228_追いかけてしまう背中
宿屋での襲撃事件の翌日。私たち『幸運草商会』の一行は、険しい岩山に囲まれた未舗装の街道を進んでいた。目指すは、ビョルンさんの呪いを解く手がかりがあるという鉱業都市。
この街道は、都市間を結ぶ主要路でありながら、凶暴な魔物が頻繁に出没することで知られる危険地帯だ。本来なら、もっと注意して歩かなければならない。
それなのに、今の私はまったく集中できなかった。
「……」
当然、悩みの種はビョルンさんだ。正確に言うと、昨日見てしまった彼の背中の刻印。
私の前方で愛剣の柄に手をかけ、鋭い視線で周囲を索敵しているビョルンさん。昨日、彼の部屋に避難したあとも、私はどうしても紋章のことが頭から離れず、まともに会話ができなかった。
「ルナ。おい、聞いてるのか」
「はいっ!? あ、え、ええと! なんですか!」
ビョルンさんに突然声をかけられ、私は飛び上がらんばかりに驚いて、思いっきり視線を斜め下に逸らした。グラスを押し上げる指先がわずかに震える。
「昨日の刺客には逃げられた。気を抜くな」
ビョルンさんの言葉の通り、今は気を引き締めなければならない状況だ。それなのに、私の心はどこかに行ってしまっている。ビョルンさんはそんな私を心配したのか、頬に手を添えて顔を覗き込んできた。
「お前は運がいい。俺が隣にいるんだからな」
その言葉はとても頼もしくて、彼の手に頬を寄せるように頷いた。沈んでいた心も、彼の言葉一つでふわりと軽くなる。
「まさか、衛兵に突き出したあとに逃げられるなんて思いませんでしたね」
「衛兵も我々の味方ではないということだ」
公共機関にも頼れないとなると、どうしたらいいんだろう。
「おおかた、我々の成功を疎むどこかの商会だろう。だが、我々の敵では無い。そもそも、盗むためのレシピがないのだから」
『ハーフ・エリクサー』シリーズの元になるハーフ・エリクサーは、ビョルンさんしかレシピの全貌を知らない特別なものだ。刺客はその成功を奪おうと送り付けられたのだと予測される。
「でも、それじゃあビョルンさんが危険に晒されるんじゃ……?」
「誰に言ってる」
他人につけるような、いつもの刺々しい、呆れた声ではない。私に話しかける時は、低く穏やかな囁きに変わる。そして、労わるように優しくこつんと額を合わせてきた。
「俺がその辺の小僧に遅れを取るとでも?」
私は首を横に振る。ビョルンさんは満足そうに、ふっと口角をあげた。
「心配するな」
不器用な彼の、可能な限りの励ましの言葉。その言葉をまっすぐに投げかけてくれることが、素直に嬉しかった。私は頷いて、ビョルンさんを見上げる。
「信じてますから」
今、私が彼に返せるのはこれだけだ。それでもいつか必ず、彼を過去の呪縛から解き放ってあげたい。いや、解き放ってみせる。
私は再び覚悟を決めて、荷物を抱えなおした。鞄の中で私とビョルンさんを見つめていたミニベロスがキャンと鳴く。
「行くぞ」
ビョルンさんは身体を離すと、またズンズンと前を歩いていった。少し先でユウさんとブランシュさんが私たちを待っていてくれる。私はまた、大きく踏み出してビョルンさんの背中に追いかけた。
「ルナ様、少々よろしいでしょうか?」
その日の晩。野営中、焚き火に薪をくべていた私の隣に、ブランシュさんが静かに座り込んだ。いつものおっとりとした上品な微笑みを浮かべ、覗き込むように私の顔を見つめてくる。
「顔色が優れませんわ。周囲の警戒もおろそかになっていますし……宿屋での一件、本当に怖かったですものね」
ブランシュさんは優しく、私の手を包んでくれた。少し極端なところもあるけれど、彼女は心配りのできる優しい人だ。
「いえいえ。ブランシュさんや皆さんのおかげで、なんとかなりましたから。私なら大丈夫ですよ!」
私は大慌てで手を振った。ビョルンさんの背中の傷のことなんて、口が裂けても言えない。私の胸の内に留めおくべき事項だ。
ブランシュさんはそんな私の様子を心配そうに見ていたけれど、意を決したように口を開く。
「ビョルンさんのこと、ではありませんか?」
「え?」
図星をつかれてドキリと心臓がはねた。
「やはり……」
「えっと! 別に、変な事ではなくてですね! なんとなく、本当になんとなく、気になることがあるというか!」
あぁ! 何言ってるの私!
慌てるばかりに、つい言葉がするすると口から飛び出てしまう。止めたいのに、誤魔化すのが下手すぎてまとまらない話がポロポロとこぼれ落ちた。
「ビョルンさんって、その、ミステリアスじゃないですか。どんなことを考えてるのか、気になってしまって」
私の話を聞いていたブランシュさんのの瞳が、少しづつ、しかし確実にいたずらっぽくきらきらと輝き始める。
「ルナ様、それは……」
ブランシュさんは私の顔を覗き込んで、はっきりと言った。
「恋、ですね!」
一瞬、呼吸が止まる。そして気がつけば、その場ですっ転んでいた。
「ルナ様!?」
「こ、ここここ、こっ……!」
恋。恋ってあれか、よく漫画とかで見ていたヤツ。
え、誰が? 私? 私が、誰に恋してるって?
「えぇっと、あのぅ」
何も知らない小娘という訳じゃない。これまで経験したことはないけれど、私がビョルンさんに対して抱く気持ちが、並々ならないものに膨らんできていることは分かっていた。だからこそ、こんな風に指摘されたら……!
「だっ、だ、誰にも言わないでぇ!」
違う、そうじゃない!!
頭を抱えてその場にうずくまった。これでは明らかに『私はビョルンさんに恋しています』と認めてしまったようなもの。今、私たちは四人パーティーだ。同僚の恋愛事情なんて聞きたくないだろう。
私はブランシュさんの前に正座して、ガバッと頭を下げた。そして蚊の鳴くような声で懇願する。
「今のは聞かなかったことにしてください……」
ブランシュさんは答えない。幻滅されてしまっただろうか。パーティーを抜けたいって思われたかも。
恐る恐る顔をあげると、ブランシュさんは少女のようにあどけない笑顔を見せてくれた。頬を染め、キラキラとした表情で、まっすぐに答えてくれる。
「素晴らしい……!」
「へ?」
「素晴らしいです、ルナ様! なんて素敵なのかしら!」
今にも歌い出してしまいそうなブランシュさんに、今度はこっちが困惑してしまう番だった。
「え? でも嫌じゃありませんか……? 同僚の恋愛事情に巻き込まれるなんて……」
「とんでもない!」
ブランシュさんはブンブンと首を横に振り、私の手を両手で握ってくれる。その言葉には忌避感を感じさせない。
「人を愛することは尊いことです。本当に、本当に……!」
彼女は染めた茶色の髪を揺らしながら、何度も頷いた。その様子は友達の恋バナを聞いて舞い上がる女子高生のようだ。私が昔、教室で見た同級生たちの顔とよく似ている。
「私にできることならなんでもいたします。お話するだけでも、きっと心が軽くなりますよ」
彼女の声に、少し心配の色が乗った。きっと今日一日の私の行動で不安にさせてしまったのだろう。
「ブランシュさん……」
私は彼女の瞳を見つめた。きらきらと星が瞬く夜空の下、まるで発光しているかのように生き生きとした美しい紫色の瞳。眩しいほどの善のオーラを纏う彼女を見ていると、不思議と心が安らいだ。
全てを話すことはできない。でも、この心の中に芽生え始めた感情を、これ以上見て見ぬふりをするのも限界に達していた。目の前が滲んで、縋るようにブランシュさんの手を握る。
「お言葉に甘えても、いいですか……?」
私は震える声で言葉を紡ぎ、ブランシュさんを見つめる。彼女は私の言葉に、心の底から幸せそうに頬を染めて頷いたのだった。




