53_馬車移動は現代人に辛いよ
「おや、主役のご登場だね」
部屋を出た廊下にはアニタさんとロッドさんが待っていた。コルセットとハイヒールで身動きが取りにくい私を見て、アニタさんは大きな声で楽しげに笑った。
「あっはは!ルナ、あんたまるで産まれたての子鹿じゃないか。しっかりおし!」
「うっ、すみません!」
慌てて背筋を伸ばそうとするが、グラついてしまってあまりにも不安定だ。対照的に正装で凛と立つビョルンさんに、二人は満足そうに頷いていた。
「ちょっとビョルン、なにボサっとしてんだい。パートナーを支えるのがあんたの役目だろうが」
「……世話の焼ける」
アニタさんに言われて渋々、本当に渋々ビョルンさんは私の方に手を差し伸べた。私はその腕を杖代わりにして、何とか持ち直す。
「んじゃ、出発する前に、出席者名簿の確認と作戦内容の最終確認をしておこう」
執務室に入ると、ロッドさんは舞踏会の出席者名簿と商人ギルドの帳簿を出して、内容の最終確認をするように促した。もちろん出席者の名前も帳簿の数字も既に昨晩確認したので頭には入っているし、裏帳簿との整合性だって忘れたわけじゃない。それでも万全を期す必要はあるだろう。
私たちの作戦内容はこうだ。
その1、私とビョルンさんが舞踏会に潜入する
その2、ダンス終了後、エリザベスさんが登場
その3、エリザベスさんとクレイモアさんが裏帳簿について弾劾する
その4、動揺しているハルに自白剤入りの水を飲ませる
その5、ハルが自らの罪について告白する
その6、ハルに魅了されていた人々の魅了を解除する
その7、クレイモアさんが衛兵を呼びハルを捕らえる
「質問は?」
「エリザベスさんとは現地で合流すればよろしいのですね」
「クレイモアさんが迎えを寄越したそうだよ。大層派手なご登場になるだろうさ」
「楽しみですね」
ね。と、ビョルンさんを見ると彼はただ鬱陶しそうに肩をすくめるだけだった。どうせ『喧しいのは御免だ』なんて考えているんでしょうけど、この人は。
執務室の扉が叩かれて、バジル商会の馬車が商人ギルドに到着したことを告げる。
アニタさんは私の手を強く握って、ロッドさんはビョルンの肩を叩いた。
「さぁ、行っといで!ルナ、ビョルンから離れるんじゃないよ!」
「健闘を祈っておるよ、二人とも」
「はい、行ってきます!」
アニタさんや商人ギルドの人たちに見送られ、意気揚々とバジルさんが手配してくれたの馬車に乗り込んだ。
しかし、乗り込んで数分後。
「「……」」
緊張からか、私とビョルンさんの間の空気はとても重い。馬車の軋む音だけが、やけに大きく聞こえる。豪華な座席だが、慣れない座席におしりが痛くなってしまいそうで落ち着かない。
ルーンデール郊外のバジル商会の豪邸まで、馬車で四時間はかかるという。なんでも険しい山道を通るから、馬車で走ると相当時間がかかってしまう場所にあるのだとかなんとか。
とにかく、ちょうど陽が傾きかけた頃合いには到着するだろう。今はまだ昼前の太陽がさんさんと降り注いでいる時間帯だが。
移動の間、本でも読んでいようかとクラッチバックからロッドさんから借りた本を取り出した。ビョルンさんは静かに目を閉じて、休むことにしたようだった。確かに一昨日はダンジョン、昨日は『水鏡の妙薬』の調薬と相当無理をしてもらっていたから、疲れが溜まっているだろう。今はそっとして、眠らせておいてあげよう。
ロッドさんから借りた本は、この世界の魔法についての参考書。ハルや私などの異世界人特有の「ユニークスキル」について何か手掛かりがあれば良いなと思って書斎を漁ってた私を見かねて、ロッドさんが声をかけてくれたのだ。
『魅了魔法はいわゆる精神汚染の類、いわゆる黒魔術に分類される』
ユニークスキルが黒魔術なんて、ハルも運がなかったのだろうな。
私だってビョルンさんに助けて貰わなかったら、どうなっていたか分からない。私のユニークスキル『招き猫』だって、実際にどんな効果をもたらすのか未だ憶測の域を出ないし、使い方もよくわからない。
「もしハルが、無意識に……本当に悪意なく、人々を魅了しているのだとしたら」
ハルのこれまでの行動、浪費や略奪婚は許されることじゃない。でも、今回の作戦が成功して、人々の魅了が解かれたのなら…。
「ひとりぼっちに、なっちゃうのかな」
それは、きっととても寂しいのだろうな。知らない世界、知らない人たちに囲まれて、ハルはどうやって生きていくのだろう。己の罪を抱えながら、一生、この世界に留まるのだろうか。故郷にも帰れずに。
何を弱気になっているんだ、星宮瑠奈。ハルは商人ギルドや街の人たちを苦しめている張本人。同情なんかすればたちまち足元を掬われてしまう相手。余計な事を考えると足元をすくわれるぞ。迷いを振り払おうと首を振った、その時。
「こうなるまでに引き返すことも可能だったはずだ。それを選ばなかったのはあの女自身、つまりこれはただの因果応報だ」
「わっ、びっくりした。起こしちゃいましたね」
不意に返事が聞こえて肩に掛けたショールがずり落ちる。眠っていたと思っていたビョルンさんは、目を瞑ったまま私の独り言を聴いていたのだ。少し気恥ずかしく、そして居た堪れなくなって目線を足元に落とした。
「ごめんなさい。作戦の直前なのに、迷ったようなことを言ってしまって」
「……ふん」
ビョルンさんは気だるげに右目だけを開けて、私をまっすぐ見た。いつもその瞳を隠している前髪が整えられているせいで、非常によく見える。そのせいか、普段よりもその目が強い光を放っているように錯覚してしまう。
「お前が交渉相手の事情すら鑑みない者ならば、アニタたちはとっくに切り捨てていただはずだ」
ふぅ、と小さく息をついてさらに言葉を続ける。
「ここらの領民たちは慈悲深い。たとえエリザベスが返り咲いたところで、そう悪いようにはしないだろう」
それは私の不安を見透かしたように的確だが、ビョルンさんらしくない楽観的な返事だった。だけど、私だって鈍いわけじゃない。
そんなに簡単にことが進むのならば、きっと私の出番なんてなかったはず。きっとハルに待ち受けている現実はもっと過酷なものだ。
でも。
今だけはビョルンさんの言葉を信じたくて、私は小さく頷いた。私の言葉なき返答に満足したのか、ビョルンさんはそのまま右目を閉じて、穏やかな寝息を立て始めた。




