223_怨嗟の魔女・エイヴァ
「ようやくボス部屋!!」
私の叫び声が、湿り気を帯びた地下の空間に反響した。全員の視線が、闇の中にぽうっと浮かび上がった巨大な鉄の扉へと集中する。
扉の表面には、まるで苦悶する者たちの顔が這い回っているかのような、禍々しいレリーフが緻密に施されていた。そこから放たれるプレッシャーは、これまでの罠や魔獣とは次元が違う。
「よし、鑑定します!」
私はずり落ちそうになる鑑定グラスを人差し指で押し上げ、その凶悪な扉レンズ越しに睨みつけた。
『怨嗟の魔女・エイヴァ:物理攻撃を完全に遮断する「漆黒の障壁」を纏い、精神を蝕む怨嗟の呪いを操る』
「『怨嗟の魔女・エイヴァ』。物理攻撃を完全に遮断するシールドを張るみたいです。しかも、精神を蝕む呪いを使うって……!」
「物理を完全遮断か」
ビョルンさんが不快そうに眉をひそめ、剣の柄に置いた親指をピクリと動かした。
「風魔法で切り崩すしかない。盾持ちは防御に呈して、ルナたちを守れ」
「はい!」
ビョルンさんはユウさんに指示を出し、ブランシュさんを見る。ブランシュさんは、決意を固めたように頷いた。
「ええ。私の光魔法なら、あの闇の結界を撃ち破れるはずです」
ブランシュさんは衣服から滴る水を絞り終え、凛とした表情で手を強く握りしめた。彼女の瞳には、先ほどの水没トラップを切り抜けた時と同じ、強い光が宿っている。
「これまでは、鉱山を照らすくらいにしか使ってきませんでしたけれど……。皆様の盾となり、剣となるためなら、私の魔力のすべてをここに注ぎ込みますわ」
おっとりとした普段の物腰からは想像もつかない、静かで力強い闘志。それを見たビョルンさんが、低く笑みをこぼして私の頭に手を置いた。
「希少な光魔法の使い手を呼び寄せるとは、お前の幸運は健在なようだ」
ビョルンさんは私の前に立つようにそっと歩幅をずらし、私を自身の背中へと隠した。
「お前は俺のすぐ後ろから離れるなよ。身を低くして、隠れていろ」
「え、あ、はい……! ありがとうございます、ビョルンさん」
ぶっきらぼうなその言葉が、今の私には一番の安心薬だった。私は腕の中でか細く鳴くミニベロスをぎゅっと抱きしめ、深く頷いた。
「覚悟を決めろ」
ビョルンさんとユウさんが同時に手をかけ、ゆっくりと、しかし力強く、禍々しい鉄の扉を押し開けた。
凍りつくような重い金属音が響き渡り、扉の向こうに広がる光景が露わになる。そこは、不気味な紫色の炎が揺らめく、広大な円形の儀式場だった。
中央の崩れかけた玉座の上。黒いローブをまとった、青白く、それでいて妖艶な美しさを持つ女性の姿がぽっかりと宙に浮いている。
彼女がゆっくりと目を開けた瞬間、冷たい、凍りつくような魔力が部屋全体を支配した。
『我が眠りを妨げた罪、その魂で贖うがいい』
魔女エイヴァが細い指先をこちらに向けると、彼女の周囲に禍々しい黒い魔法陣が幾重にも展開していく。
「来ます!」
ユウさんが大盾を前に構え、叫ぶ。
「ブランシュ、お前の光で道を拓け! 小僧、障壁を割る瞬間まで絶対にブランシュを守り抜け!」
「了解です!」
「お任せください!」
ビョルンさんの鋭い指示が飛び、ブランシュさんの聖印が眩いばかりの白い光を放ち始めた。
『愚か者が』
魔女エイヴァの呆れた声とともに、黒い魔法陣から**禍々しい漆黒の魔力弾が嵐のように降り注いだ。
それはただの魔法弾ではない。触れた者の心を折る、精神汚染の呪いを孕んだ闇の弾幕だ。
「させないっ……! 『ファイアウォール』!!」
ユウさんが大盾を地面に突き立て、半透明の光り輝く防壁を展開する。凄まじい衝撃音が響き、盾の表面で黒い火花が激しく散った。
「う、ぐっ……!?」
ユウさんの顔が歪み、膝をつく。
「ユウさん!」
「魔女の精神干渉だ。気をやるな、小僧」
「っ、はい!」
大盾を構える両腕が、恐怖と悪夢の残滓に激しく震え始める。ビョルンさんがユウさんの背中に手を添えて、支えるように立った。その手に小さな竜巻を起こして、魔女に投げつける。しかし、魔女は魔法で竜巻を打ち消してしまった。
「ユウ様、私の光をその身に!」
すかさず背後からブランシュさんが手を差し伸べると、温かで力強い白い光がユウさんの全身を包み込んだ。泥のような呪いの霧が光に洗われて霧散し、ユウさんの瞳に力が戻る。
「すみません、助かりました! ブランシュさん!」
ユウさんの防壁の影から、金色の影が弾丸のように飛び出した。
「ビョルンさん! 気をつけて!」
「誰に言ってる」
彼は愛剣を抜き放ち、その刃にゴウゴウと荒れ狂う風の魔力を纏わせる。風魔法による超高速の跳躍。
ビョルンさんは重力を無視したような動きで宙を舞い、魔女エイヴァの眼前へと躍り出た。
「……っ!」
激しい金属音が響き渡る。だが、ビョルンさんの放った一閃は、魔女を覆う『漆黒の障壁』に防がれ、火花を散らすだけで弾き返された。
「やはり風を纏わせた程度では無理か」
空中を蹴り、反動でバックステップを決めながらビョルンさんが毒づく。すかさず魔女が彼に向けて魔法弾を放つが、彼は風を操る身軽さでそれらを躱し、なおも超高速の翻弄を続けて敵の注意を惹きつける。
「『風よ、切り裂け』!」
ビョルンさんが右手から、大きな風の鎌を生み出す。障壁にびしりと跳ね返り、ヒビが入る。しかし安堵もつかの間、すぐにヒビは塞がってしまった。
「ビョルンさん、引き付けておいてくださいよ……!」
私はユウさんの盾に隠れるようにして身を低くし、鑑定グラスに魔力を限界まで注ぎ込んだ。視界の先にある魔女の『漆黒の障壁』が、複雑な魔力ラインの網として見えてくる。
「落ち着いて……見極める!」
激しく動き回る魔力の流れ。その中で、魔女がビョルンさんの猛攻を捌くために、障壁の魔力を前面に集中させている瞬間があった。
「魔女の背後! ビョルンさんの攻撃を防ぐために、そこだけ障壁の魔力供給が薄くなっています!」
とはいっても、ビョルンさんの風魔法でも少し防壁を削る程度だ。ユウさんは防御に呈している。私はミニベロスを床に下ろし、指示を出そうとした。
「私が出ます!」
「えっ、ブランシュさん!?」
私の制止も聞かずに、ブランシュさんが一歩前に踏み出して、手のひらに光を込めた。その輝きは、これまで見たどんな治癒の魔法よりも激しく、眩かった。
「我が内に眠る光よ。闇を貫き、正義の道を拓け!!」
耳鳴りのような高周波の駆動音と、塗りつぶすような真っ白な光が溢れた。
「ッあぁ!?」
魔女エイヴァが悲鳴を上げて、膝をついた。
そして、パリンッ! と、ガラスが粉々に砕け散るような澄んだ音が儀式場に響き渡る。『漆黒の障壁』が、完全に崩壊したと同時に、ビョルンさんは件を逆手に持ち替えた。
「これで終いだ」
彼の剣にすべての風魔法が収束し、まっすぐ縦に振り下ろされた。暴風を纏った銀の刃が、魔女エイヴァの身体を切り裂いた。
「ウッ……!」
魔女は断末魔の叫びを上げることもできず、その場に倒れこんだ。
「やった、のか……?」
ユウさんが小さく呟いた。
ついに魔女を討ち果たしたという喜びで、私とブランシュさんは手を取りあった。しかし、魔女はむくりと起き上がり、避難するように叫んだ。
「もう、痛いなぁ!」




