230_魔物注意報
「な、な、なんじゃこりゃ——ッ!?」
すり鉢状に切り立った殺伐とした岩場。その中央にそびえ立つ一本の巨木から、私とブランシュさんは足首を縄で縛られ、逆さ吊りにされていた。
血が頭に上って頭痛がひどい。必死に体を揺らして周囲を見渡すと、巨木から岩場にかけて張り巡らされたいくつもの足場や吊り橋の上に、松明を持った男たちがズラリと並んでいた。
「見ろ、目を覚ましたぞ!」
品のない下衆な高笑い。どうやら私たちは、この岩場を根城にする山賊に嵌められてしまったらしい。
「ルナさん、ブランシュさん! 」
吊り橋の上の足場を見上げると、そこには黒く不気味に光る鎖でガチガチに繋がれたビョルンさんとユウさんの姿があった。
「魔封じの鎖……なんてひどいことを!」
ブランシュさんも吊るされた状態で苦しいだろうに、ビョルンさんやユウさんの状況に憤っているらしい。
「魔封じの鎖は魔力を抑える代わりに、耐え難い痛みを生み出すそうです。そんな非道なものを、お二人に使うなんて……!」
そもそもあの二人が捕まるなんて、ただ事ではない。混乱した記憶をたどってみると、確かに誰かに襲われた記憶がある。老人の依頼を受けて、私たちは森に向かった。その後、山賊の罠にかかって全員昏倒してしまったのだ。
「っ、クソ……!」
ビョルンさんは凄まじい殺気を放ちながら重い鎖をギチギチと鳴らしている。だが、私たちが人質として宙吊りにされているため、強引に暴れることができないのだ。
「大人しくしてよ。お嬢ちゃんたちは、あの魔獣を引きずり餌なんだからよ!」
山賊の頭目が下品に鼻を鳴らす。その視線は岩場の奥を見つめていた。
ヒヒィィィィンッ!!
岩の隙間から、地鳴りのような咆哮が響き渡った。
夜の闇を払うように姿を現したのは、額に美しい一本角を生やした神聖な白馬だった。
「ユニコーン……!?」
ブランシュさんの言葉にハッとして、鑑定グラスを覗き込んだ。
『ユニコーン:額に一本の角が生えた馬のような姿をしている希少な魔物。獰猛で、人間を食い殺すことも可能』
「げ……!」
物騒な言葉の羅列に、私は思わず呻く。しかし、その魔物の姿はあまりにも痛々しかった。
しなやかな白い体表には無数の切り傷や矢の痕があり、そこから赤々とした血が流れ落ちている。手負いとなった獣は、荒い息を吐き出しながら殺気立った瞳で周囲を睨みつけていた。
「出たぞ! 今がチャンスだ!」
「おい、撒き餌を投げ落とせ! 気を取られている隙に角を切り落とすぞ!」
「了解っ!」
山賊のリーダーの命令とともに、吊り橋の上にいた山賊が不気味にギラつくナイフを取り出し、私の足首を縛っていた縄を一気に叩き切った!
「ひょわあああぁぁぁっ!?」
「ルナ様!」
「ルナッ!!」
悲鳴を上げながら私の体は真っ逆さまに落下し、手負いのユニコーンの真ん前へとドスンと叩きつけられた。
「いたた……うぅ……」
全身を打った激痛に身をよじる。恐る恐る顔を上げると、目と鼻の先に、血に濡れた巨体と鋭い角が迫っていた。
怒りと痛みに狂った聖獣。踏み潰されるか、角で貫かれるか……?
「ルナ、落ち着け!」
私が恐怖を感じて目を閉じた時、ビョルンさんが声を上げた。その声に必死さは滲んでいたけれど、落ち着きを払おうとしている。
「ユニコーンは乙女には危害を加えない。そのまま距離を取れ」
「わかりました……!」
ユニコーンは足を止めて、荒い息を吐きながら私をじっと見下ろした。その瞳には狂暴さなどではなく、深く、澄んだ、あまりにも悲しげな色をたたえている。
「怪我、してる……よね?」
手負いの苦しみ。人間に追い詰められた絶望。それでもなお、傷つき倒れた私を傷つけることを躊躇うような、気高き獣の哀しみ。
胸の奥から、恐怖を塗りつぶすような強い怒りと愛おしさが湧き上がってきた。ミニベロスと初めて会った時の気持ちと似ている。
「おいで」
私は震える手を伸ばし、腰のホルダーに差してあった『ハーフ・エリクサー・ジェル』を取り出した。傷口を塞ぎ、痛みを和らげるために、試行錯誤の末に作り上げた私たちの最初の成果。今使わないで、いつ使うのか。
「大丈夫……大丈夫だよ。痛いの、治してあげるからね」
私は優しく声をかけながら、ユニコーンの前脚にある最も深い傷口へ、ハーフ・エリクサー・ジェルをたっぷりと塗り拡げた。 ユニコーンは暴れることはなく、私の行動をじっと見つめている。
清涼感のある青いジェルが傷口に馴染んだ瞬間、血が止まり、裂けていた肉がみるみるうちに塞がっていった。
「……」
痛みが急速に引き、体に温かい魔力が満ちていくのを感じたのか、その荒かった呼吸が次第に穏やかなものへと変わっていく。
「もう大丈夫」
角に触れないように大きな顔を優しく撫でて、落ち着かせるように言った。私が鼻先を撫でると、ユニコーンは愛おしそうに顔をすり寄せてくる。野良猫が懐いているみたいでかわいい。
「よし、いいぞ。まとめて射殺せ! 弓を構えろ!!」
頭目の怒鳴り声とともに、足場にいた山賊たちが一斉に弓を構え、黒い矢先を私たちに向けた。
「な……!?」
その殺意に、真っ先に反応したのはユニコーンだった。ユニコーンは私を庇うように立って、嘶いた。
「ヒヒィィィィィンッ――!!!!」
大気を震わせるほどの怒号。先程の哀切を帯びた瞳は一変、神聖な一本角が眩い雷光を放ち始める。
「ひっ……!? な、なんだあの光は――」
山賊が引き金を引くより速く、ユニコーンが前脚でドガンッ! と地面を叩きつける。角から放たれた白銀の雷光が岩場を走り抜け、吊り橋の支柱を粉々に打ち砕いた!
「うわぁぁあッ!?」
一瞬で壊滅する足場。山賊たちが悲鳴を上げて崖下へと落下していく。
だが、怒り狂ったユニコーンの暴走は止まらない。鼻から荒い息を吹き出しながら角を振り回すと、衝撃波が暴風となって岩場全体を激しく揺らし始めた。
「まずい……ルナ、離れろ!!」
鎖で繋がれたまま、ビョルンさんが怒声を上げる。
しかし、ユニコーンの暴走による地鳴りで岩壁に亀裂が走り、巨木を支えていた足場が次々と崩落。吊り下げられたままのブランシュさんや、鎖に繋がれたビョルンさんたちの足元までガラガラと崩れ落ちそうになっていた。
このままでは岩場ごと崩れて、私たちは岩に潰れたダンゴムシのようになるだろう。それだけは避けなければ。
「ねぇ、待って」
ユニコーンを落ち着かせようと手を伸ばしかけたその時、崩れた岩の隙間から、勢いよく飛び出してきた影があった。
「ギャウウゥゥッ!!」
短い尾をピンと立て、三つの頭を怒りで逆立てた小さな身体。
「ミニベロス!」
「ぎゃうワン!」
山賊たちの手から逃れていたのだろう。ミニベロスは私の前に躍り出ると、怒り狂って暴れるユニコーンに向かって、小さな身体で立ちはだかったのだ。
「危ない、下がって!!」
私が叫ぶのも聞かず、ミニベロスは三つの口を大きく開けた。
身体は小さいけれど、その身に流れるのはれっきとした伝説の魔獣の血。三つの頭から放たれた威嚇の唸り声は、暴走する大気をビリビリと振動させ、狂乱していたユニコーンの足をピタリと止めさせた。




