と共に、俺は全てを失った。それまで築き上げてきた信頼も、立場も、絆すらも全て無に帰した。
何かを持つことも許されず、ボロ布一枚で地下牢に放り込まれた。あの日のことを、忘れたことはない。
俺じゃない、何かの間違いだ。
何度叫んでも、最早誰も俺の言葉に耳を傾けることはなかった。
今回も同じだ。俺の意思でやったんじゃない。
いいや、違う。俺がやった。俺の剣がルナを斬った。
「おい、起きろ。ルナ……!!」
掠れた声で彼女の名前を呼び、震える手で抱きあげた。
その時。
「……?」
鼻腔を突く甘ったるい果実の香り。傍らに散らばったワインボトルの破片。そして彼女の体から静かに脈打つ鼓動を聞いた時、絶望は戦慄に変わった。
視線を感じたのか悪戯っぽく口を歪めて見せた。
『ね?信じてくださいって言ったでしょ』
そんな得意げな声が聞こえてくるようだ。
まんまと嵌められた。全てはこの小娘の掌の上だったのだ。
屋敷の外から、けたたましく多数の足音が聞こえる。ルナが警笛を吹いたことにより、憲兵たちが動き出したのだ。
だが、ハルの制圧という大役をたかが憲兵如きにくれてやるつもりは無い。この人騒がせな魔女によってどれほどの手間を取らせられたことか。数えるだけでも苛立ちが込み上げてくる。
「魔女よ。俺はもう、貴様の操り人形ではない」
自ら術を打ち破った今ならば、その魅了魔法の解除方法は明白だ。そして手中が明らかになった魔術師を無力化させることなど、赤子の手をひねるよりも容易い。
身体に残る魅了魔法の残穢を浄化すると、先程まで霧が勝っていた思考が澄み切った青空のように冴える。無駄に浪費した魔力も大方戻ってきたようだ。
となると、残された仕事は目前の敵の排除のみ。
「な、なによ!来ないでよ!」
俺が魅了魔法を解除した事に動揺するハルは、威嚇するように黒い弾丸をこちらに向けて乱射する。しかしそれは弾と称するにはあまりにも稚拙。指を鳴らしただけで風魔法と相殺できるほどだ。
「魅了魔法以外は見習い以下か」
「ほんっとうざい!なんなの!なんで私の思いどおりになんないのよ!」
世の事柄が自らの思いのままになるなど、ただの幻想。我欲に溺れ他人を貶めた罪を、今こそ精算する時だ。
「案ずるな、殺しはしない」
口ではそう言いながら、手中には全力の魔力を込める。これまでのこの魔女の所業を思えば、多少痛い思いをさせてやったとして罰は当たるまい。
「あぁあもう!あんたも死んじゃえぇ!!!」
半狂乱になった魔女から放たれる魔力弾は、わざわざ避ける必要もない。掌に込めた魔力を圧縮し、ハルに向けてかざしてみせる。
「これで終いだ」
勢いよく放出された魔力はハルの魔力弾ごと周囲を焼き尽くし、彼女の体を緑色の炎が包み込む。そしてそのまま中央階段の踊り場まで吹き飛び、領主の肖像画に勢いよく叩き付けられた。肖像画は大きく歪み、壁にめり込んだハルが反撃しようと手を伸ばす。
しかし魔力が尽きた魔女はただ、泣き出しそうな声を上げるだけだった。
「……んで……?なんでよ、私、は…ヒロイン、なの……よ」
その言葉を最後にハルは沈黙し、舞踏会会場にはようやく静寂が訪れた。
「さっすがビョルンさん、スカッとしましたね!ざまぁみろ!」
身体を真っ赤にしながら、ムクッと起き上がって宣う小娘が小憎たらしくて仕方がない。思わずその丸い頬に両腕を伸ばして、包み込んだ。そしてその小憎たらしい額に己の額をぶつける。硝子のように繊細なその小娘の体を壊さぬよう、細心の注意を払った。
「……お前」
「はい?」
ころん、と首を傾げてみせる子猫の鼻を強めに摘む。言いたいことは山ほどあるがとりあえず、切り刻まれ、ワインでベタベタになったドレスに一言。
「負債が金貨100枚分増えたな」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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※次回第69話『満身創痍のフィナーレ』の更新は2月21日18時です




