229_眩しすぎる炎と淡い月
「では! まずは状況の整理から始めましょう!」
ブランシュさんはパッと表情を輝かせると、焚き火の明かりの下で小さなメモ帳とペンを取り出した。どこから出したの、そのメモ帳。
「お二人のお姿を拝見して言えることは……ビョルン様も、ルナ様にお心を寄せていらっしゃるのは明白です」
「はい?」
私は耳を疑い、ブランシュさんを見つめた。頭を抱えると、落ち着かない心臓の音が耳元で聞こえる。
「待ってください。ビョルンさんが……誰にって?」
「もちろん、ルナ様に決まっています!」
ブランシュさんは自信満々に、顔を輝かせながら言い放った。
「ビョルン様はルナ様以外の人にはとっても塩対応なんですもの」
「塩対応って。ブランシュさん、どこでそんな言葉覚えたんですか」
あまりにもブランシュさんに不釣り合いな言葉に、思わずツッコむ。
「ユウ様が『ビョルンさんはルナ以外には塩対応だ』とおっしゃっていたのです。ビョルン様はお優しい方ですけれど、私たちに対してはとても対応が淡白である、という意味だと教えていただきました」
ユウさん余計なこと言わないで!?
私は顔から火が出そうなほど熱くなるのを抑えつつ、両頬をぎゅっと挟んだ。いけない、取り乱すところだった。
「で、でも。ビョルンさんはただ約束を守っているだけだと思います。それにビョルンさんには、いろいろ……そう、なんというか。立ち入れないような事情がありそうで……」
声が少し小さくなる。彼の背中に刻まれた、痛々しい奴隷の紋章を思い出して、胸が痛くなったからだ。
彼がどれほどの苦痛と孤独を背負ってきたのか。それを思うと、自分の感情だけで彼の心に踏み込んでいいのか、どうしても躊躇してしまう。
だが、ブランシュさんは優しく、しかし力強い瞳で私を見つめ返してくれた。
「ルナ様。過去がどれほどくらい闇に包まれたものであっても、現在のビョルン様がルナ様の隣で優しく笑っているのは真実です」
その言葉でビョルンさんの顔を思い出す。最初に出会った頃よりも角が取れたような、少し下がり気味の眉と優しい眼差し。それらが、彼の変化を物語っているのは理解できた。
「過去を塗り替えることはできませんが、これからの未来を温かい光で満たすことはできるんです。そう、まるで月のように」
ブランシュさんは空を見上げる。そこには白い三日月が浮かび、淡く周囲の雲を照らしていた。
「ブランシュさん……ありがとうございます」
おっとりしているけれど、真っ直ぐなその言葉に背中を押される。やっぱりこの気持ちを認めて、前に進むべきなのだろうか。
そこまで考えて、熱に浮かされた脳内で唯一冷えた部分が警告する。
「でも」
震える声で紡いだ。
「私は、ずっとビョルンさんの隣にいることはできない」
ブランシュさんは首を傾げる。
「それは……ビョルン様が長命のエルフだからですか?」
「いいえ」
私は彼女の言葉をやんわりと否定した。私の最終目標を、浮かれた熱で忘れ去ってしまうところだった。
「私は元の世界に帰りたい。元の世界に帰ったら、きっともうこの世界には戻れないでしょう」
私がいた世界と、このビョルンさんたちが生きる世界がどう繋がっているのかわからない。召喚儀式が謎に包まれている以上、どんな未来が待っているのかわからないのだ。
「まぁ、そもそも元の世界に帰れるかすら、わかりませんけれど……」
故郷に残した祖母を、一人にはしておけない。だからこそ、私は元の世界に帰りたい。
その気持ちは今も変わらないけれど、正直なところ、この世界に愛着を持ち始めたというのもまた事実だ。
「私とビョルンさんは、いつか別れなきゃいけない。それがわかっているのに、この想いを伝えるのは……きっと、ビョルンさんを傷つけてしまうから」
私はぎゅっと手を握り、焚き火の火を見つめた。ゆらゆらと揺れる炎は暖かいけれど、手を近づけすぎると火傷してしまう。私にとっての、ビョルンさんみたいだ。
「ルナ様……ごめんなさい。そんな事情があるなんて知らなくて」
ブランシュさんは眉を下げて、私の手を白い両手で包み込んだ。そして、柔らかな声で言葉を続ける。
「でもね、ルナ様」
彼女のアメジストの目がきらりと光った。まるで希望の炎が灯るように。
「まだ、諦めないで」
「え?」
「こんなにも愛しているのに、手を伸ばさないなんて……そんなの、悲しいです」
ブランシュさんは俯いて、包み込む両手に少し力をこめた。
「私も協力します。きっとお二人にとって、良い選択ができるように」
力強く、まばゆい光に満ちた視線。その視線に焼かれてしまいそうで、私は思わず目を逸らした。彼女の純粋さは、ただの社畜には少し眩しすぎる。
「ありがとうございます」
なんとかお礼の言葉を絞り出して、私はブランシュさんの手を放した。そして彼女におやすみを言うと、ミニベロスが眠っている寝床に潜る。一瞬、空を見上げて月をみやり、静かに目を閉じた。
私とブランシュさんのやり取りを、ユウさんが見つめていたとも知らずに。
翌朝、私たちが街道を進んでいると、道の途中でボロボロの服を着た老人が膝から崩れ落ちるように立ちふさがった。
「お願いします、冒険者様! どうか……どうか我が村をお救いください!」
「ど、どうしたんですか?」
聞けば、ここから少し逸れた場所にある小さな開拓村が、凶暴な魔物の被害に遭っているという。
「村人たちは怪我をし、畑も荒らされ……このままでは村が全滅してしまいます! どうか、我々の代わりに魔物を討伐してください!」
ビョルンさんは首を横に振り、キッパリと断った。
「我々は冒険者ではなく、行商人だ。魔物討伐であれば冒険者ギルドに依頼しろ」
ユウさんはなにか言いたげに口を開いたけれど、ビョルンさんの鋭い眼光にあてられて黙り込む。しかし老人はすぐには諦めなかった。
「報酬には、我が村の財産である『高魔術師の衣』を差し上げます」
「『高魔術師の衣』?」
聞いたことがないけれど、魔術師のローブのようなものだろうか。
「 市場で高値で取引される高価で希少な素材ですね。主に魔術師のローブを作成するために使用される反物です」
「なるほど」
ブランシュさんの言葉に、私の商売人センサーがピコンと反応する。ビョルンさんも一瞬耳を動かしたが、冷ややかに村人を見下ろした。
「こんな辺境の地に、都合よく高価な素材を持つ村があるか」
「困っている方を見捨てるわけにはまいりません。ユウ様は冒険者ですし、依頼を受けるのは問題ないのでは?」
ブランシュさんが優しく男を助け起こす。ユウさんもブランシュさんの言葉に頷いた。
「困ってる人を放っておけませんよ」
ユウさんとブランシュさんの、純粋で優しく、健気な姿に折れたのはビョルンさんのほうだ。機嫌が悪そうにボリボリと頭をかいて、大きなため息をついた。
「ルナ」
彼が私の名を、間延びした声で呼ぶ。
「はい」
「俺から離れるな」
ストン、と胸に落ちる声。当たり前に、守ろうとしてくれている。その事実が頬に熱を持たせる。
「分かっています」
ビョルンさんの言葉に頷いて、私たちは森の奥へと足を踏み入れた。
はずだった。
「うーん……?」
クラクラする頭を揺り起こして、重い瞼を開ける。すると地面が空にあり、空が地面にあった。
「んん……?」
何かがおかしい。そして、自分の身体を見て絶叫する。
「な、な、なんじゃこりゃ——ッ!?」
私は、巨木の枝に、逆さ吊りにされていたのだった。




