235_旧友たちの夜
「ったく……手のかかる小娘だ」
晩餐会の喧騒はどこへやら、その日はとても静かな夜だった。酒に酔ったルナを客間の寝床に横たえてやると、またしても腕を抱え込まれた。
「随分と手をかけるじゃねぇの。利き手を預けちまうなんて」
窓際から声を投げかけられる。振り返らずとも声の主は分かりきっていた。俺は抱き込まれていない方の左腕でルナの乱れた前髪を払う。
「こいつにだけだ」
「そんだけ特別ってことね」
否定せずにいると、声の主であるゼノンは呆れたようなため息をついた。彼は人間を愛しているが、それは愛玩のようなもの。俺の感情なんて到底理解に及ばないものなのだろう。
「それで?」
ゼノンはテラスの柵に腰をかけて、腕を組んだ。その深紅の瞳はこちらを試すように歪んでいる。
「二十年顔も見せず……しかも十年前には訃報ときたもんだ。お前、これまでどこで何をしてた?」
その声は凪のように静かで穏やかだ。しかし、その穏やかさには激しい怒りが隠れていることなど、一目瞭然だった。
「しかも、名前まで変えやがって」
そう、彼はまだ一度も俺を呼んではいない。彼のあまりにも自然な素振りのおかげで、誰も気付いていないようだが、俺は痛いほど理解していた。彼は俺が詳細を話すまで、俺を呼ぶことはないだろう。
「話せない」
「……なんだと?」
ゼノンの声が、絶対零度の冷気を帯びる。俺は覚悟を決めて、口を開いた。しかし零れるのは空気がかすれた音と漆黒の泥だけだ。ゼノンの目が見開かれ、こちらに駆け寄ろうとする。しかしその前に飛び起きたのは、腕の中にいたルナだった。
「ビョルンさん……!?」
ルナは飛び起きて、俺の顔を覗き込む。まだ寝ぼけているようだが、俺の瞳を真っ直ぐに見てくるルナを抱きとめて、あやす様に言った。
「問題ない」
「でも、呪いが……! どうしたんですか?」
彼女はひどく心配そうな顔で、俺の口元を拭う。俺はその細く頼りない手を捕まえて、ルナの目を己の手のひらで覆った。
「起こして悪かった。今は眠っていろ」
そう静かに言い聞かせ、呪文を呟いて彼女を文字通り寝かしつけた。ルナの身体からくたりと力が抜けて、胸の中に収まる。
「ルナちゃんにも話してねぇのかよ」
「そういう魔術だ」
俺はルナを胸に抱きとめながら、その長い髪を撫でた。この呪いを背負うのは己だけで良い。ずっとそう思って生きてきた。しかし今は、ルナがいる。目を背け続けた過去と向き合う覚悟はできた。それもすべて、ルナのためだ。
「お前なら解除できるだろう」
俺はようやくゼノンの方に向き直った。彼は驚きと悔しさをない交ぜにした顔を見せている。彼は情に厚い男だ。俺の現状を見て、失望するよりも先に心配するに違いない。だからこそ、彼には頼れないと思っていたのに。
「断わる」
予想外の答えに、今度はこちらが言葉を失う番だった。そんな俺の様子に、ゼノンは忌々しげに舌を打ち、両手をあげた。まるで『お手上げ』とでも言うような、ぶっきらぼうさで。
「そもそもなぁ。お前が勝手に人間とつるんで出ていったんだ。都合のいい時だけ頼るなんて、虫が良すぎると思わねぇのか?」
低く地を這うような声だった。
「……分かっている」
二十年、我々は所謂『喧嘩別れ』をした間柄だ。ゼノンのことだ。ルナ達がいなければ、俺の事などその場で切り捨ててしまっていただろう。それでも彼を頼ったのは、こちらにも引けない理由があるからだ。
「俺はルナを守りたい。たとえ相手が世界であったとしても」
ルナは魔法によって眠らせたため、この言葉が本人に届くことはない。それでいい。俺のこの仄暗い感情など知らないで、呑気な笑顔を晒していればいいのだ。
「手を貸してくれ、ゼノン」
俺は絞り出すように言葉を紡いだ。万が一、ゼノンが牙を向いたとしてもルナだけは守れるように警戒しながら。
そして落ちた沈黙は、肌をちりちりと焼くほどに冷たかった。ゼノンは答えない。ただ俺をまっすぐ見つめていた。人智を超えた存在である吸血鬼の思考を探ることすら、おこがましい。
「はぁああああ……」
ゼノンはその細い体から全ての空気を吐き出すくらいに、大きく、深くため息をついた。そしてその場に脱力して、テラスの柵からぶら下がる。
「あーあ! その顔はずりぃよ! かわいこぶりやがって!」
その顔って、どの顔だ。こちらは至って真剣なのだが。
「俺だって力になりてぇよ。でもなぁ」
ゼノンは煩わしそうに頭をボリボリと掻きむしり、悶え苦しんでいた。彼が何を躊躇しているのかわからない。この男は好き嫌いがハッキリしすぎているくらいなのに、こうも言葉を濁すのは珍しい。
「お前の決断を尊重する」
「分かってる。お前はそういう男だ」
「では何が問題なんだ」
ゼノンが不満げに唇を尖らせ、しゃがみこんで床にいじいじと円を描いている。
「笑うなよ?」
「笑わない」
即答以外の選択肢はなかった。ゼノンとは古い付き合いだ。どんな醜態だって見てきたので、今更失望なんてしない。
「……取られたんだ」
「なにを」
「魔力を」
魔力を吸い取られたということか?
ゼノンは隠遁生活を送る無害な吸血鬼だ。そんな彼から力を奪う愚かな者がいるとすれば。
「吸血鬼ハンターに、か?」
「あぁ」
ゼノンは縮こまりながら、蚊の鳴くような声で返す。
「なんでも今の鉱業都市の領主は金持ちなんだと。俺様の膨大な魔力を吸い取って、なんか悪いことしてるっぽい」
具体性のない回答だが、ブランシュが言っていた鉱業都市の有様を考えると、なんら不思議な話ではない。とはいえ、だ。
「お前が一介の吸血鬼ハンターに遅れを取ったとは思えんが」
「それがさぁ……」
ゼノンの歯切れの悪い言葉に、今度はこちらが焦らされてしまう。非難の目を向けると、ゼノンは悲鳴をあげてカーテンに隠れた。とはいえ頭を突っ込んでいるだけなので、尻は丸見えなのだが。
「言えよ」
「うぅ〜」
「今更だろう。お前の醜態は一通り見たつもりだ」
「いやん、エッチ」
「無理やり吐かされたいのか」
そこまで言うとようやく諦めがついたのか、ゼノンは渋々口を開いた。やっとか、という感情は胸の内に留めておく。
「……た」
「なに?」
上手く聞こえず聞き返すと、ゼノンは耳の先まで真っ赤にして大声で答えた。
「一目惚れしちゃったの! 吸血鬼ハンターちゃんに!」




