47_仏の顔も三度まで
それから三十分後、私は中央市場沿いの立派な建物、そしてこの街で最も大きな宝飾店の本店にいた。しかもその店内の、試着室のど真ん中。
「あ、あのぅ、アニタさん。これは……?」
今、私は高級なシルクで作られたオレンジ色のドレスを着させられ、三人の店員に囲まれてドレスアップされている。なんで?
「仕事のついでってやつさ。うーん、あんたはなんでも似合うから迷っちまうね」
「アニタさん?」
「あ、そっちの色も可愛いね。ピンクっていうのか、薄桃色っていうのか。それも着せてみておくれ」
「アニタさーん?」
「あと髪飾りはそっちの花のやつがいいね。そう、右のだよ。ルナの髪に合わせるならやっぱりシルキーホワイト・パールだろ」
ダメだ、全然聞こえてない。
チラリと見えた背中の値札。その値段を見てしまい、びしりと固まった。掠れた声で何とかアニタさんを呼ぶ。
「ちょ……! アニタさ……これ、ね、値段……! 金貨ひゃく……!?」
「あぁ、あたしのポケットマネーだから気にするんじゃないよ」
気にします! 大いに気にします!!
そう叫びたいのをグッと堪えて、ドレスに一本のシワも残さないために直立不動になる。
「ルナ、あんたは試着を続けな。あたしはちょいと店主と話があるんでね」
「はい……ぅぐえッ」
アニタさんを見送ると同時に、コルセットの紐をグイッと強めに引き絞られて、カエルが潰れたみたいな声が出た。
「はぁ……」
ようやくトレスの着付けが終わって、一人試着室に取り残された。結局いちばん似合うと言われたオレンジ色のドレスを着たまま、姿見の前に立つ。日本ではあまり見かけない服装に、ここが異世界だということを思い知らされた。
——カランカラン!
玄関口のベルがけたたましく鳴り響き、大きな音を立てて一人の客が宝飾店に入ってくる。
「おい、店主! 例の注文書だ、さっさとしろ!」
この聞き覚えのある、嫌味ったらしい声は……。
「おい、いないのか! まったく、この私を使い走りに出すなど、あんの小娘……!」
以前商人ギルドに来たセクハラ役人、ことゼルマンはその手に羊皮紙を持ってカウンターに肘をついていた。
私が試着室から顔を覗かせると、ゼルマンはニヤケ面で近づいてくる。
「……ほぉ? 貴様、あの時の小娘か」
ズカズカと近づいてきて、舐めまわすように見る。やっぱりこの下品な男は好きになれない。
「着飾ればまだ商品になるものを。まだ商人ギルドなど非効率的な組合に属しているのか?」
「私は商人ですから」
「貴様の商品は、自分自身だと自覚しろ」
ゼルマンはそう言うと、遠慮もなく私の肩に手を回し、水色のドレスの生地を指先でねっとりと撫でた。
「ほう、見事な生地だな。こんな高級品、貴様のような貧相な小娘には重すぎるだろう?」
「……離してください。シワになります」
私が冷たく言い放ち、その手を振り払おうとすると、ゼルマンは逆に強く私の腕を掴んだ。以前、ギルドで掴まれた時と同じ、骨が軋むような嫌な感触だ。
「口答えか? 貴様のような小娘はな、一度『商品』として市場に流されれば、自分がどれほど無価値な存在か思い知るだろう。それとも、私が直々に調教してやろうか?」
「な……っ!」
耳元で囁かれる不快な声に、怒りで視界が赤く染まりそうになる。それなりに社会の波に揉まれてきた私は、最低な上司や取引先に会ってきた。けれど、ここまで尊厳を土足で踏みにじる男は初めてだ。
「おや、怖い。そんなに睨まれては、買い手がつかなくなってしまうな」
ゼルマンは私の顎を指先でクイと持ち上げ、品定めするような下卑た笑みを浮かべた。
「安心しろ。娼館に行けば、その気の強さも売りにできる。……あぁ、だがその前に『献上品』として、私が毒見をしてやってもいいぞ?」
マジで最悪な男。なんでこんな男がこの店にいるんだ。役人って案外、暇なのか?
「……?」
そう思って睨みつけると、ふとゼルマンが持っている羊皮紙が目に留まる。そこでふと思いついた。鑑定グラスで羊皮紙の内容を覗き見ることが出来るんじゃなかろうか?
その為にはもう少しだけ、近づく必要がある。ものすごく嫌悪感があるけれど、仕方がない。
ここはひと芝居打ってやろう。
「お役人様は、どうしてそのようなお仕事に詳しいのですか」
私はわざと先程のトゲトゲしさを消して、上目遣いでゼルマンを見上げる。内心は反吐が出そうだけれど、今は我慢だ、星宮瑠奈!
「ほう……?」
私のしおらしい態度に気分を良くしたのか、ゼルマンは声を和らげた。よし、怪しまれてはいなさそう。
「領主様は前妻のエリザベスと婚姻を結ぶ前から、市井の女共と戯れていらっしゃった。その女共を選別するのも、我ら家臣の仕事ということだ」
領主のクズっぷりがまたひとつ露呈した。領主は情けをかける必要のない、女の敵だ。
「街の人たちは、みんな領主夫人に夢中でしたよね。お役人様は違うのですか?」
「ハッ! あの我儘娘など私の食指が動かんな。可愛げもなければ貧相で食いでもない」
「じゃあ、私は『食いで』がある?」
「そうとも。貴様はあの小娘よりも賢そうだ。その生意気な態度も、男を煽るというものよ」
「……ありがとう、ございます」
私はさらに一歩、ゼルマンに歩み寄った。嫌悪感で吐き気がするが、視線を領主の印章が押された「注文書」に固定する。鑑定グラスの焦点を絞ると、空中にぼんやりと文字が浮かび上がった。
『注文内容:紅蓮宝玉の指輪、金貨五千五百枚。伯爵夫人への献上品』
ビンゴ!
幸運なことに、この宝飾店はハルとの繋がりがあることが証明された。これで裏帳簿を入手さえ出来ればミッションコンプリート。
「あなたのお陰で、目的達成できました」
私はニヤリと笑う。そして渾身の力で右手を振りぬいて、ゼルマンの横っ面をぶん殴った!
「ぶへぁ!?」
「あぁ、スッキリした!」
勢い余って地面にぶっ倒れたゼルマンの手から羊皮紙を奪い取り、アニタさんの元に走る。途中で店内に置かれた箱をいくつかひっくり返したけれど、今は気にしない。
「ルナ!」
そこでちょうどアニタさんが奥の扉から姿を現して、私を抱きとめてくれた。ナイスタイミングだ!
「よくやったじゃないか」
「はい! やりました、アニタさん!」
暴力に訴えるなんて商人あるまじき行為だ。それでも一発どうしても食らわせてやりたかった。これまでこの男に踏みにじられてきた人達の分のためにも。
「アニタ!? な、何故貴様がここにいる!」
ゼルマンは私のドレスをつかもうとしたけれど、アニタさんが立ちはだかることによって阻まれる。アニタさんの顔は般若よりも恐ろしく、ひと睨みされただけで食い殺されてしまいそうだ。
「可愛い弟子のために、服を誂えてやろうと思って来たんだが。これは思わぬ収穫だったねぇ?」
「あぁっ!」
部屋の奥から出てきた宝飾店の店主は、情けない声を出して、私が先程ひっくり返した箱をかき集めようとした。
「ほう? これは、また都合のいいものが落ちていたもんだ」
アニタさんはニヤリと笑い、その深紅の宝石を光にかざして眺める。
「こいつはダンジョン産の『紅蓮宝玉』……しかもこの輝きなら最高級クラスだろうこいつ一粒で、一等地の屋敷を買うこともできるだろう」
「そ、そんなに……!」
「あんたも商人なら、自分の目を磨きな。道具に頼りきりじゃなくてね」
私はアニタさんにガシガシ撫でられながら、その宝石を覗き見た。
その宝玉の色はただの赤と表現するには言葉が足りない。大きさは小指の爪ほどだが、緻密にカットされたファセット一つ一つが光を捉え、中心から炎が燃えているかのように強烈な輝きを放っている。
「ダンジョン産は貴族に売るのが通例。しかも最高級品質は領主クラスの貴族にしか卸せない。だがそんな報告、うちのギルドには上がっちゃいないんだよ」
そしてゼルマンが持っていた『注文書』を、アニタさんは鬼の首を取ったように掲げる。
「この店が、貴族と癒着してたっていう動かぬ証拠だ。これでもう言い逃れはできないよ!」
店主はガタガタと震えてアニタさんを見上げる。しかし彼を見つめるアニタさんの目は、悲しくなるほど冷たかった。
「だが……おかしいね。紅蓮宝玉は高級でもせいぜい金貨五千枚がここらの相場だ。その袋には六千枚は入ってるんじゃないかい? なぁ、ゼルマン」
ゼルマンの腰の袋の大きさを品定めするように、堂々と見て言い放つアニタさん。
「な、なに、何を言うか! 適当なことを抜かすな!」
「あたしの目を舐めるんじゃないよ!」
アニタさんの怒号が雷のように轟く。ゼルマンと店主は今にも失神しそうなくらい白目を剥きながら、なんとか立っている。
「店主。この店の紅蓮宝玉の値はいくらだい」
「ご……五千五百枚、です」
「ふぅん。じゃあ金貨五百枚は一体どこに消えていたんだろうね?」
アニタさんがゼルマンを見ると、今度こそゼルマンは地面に這いつくばってアニタさんに頭を下げた。その必死さは今にもアニタさんの靴でも舐めそうな勢いだ。
「頼む! 後生だ!領主様には言わないでくれぇ!!」
「横領を認めるんだね」
アニタさんはすっと目を細めて、冷たい声で言い放つ。
「呆れた男だ。この国じゃ、貴族の金を横領した輩は問答無用で絞首刑になる。その覚悟もないのに、他人様の金を盗んでたってのかい」
私は思った以上に重い刑罰に、身震いした。
「あ、アニタ……! 頼む、なんでもする! なんでもするからッ! 領主様にだけは、黙っていてくれぇえ!」
「『なんでも』?」
「そうだ、『なんでも』だ!」
あぁ、言っちゃった。
取引の場において『なんでも』は最も言ってはならない単語なのに。
「ハルからの注文書、写しはどこかにあるんだろう? そいつを全部、今日中にギルドに持ってきな」
「そ、それは……!」
「できない? そうかい、じゃあ今すぐにでも憲兵に知らせようかね。『領主様の金を横領した役人がいる』って」
「やっ、やめてくれぇ!」
「じゃあ、あたしの言った通りにできるね?」
アニタさんはドスの効いた声で言い放ち、鋭い眼光でゼルマンを見下ろす。
「もう一度だけ聞く。今日中に、注文書を持ってくるんだ」
「わ……わかった、わかったから。憲兵だけは……」
とうとう折れたゼルマンはみっともなく泣きながら床に土下座する形で頭を擦り付け、アニタさんに懇願する。そしてアニタさんは宝飾店の店主も睨んで、静かに言い放つ。
「あんたも。自分の店が横領に使われてたって言いふらされたくなきゃ、さっさと裏帳簿を出しな」
アニタさんは店主の目を鋭く射抜く。
「そうすりゃ、あんたは貴族との関係を断ち切ったと見なす。奥様の甘言に惑わされた可哀想な被害者として、店を再建するチャンスを与えてやる。だが、これ以上無様を晒せば……次にここに来るのは、憲兵隊だろうね」
その言葉には、一切の情け容赦がなく、商人ギルドの頂点に立つ者の絶対的な決定が込められていた。
「わ……分かり、ました……!」
店主は膝から崩れ落ちるようにカウンターに倒れ込み、懐から銀の鍵を差し出した。
「奥の……金庫です。全て……そこに、あります」
アニタさんは私の方を向いて顎をしゃくった。
店主から鍵をむしり取って店の奥に隠された金庫を開けると、そこにはいかにもな黒革の手帳が鎮座していた。
「アニタさん、帳簿がありました!」
「フン。手間かけさせやがって」
帳簿にはハルや領主との取引内容が詳細に書かれており、金貨数百枚ごとの取引が一年前から何度も繰り返されていることを示していた。
これほどまでの大金が、たった一人の宝飾品に消えていたなんて。この金貨があればどれほどの民がお腹いっぱい食べることができただろう。
そう考えると、怒りが湧いてきた。だが今は怒りに任せて行動するべきじゃない。ゼルマンと店主を睨みつけるだけに留めおいた。
「さ、目的は済んだんだ。ギルドに戻るよ、ルナ」
アニタさんは優しく笑って、私の怒りを諌めるように頭を撫でてくれた。その顔はいつもの穏やかなアニタさんだった。
アニタさんはゼルマンや店主に目もくれずに、堂々とした足取りで店を後にした。その大きく頼もしい背中を追いかけるように、私も店の玄関扉をくぐるのだった。




