41_招き猫が招いた幸運
「く……」
これほど膨大な魔力を使うのは、随分と久しい。膝から力が抜けてその場に崩れ落ちそうになるが、かろうじて踏みとどまる。手のひらは血の気がなく、激しい疲労でぐっしょりと汗をかいていた。
「ルナ……!」
小娘は、無事か。
枯渇した脳みそでまず最初に思い浮かんだのは、ルナのことだった。馬鹿げている。否、此度の目的はあの女のユニークスキルが要なのだから、第一に考えるのは自然なことか。
「ビョルンさん、無事でしたか!」
冒険者の声には応えずに、ルナの姿を探した。
「ここだよ、エルフのお兄さん」
魔女が張った防護壁に向かうと、召喚士の娘の傍らに小娘は横たえられていた。水に濡れた髪が青白い顔に張り付き、ピクリとも動かないその姿にすっと背筋が冷えていく。
「おい。起きろ、ルナ」
「大丈夫。気絶してるだけ」
こちらの 焦りを感じ取ったのか、召喚士は安心させるようにいった。普段ならば取り繕うところだが、今は皮肉のひとつも出てこない。
「……そうか」
召喚士の言葉を確かめるように、小娘の胸元に手を当てると、薄い筋肉の下からトクン、トクンとかすかに脈を感じた。彼女の無事を確認して、どっと力が抜けた。
「……ん?」
視線を落とすと、小娘が何かを握りしめていることに気がついた。それは透明な結晶であり、内側から銀色に輝いている。その澄んだ輝きは紛うことなき今回の目的の産物だった。
「この土壇場で『水鏡の結晶』を見つけたのか」
やはり彼女は強運の持ち主なのだろう。いや、彼女のユニークスキルの場合、俺に幸運を運んできたのか。
まったく、掴みどころのないスキルに嫌気がさす。そのスキルのせいで、目の前の小娘が危険に晒されることについて面白くないと感じる自分がいることも、酷く苛ついた。
そんな俺の内心を知ってか知らずか、魔女は全てを見透かしたような瞳でこちらを見る。同族だが、おそらく自分より年上の彼女は、正直苦手だ。年上ならではの余裕とは相性が悪い。
「ねぇ。風魔法と土魔法をあわせるなんて、よく思いついたわね?」
「お兄さんって、実はすごい人?」
召喚士の期待を込めたような瞳を見ることなく、冷たく言い放つ。
「長く生きたエルフならば、造作もないことだ」
「もう、無茶言わないでちょうだい」
やはり魔女は反論してくる。だがその声音はどこか楽しげで、こちらを揶揄っているのは明白だ。
「あんなのをポンポン使っていたら寿命が何年あっても足りなくなるわ。長命なのが取り柄なのに」
「そ、そんなに大変な魔法だったのかい!?」
「問題解決のためだ」
驚きを隠せない冒険者に言い放ち、ルナを起こそうと試みる。だが魔力切れのせいで目の前が霞んで、思わず地面に手をついた。
「ちょっとちょっと、やっぱり相当無茶したんじゃないの。ルナちゃんの前だからって、カッコつけても良い事ないわよ?」
「無茶するの、よくない」
それまで静観していたドワーフが、嫌味たらしい口を開く。
「ハッ! やはりエルフは貧弱だな」
「ちょっとドゥーガン」
冒険者に諌められてもなお、冷たい目でこちらを見据える。対抗するように鋭く睨みつけたが、ドワーフはただふっと肩の力を抜いて、その長く蓄えた髭を落ち着かなげにいじった。
「……だが。小娘のために戦ったことは評価してやらんでもない」
「ドゥーガンったら、素直じゃないんだから」
冒険者は安心したように笑い、こちらを助け起こすように手を差し伸べてきた。その手に敵意も、嘲笑も感じない。あるのはただ、お人好しな厚意だけだ。
だが、俺にはそんな高尚なものを受け取る資格はない。
その手を受け取らずに立ち上がると、すかさず魔女が提案してきた。
「ルナちゃんのことは私たちに任せて、あなたは少し休んだ方がいいわ」
「護衛なら、私たちも出来る」
「そうだね。僕とドゥーガンはヌシの素材を採取してくるよ」
「残らず剥ぎ取ってきてよね。キングナマズなんて、捨てるところがないくらいに高級素材なんだから!」
「分かってるよ」
冒険者とドワーフは颯爽と水の枯れた湖に走っていく。
「火を起こす場所を探しましょ、リーナ」
「うん、わかった」
魔女と召喚士は、ルナを連れて静かな川辺に向かっていく。彼らが川辺に火を起こして腰を落ち着けたことを確認して、俺は休めそうな場所を探すために歩き出した。
今は少し、一人になりたい気分だった。
「……はっ」
震える手先を見て、自嘲気味の笑みがこぼれた。混合魔法を使った程度で、ガタがくる身体になってしまっていたとは。なんとも聞いて呆れる醜態だ。
「ねぇ、同族さん」
ふと背後を振り返ると、同族の魔女が立っていた。
「一人にしてくれ」
「そうでしょうね。だから要件だけ手短に聞くわ」
フードの下の紫色の瞳をすっと細めて、魔女は言葉を紡ぐ。普段の軽快さはなかった。
「……あなた、何を患っているの?」
全てを見透かすような瞳で、こちらを射抜いた。おそらく、彼女には『全て見えている』のだろうが、こちらから答える気はない。
「まぁ、いいわ。それがどんな呪いなのかとても興味があったのだけれど……」
魔女は肩を竦めて、腰に手を当てた。そしてツカツカとこちらに歩み寄ると、回復魔法の呪文を唱えた。それは魔術師同士でしか発動しない、魔力供給魔法だった。
「おい」
「いいの。今のあなたを見たら、きっとルナちゃんが心配するわ」
ルナの名前を出されて、グッと言葉に詰まる。
「あの娘には言うな」
「ずっと黙っておくつもり?」
普段の柔らかな声とは違う、絶対零度の、温度を一切感じさせない声だった。咎める響きもないにもかかわらず、何故かこちらが謝罪を口にしそうになる。
「言わないなら言わないでいいけど。ちゃんとフォローはしなさいね。あなた、とても口が下手みたいだから」
「……お前に、気にかけられる覚えはない」
「私が気にかけているのはルナちゃんよ」
同族の魔女はそれだけ言うと、ふっと口角を緩めた。いつも通りのお節介な年上の風格に戻り、俺の肩をぱしんと叩いた。
「いい?人の時間は私たちとはぜんぜん違うの。忘れちゃダメよ」
真剣な眼差しをこちらに向ける魔女。
「人の一生は一瞬なの。あなたの一瞬があの子の一生なのよ」
「承知している」
「いいえ、わかってない。わかってないわ」
またしてもピシャリと叩かれた。
「ちゃんと言葉になさいな。でないと、後悔するのはあなたなのよ?」
彼女のお節介が、今は酷く気に障った。だからといって、喚き散らすほど小僧でもない。ため息とともに言葉にならない反論を吐き出して、彼女から距離をとった。
「我々はただの契約関係だ。親しい間柄ではないし、これからもそうなるつもりはない」
それは自分に言い聞かせるための言葉だった。
超えてはいけないラインを、自ら反故にしようとしている。愚かな己に対する戒めとして。
「まったく、頑固な子ね。最近の子って本当に素直じゃないんだから」
魔女は呆れたようにため息をつくと、今度は優しくポンポンと背中を叩いた。
「うまくやりなさいね。あなた達ふたりが上手くいくように祈ってるわ」
花の綻ぶような笑みを向けて、俺の手のひらに小瓶を押し付けてくる。
「それ飲んで、少し休みなさいな。魔力だけ回復させても意味ないもの」
「これは」
「体力回復のポーション。私のオリジナル配合だから、よぉーく効くわよ?」
その真っ赤なポーションはてのひらのなかでたぷん、と揺れる。魔女はふわりと身を翻てして仲間たちの元へと戻って行った。芳醇な花の残り香を振り払うように、彼女とは逆方向に歩き出す。
「……ったく」
エルフの年長者というものは、いつもお節介を焼きたがる。どれほど不要と突っぱねても、軽々とこちらに滑り込んで、助言を残して帰っていくのだ。
俺は小瓶の蓋を開けて、一気に飲み下す。果実のような渋みと酸味が口内をギュッと刺激して、思わず嘔吐く。
「クソッ」
仲間たちの隣で微笑みを浮かべる魔女が、岩場から見下ろしていた。
なにが良薬口に苦し、だ。悪戯好きの魔女め。
飲み込んだポーションにゲンナリしながらも、彼女に小さく頭を下げた。敵意のない贈り物には敬意を表明するべきだ。たとえ、味が悪かったとしても。
俺は内心で毒づいて、今度こそ川辺で目を閉じた。




