234_お気楽吸血鬼の晩餐会
「さあさあ! 久々の来客だ! 今夜はご馳走だぞ〜!」
ゼノンさんの掛け声とともに、パチンと指が鳴らされると、テーブルの上に美味しそうな料理やお茶が次々と魔法で運び込まれた。白い湯気の上がるシチューに、大きな塊にすら見えるステーキ、みずみずしいフルーツや輝かしいデザートまで!
「わぁ……美味しそう!」
旅の疲れと緊張が解け、私たちは豪華な食卓を囲んで一息つくことになった。
あの森の入口でユウさん達との再会を果たしたあと、私達はゼノンさんの魔法で彼の自宅へと転移させてもらった。彼の住む岩場はそれはもうおどろおどろしく、ぽつんと建つ不気味な幽霊屋敷に私たちは身震いした。
しかし、中に入るとその感想は一気に覆されることになる。
「本当に素敵なお屋敷ですね」
シックな赤と黒を貴重にした室内と、ゴシック様式に似た趣向を凝らした調度品の数々に、私はため息を漏らした。この屋敷はゼノンさんの印象にとてもよく似ている。
初めて見た彼はとても恐ろしい存在に見えたけれど、そのフードを脱いだらとても気さくで優しいお兄さんだ。時々挟まれる吸血鬼ジョークも楽しい。
「旅で疲れてんだろ? 今日は無礼講ってやつだ」
「っ、いただきます!」
お腹を空かせていたユウさんが、好奇心を抑えきれない様子でゼノンさんに言う。そして目の前に置かれた大きな肉をナイフで切り分け、豪快にかぶりついた。
「んん!」
赤い肉汁が滴り、ユウさんの目がきらりと光る。
「うまいです!」
「そーかそーか! 俺様はグルメでなぁ。食事にゃ気を使ってんだよ」
ワイングラスを優雅に傾けながら、ゼノンさんは豪快に笑う。いつの間に着替えたのか、ローブを脱ぎ捨てて、白いフリルシャツに身を包んでいた。物語に出てくる吸血鬼らしい姿は美しく、とても絵になる。
「おい」
ビョルンさんが私の方を見て、眉間にシワを寄せていた。私が首を傾げると、ビョルンさんは切り分けたお肉をずいっと私の目の前に差し出してくる。
「ゼノンの好みの火加減だと、人間は腹を下す。こっちを食え」
いわれてみれば、差し出されたお肉は、にユウさんが食べたものよりも少し火が通っているように見えた。ビョルンさんが魔法で火を加えたのだろう。
「んん!?」
乱暴に突っ込まれたお肉を咀嚼すると、ジュワッとした肉汁が溢れる。魔物特有の匂いもなく、煮詰めた赤ワインの濃厚なソースと肉の旨みが混じりあっていた。しかも肉質はとても柔らかく、ほとんど蕩けるように消えていく。
「おいひいでふ」
「ん」
私の言葉に、ビョルンさんは満足そうに頷いた。ユウさんはと言うと、キョトンとした顔でビョルンさんを見つめている。まるで『俺は?』とでも言うように。
「お前は戦士だろう。腹痛くらい気合いで治せ」
「えぇ!? そんな無茶な!」
「ご安心ください。お腹を下しても私が魔法で治癒して差し上げますから」
「壊す前提ですか、ブランシュさん!?」
ブランシュさんは冗談めかした口調でクスクスと笑っていた。ユウさんはと言うと困ったように、皿の上の肉見つめている。そんなユウさんの足元からは、ミニベロスが新たな肉を求めて今か今かと待ちわびていた。
そんな平和で楽しい風景を見つめ、ゼノンさんは嬉しそうに笑った。その顔はなんだかとても穏やかで、ビョルンさんへの慈愛を感じさせる。
「あの、ゼノンさんとビョルンさんはとても親しいんですね」
私の質問に、ビョルンさんは苦い顔をした。でも私は知っている。その顔は本気で嫌がっているというより、照れ隠しによるものなのだと。
「あれは何年前だったかねぇ」
ゼノンさんはワイングラスの中の赤い液体を揺らす。ゆらゆらと揺れる水面を目を細めて見つめ、昔を懐かしむようにため息をつく。
「お前が魔物に襲われていた時だろう」
ビョルンさんが舌打ち混じりに言うと、ゼノンさんは驚いたように目を丸めた。
「いーや、あれは俺が助けてやったんだ。お前がウンディーネを怒らせるから!」
「あれはお前が、ウンディーネの気を逆撫でしたんだ」
「違いますぅー! お前がウンディーネの尻尾を踏んづけたんです!」
「水の精霊に尾はないが?」
ポンポンと軽快に繰り広げられる押し問答に、私たち三人はぽかんと口を開けていた。ユウさんが信じられないものを見るような顔で、ポツリと零す。
「ほんとに友達なんですね」
「ぐ……」
ビョルンさんがぐぅ、と唸る。こんなにも反論できないビョルンさんはとても珍しい。
「まぁ! 素晴らしいことですね!」
ブランシュさんはにこやかに微笑んで、手をポンと叩いた。あまりにも純粋な顔で放たれた言葉は、ビョルンさんにとってはもはや追い討ちだが、普段の行いの報いってことで。
ゼノンさんの視線が、ちらりと私の方へと向けられる。
「俺様が驚いたのは、さっきルナちゃんに言った通りだよ。また人間と旅をしてるなんてなぁ」
「無駄口がすぎる」
ビョルンさんはキッとゼノンさんを睨むが、ゼノンさんにとってはかわいいものらしい。むしろ可愛がるようにビョルンさんを呼んだ。
「ははっ、怖い怖い。そんな顔すんなって、なぁ坊ちゃん」
ゼノンさんは肩をすくめてお道化てみせたが、そのルビー色の瞳には、ほんの少しだけ真剣な色が混ざっていた。
「……」
やはりゼノンさんの言葉が引っかかって、私の胸の奥が、ちくりと痛む。
彼の背中に刻まれた痛々しい奴隷の刻印。そして「また」という言葉。
ビョルンさんはかつて、人間に関わることで、取り返しのつかない傷を負ったのだろうか? だからこそ、出会った頃の彼はあんなにも他人を突っぱね、冷たい壁を作っていたのだろうか。
黙り込んでしまった私に気づいたのか、ビョルンさんがそっと自分の手を私の頭に乗せた。
大きくて、少しゴツゴツとした、温かい手。とても安心して、自然と目を閉じてしまう。
「俺が選んで、今ここにいる。それだけだ」
不器用で、短い言葉。だけどそこには揺るぎない意思がこもっていた。目を開くと、ライムグリーンの瞳がまっすぐ私を見つめている。その真剣な眼差しに、私もまた真摯な目を向けた、
「大丈夫です。信じていますから」
私が笑顔で頷くと、ビョルンさんはどこかホッとしたように目元を緩め、ふいと顔を背けて肉を口に運んだ。耳の先端がほんのり赤いのは、きっと部屋が温かいからだけじゃないはずだ。
私たちのやり取りに、ゼノンさんは「へえ……」と感心したように口角を上げていた。
「なるほどねぇ。……カッチコチの氷が、すっかり溶かされちゃってるわけだ?」
「何か言ったか、ゼノン」
「なーんでもありませ〜ん! さあ皆、どんどん食べてくれ! 若いモンはスタミナをつけておかないとな!」
「はい、いただきます!」
ブランシュさんとユウさんも顔を見合せて笑った。ミニベロスとステラも、いつの間にか並んで肉を平らげて、満足そうに暖炉の前で眠りについている。
ビョルンさんの過去の謎、そして彼にかけられた呪い。抱えるものはまだたくさんあるけれど、この温かな旅の仲間たちと一緒なら、どんな困難も乗り越えていける。
そんな予感を抱きながら、山の中の賑やかな夜は更けていくのだった。




