236_ふわふわパンケーキに隠された本音
「このバカも鉱業都市連れていくことになった」
翌朝、ビョルンさんはゼノンさんの首根っこを掴んだ状態で食卓についた。ゼノンさんの顔面はボッコボコにヘコんでいる。喧嘩でもしたのかな、と私とユウさんは顔を見合せ、ブランシュさんは回復魔法を使おうとした。
「いい。こいつには多少痛みによる教訓が必要だ」
「ひどいよ坊ちゃん〜」
グズグズと泣くゼノンさんに、蔑むような目を向けるビョルンさん。ミニベロスはゼノンさんの顔をぺろぺろと舐めていた。
「鉱業都市に向かうには、道案内がいる方が都合がいい。ついでに、こいつの魔力を取り戻す」
「俺様、ついでかよ!?」
フン、と鼻を鳴らして、ビョルンさんは床にゼノンさんを落とす。ゼノンさんはめそめそと泣きながら、ビョルンさんの足に縋りついた。
「そんなこと言わないでくれよぉ。俺たちの仲じゃないかよぉ〜」
「はぁ……」
ビョルンさんは耳を下げて、心底呆れたようなため息を吐いて腕を組んだ。本当に心の底から呆れたような様子だが、失望の色はない。むしろ困った兄を持つ弟のような気安さすら感じさせる。
「ゼノンさんにいったい何があったんです?」
「えぇっと、そのう」
ゼノンさんはめそめそと正座をしながら、これまでの経緯を話してくれた。その経緯は意外性に満ちたもので、ビョルンさん以外の三人は驚きで顔を見合わせる。
「相反する立場とはいえ、恋とは素晴らしいことですもの。きっとうまく行く形があるでしょう」
ブランシュさんも困りながらも、しかし慰めるようにゼノンさんに微笑みを浮かべた。
「敵に魔力どころか心まで奪われちゃうなんて……相手はどんな人なんですか?」
ユウさんはというと、興味津々な様子でゼノンさんに尋ねる。ゼノンさんはというと、耳まで真っ赤にして唇を尖らせながら言った。
「えっとな……本当に美しいんだ。月夜に咲く気高い月光花のように、たおやかで、しかし芯の強さを垣間見られる力強い双眸でな」
「もう結構」
ビョルンさんはピシャリと言い放ち、どっかりと椅子に座る。そして朝食のパンを齧り、不満げに言った。
「問題は、鉱業都市でゼノンの魔力がどのようにして使われているかだ」
ブランシュさんの顔が曇る。
「やはり……マキシマ卿は、鉱業都市で何か大きなことを企んでいるのかもしれません」
「ダンジョンで人を誘拐して、強制労働させてまで、一体何をしようとしてるんだろう……?」
ユウさんの疑問は最もだ。ゼノンさんを見るが、彼もまた心当たりがないようでうーんと唸る。五人静寂を破ったのはビョルンさんだ。
「考えても仕方があるまい。我々はやるべきことをやるだけだ」
そしてビョルンさんは、私を見て頷いた。もちろん鉱業都市でのビジネスプランを考えているので、私は立ち上がって早速羊皮紙を突き出した。
「お任せ下さい。鉱業都市での完璧なビジネスプランを披露しますから!」
その日の昼下がり。私たちは鉱業都市に出発しようとしていたところ。
「うーん、なんでこうなる!!」
私は頭を抱えて叫ぶ。正確に言うと私たちは……。
「出発しようとした矢先に大嵐が来ちゃうなんて!」
窓の外は暴風が吹き荒れ、木々がなぎ倒されんばかりに揺れている。古い窓枠はガタガタと揺れて、隙間風がびゅうびゅうと入ってくる。ミニベロスは怖がるように私の足の間で震えていた。
「よしよし、大丈夫」
ミニベロスを抱き上げて、窓の外を見る。ビョルンさんとユウさんは本格的な嵐になる前に、畑の野菜を収穫しに行った。きっとびしょ濡れになってしまうから、タオルを用意しておこう。
「こりゃ数日は缶詰だなぁ」
ゼノンさんは机に頬杖をついて、残念そうに言う。ブランシュさんは悔しそうに俯いていた。
「そう焦るなって、お姫様。焦ったところでな、物事は上手くいかねぇもんなのよ」
ゼノンさんは優雅にブランシュさんに歩み寄ると、グラスに葡萄酒を注いだ。白い葡萄の香りがふんわりと広がって、ブランシュさんの身体から力が抜ける。
「申し訳ございません。私ばかり、焦ってしまって」
「故郷の危機なんだろ? 無理もないさ。だが今はしっかり身体と心を休めるこった」
ゼノンさんは優しく微笑み、ブランシュさんの隣に座った。その目の前にふわっふわなパンケーキが魔法によって運ばれてくる。
「男どもには内緒、な」
ぱちん、とウィンクをするゼノンさん。バターと小麦の香りが鼻をくすぐって、怯えていたミニベロスもきゅうきゅうと鳴き始めた。
フォークを刺すだけでふわん、と形を変えるパンケーキ。その光景を見るだけで、ゴクリと喉が鳴る。大きな一口で頬張ると、シュワっと溶けてなくなってしまった。
「おいしぃ〜!」
長い旅路でこんなにオシャレなおやつを食べたことはなくて、思わず涙が滲む。ブランシュさんも頬を染めて、顔を綻ばせていた。
「もう知ってるかもしれないが、坊ちゃんは食いしん坊でな。まだ若くて何も知らない時に食わせてやったら、たいそう驚いてたよ」
「ゼノンさんはいつからビョルンさんとお知り合いなんですか?」
ゼノンさんは昔を懐かしむように目を細める。
「俺様がまだ現役の旅人として、各地を回ってた時のことだ。あの時代は、こんな南でも魔物がウヨウヨしてた。エルフの集落の近くで出会ったのが坊ちゃんだったのさ」
私は首を傾げた。ビョルンさんの口からエルフの集落の話は聞いたことがなかったから。
ゼノンさんは私の考えを察したのか、優しく教えてくれる。
「まだ坊ちゃんのお母上も生きてた頃だ。父上が亡くなった後は、エルフの里に身を寄せていたんだと」
しかしすぐにゼノンさんは眉を寄せ、悲しげに言った。
「坊ちゃんのお母上はな、伴侶をなくして心の病にかかっちまった。俺様の魔法でも治してやることができなくてな」
「そう、だったんですね……」
「坊ちゃんも見ているだけなのは辛かったろうよ。だからあいつは、人間を遠ざけ、誰かを愛することなんかなかったんだ」
私の知らないビョルンさんの過去。ゼノンさんはなぜ、そんな大切な話を聞かせてくれたのだろう。
「だからな、お嬢様がた」
ゼノンさんはテーブルに身を乗り出し、低い声をだす。ミニベロスがひょこんと顔を上げて、唸った。この場の温度が、ひどく下がった気がする。
「俺様は坊ちゃんを傷つける輩を許せんのだよ」
「っ、ルナ様!」
ぎらり、と鋭い牙がのぞく。ブランシュさんは立ち上がり、臨戦態勢を取った。私は彼女を手で制して、ゼノンさんをまっすぐに見つめる。
「私も、ビョルンさんを傷つける人は許しません」
昨日、ビョルンさんは黒い血を吐いていた。彼が背負わされた呪い、そして奴隷の紋章。それを見て、私が平静を保てているとでも?
「必ず、報いを受けさせます」
怒りなんて非合理的な感情は、ビジネスには不要だ。しかしこれは、私の私情。そして譲れない思い。
「その為に、あなたを利用させていただきます。ゼノンさん」
ビョルンさんの呪いを解くためならば、私は吸血鬼に魂を売ることだって厭わない。
そんな想いを込めて、ゼノンさんの深紅の瞳を静かに見つめた。彼が牙をむいたとしても、私は逃げるつもりはない。いつでもかかってくればいい。
「っは!」
ゼノンさんの口の端から、空気が漏れた。
「はっはははは! ルナちゃん、君、最高だなぁ!」
「へ?」
「あいつが惚れちまうのも、無理ねぇ! こいつぁ参った!」
腹を抱えて笑うゼノンさんと、呆気にとられてしまうブランシュさん。私はブランシュさんと顔を合わせ、同時に首をかしげた。
「お姫様、巻き込んじまって悪かったな。ほら、お詫びのミルクティーだ。これを飲んで落ち着いてくれ」
「え、えぇと……?」
「坊ちゃんが人間を連れてくるのは久しぶりだから、俺様も嬉しくなっちまったんだ。戯れも許してくれ」
ブランシュさんは戸惑いながらも、差し出されたティーカップを手に取る。そしてひと呼吸置いたあと、ゼノンさんに静かに言った。
「驚きましたけれど……お気持ちはとてもよく理解できます。大切な人には、いつまでも健やかであって欲しいですもの」
「そうだろう、そうだろう?」
フフン、と得意げなゼノンさんと、フフフとにこやかに微笑むブランシュさん。しかしゼノンさんの背後で暗雲が立ち込めていた。
畑からビョルンさんとユウさんが戻ってきたのだ。
「俺のいない間に余計なことを話すな」
「ってぇえええええ!!!!」
ドゴン! と、大きな音がしてゼノンさんが机に突っ伏す。その頭の上には大きなタンコブができてしまっていた。
「おかえりなさい、ビョルン様、ユウ様」
「ここの野菜、すごいですよ! すっごく実が大きいんです!」
何も知らないユウさんの無邪気な顔に癒される。対照的にビョルンさんはひどく不機嫌そうな顔をしていた。そしてフン、と鼻を鳴らして吐き捨てるように言う。
「こいつの戯言に気を取られるな」
「戯言とはひどくないかなぁ!?」
ゼノンさんはガバッと起き上がり抗議するが、ビョルンさんは耳を貸さない。そんなワイワイした光景が、なんだか愛おしく思える。私は毛を逆立てたミニベロスを宥めながら、ミルクティーを口に運ぶのだった。




