59_愛されヒロインの視線の先は?
第59話です。
ドレスアップしたエルフはきっと目を引くほどに美しいのでしょう。良くも悪くも集められた注目は、OLにとって運を引き寄せる鍵になるのか?お楽しみいただけると嬉しいです。
ハルは熱狂する群衆の隙間から、ふとこちらに視線を向けた。
げ、気付かれた。
彼女はまるでモーゼが海を割るように群衆をかき分け、こちらへと歩み寄ってくる。その光景は彼女がこの場の「絶対的な支配者」であることを無言で誇示していた。
「あら」
ハルがわざとらしく扇を開き、私たちの目の前で立ち止まった。近づいたことでふわりと漂ってきたのは、むせ返るほど甘く、それでいて肌の奥がチリつくような、人工的な花の香り。エリザベスさんは質素なシスター服の時ですら自然で華やかな香りがしたのに、大した違いだな。
彼女は優雅に首を傾げ、陶酔したような吐息を漏らしながら、ビョルンさんを見上げた。
「こんなイケメンなエルフの方に会えるなんてね。視察なんて面倒だったけど、来て良かったかも」
ハルは驚きと喜びに満ちた表情を作って、ビョルンさんに微笑みかけた。
「……でも、見る目はなさそう」
ハルは面白くないものを見るように私を見下ろす。しかしふと、私の目元を見て、なにかに気づいたように目を捲った。
「どこかで会った?その泣きぼくろ、なんか見た事ある」
「以前、ルーンデールの広場でお目にかかったことがございます」
私は恐れることなく、堂々と言い放ち頭を垂れた。
「あっ、カレーパンの!」
ようやく思い出したのか、彼女は嘲るような笑みを浮かべた。
「あんな油臭い女が、なんでここにいるわけ?」
「バジル商会からご招待を頂いたのです」
「ふぅん。あっそ」
そして彼女は私の耳元に唇を寄せると、ゾッとするほど低い声で囁いた。
「この場に来たこと、後悔させてあげる」
ゾワリと背筋が震える。しかし屈するわけにはいかない。私はハルを睨みつけると、彼女はフンと鼻を鳴らしてビョルンさんに向き直った。
そしてハルは砂糖菓子のように甘い声で、ビョルンさんに話しかけた。
「ねぇ。あなた、名前は?」
「……ビョルンと申します」
ビョルンさんは静かに答える。それに対してハルはまるで花が咲くような笑顔で微笑んだ。
「そう、ビョルン様。あなたみたいな美しい殿方が、どうしてそんな端の方で退屈そうにしていらっしゃるの?」
ハルは指先を自分の口元に当て、潤んだ瞳でビョルンさんを見つめる。あざとい仕草に吐きそうになるが、かろうじて我慢する。
彼女の背後に控える男たちが、羨望と、自分たちのマドンナを虜にしたビョルンさんへの憎悪が混じった視線を投げかけてくる。
「生憎ながら、私は人混みが苦手な質でして」
ビョルンさんの言葉は丁寧だけど、声は地を這うように低く拒絶を隠そうともしない。だがハルはその拒絶さえも「高潔なエルフらしさ」と捉えたのか、楽しむかのようにさらに一歩、距離を詰めた。
「ま、簡単に堕ちない男って言うのも、たまにはいいかもね」
ハルは流れるような動作で白魚のような右手をビョルンさんの目の前に差し出した。宝石を散りばめた指先が、シャンデリアの光を反射して怪しく光る。
「一曲、私と踊っていただける? あなたみたいな人と踊るのぅて楽しそう」
それはお願いではなく、誰もが拒めない命令だった。
会場中の空気が、ハルの差し出した手に集中する。ビョルンさんの視線はその手に固定されたまま。手を見つめるビョルンさんの瞳が一瞬、氷のように冷たく細められたのを私は見逃さなかった。断れば不敬、受ければ「魅了」の毒牙にかかるかもしれない。
ハルにとって石ころ同然の私は、ビョルンさんの腕を掴んだまま、息を呑んで立ち尽くすことしかできなかった。
ハルの微笑みはどこまでも完璧で、天使のように愛らしく、聖母のような慈愛を感じる。しかしその瞳の奥には、自分の美しさに傅かないものなどこの世に存在しないという、底なしの慢心が渦巻いていた。
沈黙を破ったのは、ビョルンさんの完璧なまでに優雅な一礼だった。
「私のようなしがない商人にとって、この領で最もお美しい奥様と手を取り合うなど、大変恐れ多いことでございます」
深く頭を下げたまま、ビョルンさんは静かに言葉を続ける。
「私があなたとこうして言葉を交わすだけでも、領主様は私の首をはねてしまいそうですから」
ビョルンさんは顔を上げ、ハルの傍らに近づいた伯爵へ、その尊大な自尊心をくすぐるような視線を向けた。
案の定、魅了魔法によって骨抜きにされている伯爵は、その独占欲を肯定されたことに鼻を高くした。
「賢明な判断だ、商人よ。我が妻はこの国で最も清らかで美しい。ハル、私以外と踊る必要などないだろう?」
伯爵は満足げにハルの腰を引き寄せた。
これでやっと引き下がってくれるだろう。そう思った私の期待は、ハルの唇から漏れた艶やかな笑い声にかき消された。
「ふぅん……そうくるか。ますます気に入っちゃった」
ハルの瞳が、嗜虐的な色を帯びてギラリと光った。
彼女にとって自分の誘いを言葉巧みに交わしたビョルンさんは、既に魅了した男たちにはない刺激だと捉えてしまったらしい。
なんて粘着質で嫌な女!
「じゃあ、こうしましょ? 私は旦那様とこのまま踊るわ。その代わり、あなたもそちらのお姉さんと一緒にフロアへいらっしゃいよ」
ハルは私の存在を初めて認めたかのように言うが、その瞳は相変わらずビョルンさんだけを見つめて言い放った。
「あなたみたいな紳士が、レディをどうエスコートするのか知りたいわ」
それは、逃げ道を塞ぐための強制的な「ペアダンス」の命令だった。
「さ、行きましょ?旦那様」
ハルが伯爵を促し、優雅にフロアの中央へと滑り出す。
逃げ場を失った私は、青ざめた顔でビョルンさんを見上げた。作戦前にこんな目立つこと、本当は避けたかったのに。
楽団が次の一曲、流麗で重厚なワルツを奏で始める。こんな曲知らんし、リズムすら分からない。絶望していると、ビョルンさんは覚悟を決めたように、私に手を差しのべる。その手を取ると、まるで身体が勝手に動いているんじゃないかと言うほどに自然な動きで足が動いた。
「あの、ビョルンさん……私、ダンスはからっきしで」
「だろうな」
ビョルンさんは吐き捨てるように呟くと、私の腰に大きな手を添えた。その手のひらの熱が、震える私の背中を支えてくれる。
「下を見るな。俺の足を踏んでも構わん」
「で、でも」
「お前は俺に動きを合わせるだけでいい。出来んとは言わせん」
有無を言わさない口調、しかしその言葉尻からは私への強い信頼を感じた。確かに社交ダンスなんて知らない、経験のないことをこんなに多くの人の前で披露するなんて怖い。
だけど、ビョルンさんと一緒なら、なんとかなる気がする。いや、何とかしてみせる!
「やってやりましょう、ビョルンさん」
私たちは、嘲笑うようなハルや周囲の視線を正面から受け止めながら、光り輝くダンスフロアへと踏み出した。
煌びやかな人々が入り乱れるダンスホールの中心は、もはや社交の場ではなく、静かな悪意が渦巻く戦場と化していた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回も引き続きよろしくお願いいたします
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※次回第60話『戦いの火蓋と決戦のコング』の更新は2月17日12時です




