52_ドレスアップという名の武装
「いだだだだだ!!」
私の叫び声が、早朝の静けさに包まれていた商人ギルド中に響き渡った。
私は今、この世界に来て初めて心が折れかけている……かもしれない。
ポーシャさんに手伝って貰って昨日アニタさんに頂いたドレスを着ようとしているのだが、ポーシャさんは昨日の店員よりもさらにキツくコルセットを締めようとしてくるのだ。そのせいで胃腸が圧迫されて、正直中身がいつ出てもおかしくない。
吐きそう、マジでやばい。
「ルナちゃん、ガマンして! このクビレのラインが超! 重要ポイントなんだから!」
「でもこれ……! な、内臓が……内臓が飛び出、ぅ、ぐえッ……!」
「ちょっと! 晩餐会でそんな声を出しちゃダメだよ。お上品にしなくっちゃ」
「お上品にします、しますから、もうちょっとだけ緩めていただくことって」
「できません!」
「そこをなんとか!」
「できません!!」
「ですよね!!」
ポーシャさんとの押し問答を繰り返しながらも、ようやく後ろのリボンが結ばれる。やっとだ、助かった。
「やっと終わり……」
「なわけないでしょ。次は髪とお化粧!」
「ひぃいー! 勘弁して!」
なんて私の悲鳴に耳を貸すことなく、ポーシャさんは私の髪をガシガシと櫛で梳かし始めたのだった。
「死ぬかと思った……」
「ルナちゃんってば、準備だけで大袈裟だよ。コルセットなんてみんな巻いてるよ?」
「私はしがない行商人ですから……」
「次の支給品に、コルセット追加してもらおうかな」
「勘弁してください」
ポーシャさんが満足気に言って、鏡を見るように促してくれた。ようやく煩わしい身繕いから解放されて、恐る恐る鏡に映る自分を見る。
そこにいたのは、先ほどまでの煤まみれの作業着を着ていた小娘ではなかった。
薄い水色のドレスは肩と背中を大胆に露出し、胸元には花の刺繍が施されている。締め上げられたコルセットのおかげで、普段は意識しないはずのウエストの曲線が、息をのむほどに際立っていた。
ポーシャさんが仕上げてくれた髪は、細やかな編み込みと耽美な真珠と花の髪飾りで飾られていた。普段雑にまとめたお団子とは、比べ物にならないほど華やかだ。本当に同一人物かどうかも怪しいくらいに。
「完璧! ルナちゃん、すっごく綺麗だよ!」
ポーシャさんの言葉に、恥ずかしさを覚えて俯く。が、すぐにアニタさんの言葉を思い出して顔を上げる。この服は所謂、今夜の舞台に立つための鎧、戦闘服なのだ。
着ている本人が沈んだ表情なんかしていられない!
「ありがとうございます、ポーシャさん」
顔を上げて一歩前に足を踏み出す。が、ヒールが高くてグラついてしまう。ポーシャさんが慌てて手を取ってくれなければ私は無様にひっくり返っていたことだろう。
「まぁ、すごく、動きにくいですけど」
「そこは我慢!」
「でもこれ、本当に転んでしまいそうですよ」
流石に心配になってポーシャさんに問うと、彼女は自信満々に胸を張って答えた。
「大丈夫! ルナちゃんにはちゃんとエスコートしてくれる人がいるじゃない!」
「エスコート?」
エスコートっていうと、あれか。男の人が女の人をリードするとかそういうやつ。映画でしか見たことないけど、やっぱり晩餐会とはそういうものなのか。
待った。一体誰が私のエスコートをするの? 何も聞いていませんけど?
ギィ……。
部屋の扉が静かに開いて、重い足音が響く。その足音はいつもよりも重そうで、少し引き摺るような音だった。
「不満げだな」
「ビョルンさん!」
彼もまた、いつもの黒いマントではなく、濃紺の生地に金糸で装飾が施された上品なギルドの正装に身を包んでいた。
白シャツに高級そうなシルクのタイを結び、腰には普段より磨かれた剣。細身の体躯にぴったりと合った仕立ての良さが、彼の持つ冷たさと優雅さを際立たせている。
そして何より際立っていたのは、いつもはボサボサの小麦色の髪と無精髭が綺麗に整えられたその顔だ。いつもは隠されていたライムグリーンの瞳は長い睫毛に縁取られた朝日にキラキラ煌めいて、まるでどこかの国の王族のよう。その嫌味なくらいに美しい姿に、私は思わず口から本音が飛び出た。
「きれい……」
あっ、と思った時にはもう遅い。一度飛び出した言葉は取り消せない。
「あ、えと、すみません!」
私の言葉を聞いた彼の耳が、落ち着かなげにピクリと震える。そして目線が右へ左へ行ったり来たりした後、足元に落ちた。
「……穴は」
「はい?」
突然の言葉に思わず声がひっくり返る。穴?
「穴は空いていないかと、聞いている」
その問いは『俺の着ているものに、不備はないか?』……つまり『この装いが似合っているか』という、不器用極まりない遠回しな質問だった。
その回りくどさに、私は思わず吹き出しそうになった。ポーシャさんが『あのビョルンさんが!』と隣で感激のあまり震えているのに気づき、なんとか堪える。
「いいえ、ビョルンさん。お洋服に穴は空いていませんよ、完璧です」
にっこり笑って答えると、ビョルンさんはすぐにいつもの無表情に戻り、そっぽを向いた。
「……そうか」
彼の耳だけでなく顔の端が、ほんのわずかに赤いのを見逃さなかった。
だけど一言、言わせて欲しい。
「……このやり取り、普通逆では?」




