224_紫煙に隠した警告
その場にペタンと座り込むようにしてむくりと起き上がったのは、不気味な怨嗟の魔女ではなく、やけに世俗的な雰囲気の女性だった。
艶やかな黒髪の巻き毛を面倒そうにかき上げ、こちらをジト目で睨みつけてくる。整った顔立ちは間違いなく美女のそれなのだが、半開きの眠たげな目と、だらしなく着崩した黒いローブのせいで、気だるげなオーラが漂ってくる。
「な、なんですか……!?」
私たちが呆然と見守る中、彼女はローブの懐をごそごそと探ると、一本の細長い銀色のキセルを取り出した。指先にパチッと小さな紫の火花を灯して火をつけると、紫煙をふぅーっと気だるげに吐き出す。
「ふぁー……生き返る。ちょっとあんたたち、乱暴すぎない? 不法侵入の上に暴力とか、マジ最低なんですけどー?」
ハスキーで、やる気のかけらもない声。あまりの落差に、剣を構えたまま固まっていたビョルンさんが、眉間をこれでもかと狭めて私を振り返った。まるで、『こいつのどこが怨嗟の魔女だ?』とでも言うように。
ユウさんも目をぱちくりさせて、エイヴァを見下ろす。
「さっきの『我が眠りを妨げた罪、その魂で贖うがいい』っていうセリフは何だったんです?」
「自動音声ですけど、なにか?」
エイヴァは頬をふくらませて、いじいじと地面に円を描く。
「いちいち侵入者来るたびに喋るの疲れるじゃん。あれ、昔の若い頃の私がイキって録音したやつ。今聞くと黒歴史すぎて死にたくなるんだけど……だるくて放置してた。はぁー、障壁直すの超めんどくさぁ」
エイヴァはキセルをトントンと玉座の角に打ち付け、灰を落としながらため息をつく。ユウさんとブランシュさんは呆気にとられたように顔を見合せていた。
「あなたは悪の魔女ではないんですか?」
ブランシュさんの問いかけに、エイヴァは堪えきれなかった笑いをもらす。
「人間を玩具にしてるっていう点でいえば、そうかもね」
「ならば……!」
ブランシュさんが手に光を込めた。エイヴァは挑発的にほぼ笑みを浮かべるだけで、逃げようとはしない。
「もういい。ダンジョンはクリアした。我々の目的は、魔女の討伐ではない」
ビョルンさんがドスンと一歩踏み出した。愛剣の鞘をカチャリと鳴らし、冷たい笑みを浮かべる。
「報酬を寄越せ」
「ひぇっ!」
ビョルンさんの威圧感に、エイヴァはキセルをくわえたまま露骨に身を縮こまらせた。
「脅迫!? エルフのくせに野蛮! 」
「あ?」
ビョルンさんがさらに圧をかけると、エイヴァは悲鳴をあげて王座の後ろに隠れる。なんだか彼女が気の毒になってきた。
「金目のものなんてないよぅ……あぁ、でも、これならある。あんたらエルフって、こういうのが好きでしょ」
彼女は懐をまさぐると、黄ばんだ一枚の羊皮紙をポイとビョルンさんの足元に投げ捨てた。
「それ、私が昔、気まぐれで作った薬のレシピ。材料さえあれば割と簡単に作れて、めちゃくちゃ傷が治るやつ。それあげるから、さっさと帰って。もう寝たい」
私は羊皮紙を拾い上げ、鑑定グラスを覗き込んだ。
『魔女特製ハーフ・エリクサーの処方箋: 錬金術レシピ(最上級秘伝)。 物理的な負傷、魔力枯渇を瞬時に半分回復させる「ハーフ・エリクサー」の製法。量産難易度が極めて低い』
「ハーフ・エリクサー?」
私の呟きに、ビョルンさんがピクリと耳を動かした。
「それは事実か」
「え? はい。そう書いてますけど」
ビョルンさんは私から羊皮紙をひったくり、睨みつけるように隅から隅まで視線を走らせた。そして彼は呪文を唱えて、羊皮紙に火をつけた。
「ビョルンさん!?」
私とユウさんは慌てて羊皮紙の火を消そうとする。しかし炎は一瞬にして、レシピを消し炭にしてしまった。
「レシピは記憶した。レシピをこのダンジョン外に持ち出すのは危険だ」
ビョルンさんが言うのなら、そうなのだろう。私は灰になってしまった紙くずを払い、立ち上がった。ビョルンさんはフンと鼻を鳴らして、魔女を見据える。
「ここまで手の込んだダンジョンを作るほど、強固に守っていたレシピがこれとはな」
「なに。文句あんの」
エイヴァはキッとビョルンさんを睨むが、まだおっかなびっくりな様子だった。
「見事だ」
「へ?」
不器用エルフの素直な賞賛に、エイヴァを含めた一同が声をあげる。いや、だって、ビョルンさんがこんなに素直に人のことを褒めたところを見た事がない。
「だが、報酬は報酬だ。この配合をベースに、我が商会で有効活用させてもらう」
「あっそ。お好きにどーぞ」
それだけ言うと、ビョルンさんはさっと踵を返して王座の背後にある扉に向かった。
「あ、そうだ。不思議な冒険者パーティさん」
私達もビョルンさんの後に続こうとしたら、エイヴァが背中越しに話しかけくる。間延びした、しかしどこか真剣さも帯びた声に私は振り返った。
「なんでしょうか」
エイヴァは私のところにツカツカと歩み寄り、頬を両手で挟んだ。その瞬間、ビョルンさんの目がキッと光って剣を抜く。
「あっははは! こんな過保護なエルフ見たことない!」
「用件を」
「んー? ただね、教えてあげようと思ったの」
エイヴァは私の耳元に唇を寄せて、そのハスキーな声を吹き込むように呟いた。
「あの光のお嬢ちゃん。あれはあんたの手に余る」
「え?」
「さっさと手放した方がいい。光に近づきすぎれば、焼かれちまうんだよ」
不穏な言葉。エイヴァの瞳は、まっすぐブランシュさんを捉えていた。確かに彼女の言う通り、ブランシュさんの正義感は少し危うくも思える。だからといって、途中で契約を投げ捨てるわけにはいかないのだ。
「ご忠告、どうもありがとうございます。ですがご心配なく。私は猛獣使いなので」
少しおどけたように言ってみせる。猛獣とはもちろん、ビョルンさんのことだ。エイヴァにもそれが伝わったのか、クッと喉で笑う気配がする。
「気に入った。あんた、名前は」
「ルナです」
「また会いに来てよ。あんたなら歓迎。星のお嬢ちゃん」
「ひょわ!?」
彼女は私の泣きぼくろを親指で撫でて、チュッとキスを落とした。あまりに突然のことに、変な声が出る。最悪。
「おい」
ビョルンさんのこれまた不機嫌そうな声がして、首根っこを掴まれた。ぷらん、と足が床から浮いて、乱暴に大きな肩に担ぎ上げられた。
「戯れは好かん」
「あちゃ、フラれたか」
エイヴァはケラケラと笑い、私とビョルンさんを見る。ユウさんとブランシュさんには目もくれない。その違いはなんだろうか。
「さよなら」
エイヴァはまたパイプに火をつけて、紫煙をゆらした。ふうっと私の方に煙を吹きかけ、そして煙に解けるように消えていく。林檎のような甘い香りと、タバコ特有のツンとしたハーブの香りが残った。
「食えん女だ」
ビョルンさんは不機嫌そうに鼻を鳴らして、出口へと急いだ。
「あのぅ」
「なんだ」
「いつ下ろしてもらえます?」
私の問いかけに、ビョルンさんは深くため息を吐く。そして耳を下げてそっぽを向いた。
「どこかに行かれては困る。じっとしてろ」
「えぇー?」
ビョルンさんはドスドスと音を立てて、出口に歩いていった。その後ろをユウさんとブランシュさんが続く。
「……」
ブランシュさんと一瞬目があって、私はすぐに逸らしてしまった。彼女の顔が、なんとなく見れない。
先程の、エイヴァの言葉。あれはどういう意味だったんだろう?




