222_暗闇を照らす白い光
急激な重力と風圧が全身を襲い、景色が猛スピードで下へと流れていく。舌を噛むなよって、こういうことですか!?
「説明不足ぅぅう!!」
悲鳴を上げながら、私は風で飛ばされそうになる鑑定グラスを左手で必死に押さえ、まっすぐに迫り来る天井の蓋を見つめた。
「っ、でぇい!!」
蓋の取っ手を掴み、自重を使って思い切り引っ張る。
ガコン! と、扉が開く音が響き、眩いばかりの黄金色の光を放ち始めた。それと同時に、下にあった石碑に劇的な変化が起きた。
「わ、わわ……!?」
先ほどまでルービックキューブのようにバラバラで、色すら一致していなかった石碑の幾何学模様が、まるで精巧な歯車が噛み合ったかのように、ひとりでに回転し始めたのだ。
鈍い音を立てて、乱れていた線と色が綺麗に整えられていく。
石碑の最後のピースがカチリと組み合わさった瞬間。広間全体が大きく揺れた。
床に刻まれていた魔術式が一斉に輝きを失い、それと同時に、闘技場の床そのものが、まるで巨大なエレベーターのように凄まじい速度で地下へと下がり始めたのだ。
「ルナさん! やりましたね!」
足元のはるか下でユウさんが叫ぶ。ブランシュさんは私を見上げて、心配そうに胸の前で手を組んでいた。そう、彼女の心配は最もだ。
「ねぇ! これ、どうやって降りたらいいの!?」
「騒ぐな」
ビョルンさんの声がすぐ後ろで聞こえた。と思うと、彼が私の身体をひょいと抱き上げて。そして。
「ひゃわぁぁぁあ!!!!」
真っ逆さまに落ちていった。風魔法があるとはいえ、ジェットコースターが落ちる瞬間のような浮遊感に恐怖を感じないわけがない。私は目を瞑り、目の前の太い首に強く抱きついた。
ビョルンさんは空中で私の身体を、壊れ物を扱うように優しく、けれど絶対に離さないという強さで横抱きに抱く。
そしてそのまま、急降下する床へと着地した。衝撃はない。ストン、と穏やかな重力を感じる。彼の肩口に顔を埋めた私の耳に、ドクドクと早い心音が伝わってきた。
「よくやった」
ビョルンさんは小さく、ほっとしたように息を吐き出すと、私を床にそっと下ろした。
「地下へ降りていくようだ。敵の気配はない」
「しばらくは安全、ですかね」
「あぁ。体力を温存しておけ」
ユウさんとブランシュさんも、魔獣の血は被っているものの無傷だったようだ。あの狼型の魔獣たちは、仕掛けが解けたことで、煙のように跡形もなく消滅していた。
ブランシュさんは笑顔を浮かべ、こちらへかけ寄ってくる。そのおっとりとした笑顔には充足感のようなものが滲んでいた。
「お見事です、ルナ様」
「よく気付きましたよね。ありがとうございます!」
ユウさんも額の汗と魔獣の血を拭って、ぺこんと頭を下げてくれた。ビョルンさんはフンと鼻を鳴らしてそれから私の方を振り返る。私の手を握り、回復魔法をかけてくれる。ミニベロスも心配そうに鳴いて、足元に絡みついた。
「次の休暇で、魔力の流し方を教えてやる」
ぽうっと緑色の光が手の中に収まり、ヒリヒリとした痛みがすうっと引いていく。
「へ?」
「魔力を注入する際に、血を流す必要はない」
「そうなんですか?」
私は首を傾げる。ということは、つまり。私の血は流し損だったということで。
「二度と、勝用に自分の身体を切りつけるような真似はするな。次にやったら、お前の取り分から治療費を引くからな」
「うぐっ……わ、分かりましたよ。ケチエルフ……」
ぶっきらぼうな小言に、私は少しだけホッとして、小さく笑った。ユウさんとブランシュさんも笑顔を見せてくれて、私達はなんとか檻の中から抜け出したのだった。
やがて床の動きが止まり、だだっ広い空間に出る。浅い湖のように水に満たされた空間で、ゆるやかに波が立っている。
「……冷てっ。水、ですか?」
ユウさんが大盾を引きずりながら、ジャバジャバと音を立てて周囲を見回した。
最初は、ただの浅い水たまりかと思った。けれど、緩やかだった波がにわかにざわつき始め、足首を濡らしていた水の傘が、ぐんぐんと増していく。
「か、鑑定!」
私はすかさず鑑定グラスを構え、波打つ水面へと視線を落とした。
『水没式トラップ。現在、毎秒数十リットルのペースで地下水源から魔力水が流入中。約三分で天井まで完全に水没』
「水没トラップです! あと三分で天井まで水でいっぱいになります!」
「出口は?」
ビョルンさんの問いかけに周囲を見回して、私は首を横に振った。
「暗くて、何も見えません……!」
闘技場から降りてきたこの地下空間は、光が一切届かない底無しの暗闇だった。鑑定グラスのレンズを凝らしても、暗闇の先にあるはずの出口の正確な位置までは捉えきれない。
ジャバジャバと流れ込んでくる水の音だけが不気味に反響し、どこを向いてもただ冷たい水と黒い闇が広がっているだけだ。ミニベロスを抱き上げて、なんとか水に浸からないようにする。
「くそっ、どっちに行けばいいんだ!?」
ユウさんが焦りで声を荒らげる。水はすでに、私たちのふくらはぎを越え、膝の高さまで迫っていた。この暗闇の中で迷えば、走ることもできずに全員溺れ死ぬ。
焦燥感が全員を支配しかけた、その時――。
「私にお任せ下さい!」
凛とした、けれどどこか熱を帯びた声が暗闇を切り裂いた。
「ブランシュさん?」
彼女は水に濡れるのも構わず、自身の聖印を両手で天高く掲げた。
「私の放つ光こそが、皆様を導く正義の道標です!」
彼女が魔力を一気に解放した瞬間、視界を焼き尽くさんばかりの、苛烈で圧倒的な白い光が解き放たれた。
キィィィン! と鼓膜を揺らすような魔力音が響き、ブランシュさんの放った聖なる光の奔流が、重苦しい暗闇と波立つ水面を真っ二つに割り裂くようにして、前方の闇へと突き進んでいく。
「すごい……!」
ユウさんから感嘆の声がもれた。そして、その光のはるか遠くに、ぽっかりと口を開けた上り傾斜の通路が浮かび上がった。
「あそこです! 皆様、私に続いてください!」
ブランシュさんが水しぶきを上げて真っ先に走り出した。いつものおっとりした彼女からは考えられないほどの、猛烈なダッシュだ。
「ルナ、捕まれ!」
「はい!」
ビョルンさんが私の身体を抱え、水をかき分けてブランシュさんの後を追いかけはじめた。ミニベロスも私の腕の中に飛び込んで、くるりと腕にしがみついてきた。
「足を止めるな、溺れるぞ!」
「走ってます、走ってますから!」
その後ろでは、ユウさんが重い鎧に苦戦しながらも、必死に走っていた。
「ブランシュさん、俺が前を行きます! 危ないですよ!」
「いいえ、ユウ様! 光を絶やしてはなりません、私の背中に着いてきてください!」
ブランシュさんは魔力を放出し、周囲に群がろうとする水の抵抗を光の結界で弾き飛ばしながら、前を走り続ける。その姿は、暗闇を拒絶する神聖な戦乙女のようでもあり、見ていて胸がざわつくほどに危うかった。
「ビョルンさん……!」
「溺れることはない。捕まってろ」
水はすでにビョルンさんの腰の高さまで達している。私の足が沈み、冷たさに切り刻まれるような感覚がした。きっとビョルンさんはもっと冷たいだろう。
「もうすぐです! 跳んでください!」
ブランシュさんが通路の乾いた石床へと飛び乗る。
ザザーーッ!! と、私たちのすぐ真後ろで、空間を完全に埋め尽くすようにして水が跳ね上がった。
冷たい水しぶきを浴びながら、私たちは上り坂の通路へと転がり込んだ。ビョルンさんは私をそっと床に下ろすと、濡れた身体のままごろんと横たわる。
「はぁ……っ、はぁ……っ! げほっ、死ぬかと思った……!」
ユウさんは床にへたり込み、激しく咳き込んだ。私の腕の中から飛び降りたミニベロスが、濡れた毛をぶるぶると振って水を飛ばしている。
振り返ると、私たちが今しがた駆け抜けてきたただっ広い空間は、すでに濁った水で完全に満たされ、波立つ水面がすぐ足元まで迫っていた。あと数秒遅ければ、本当に全員溺れ死んでいただろう。
「ブランシュさん、ありがとうございました!」
ブランシュさんは衣服の裾を絞りながら、どこか満足げに、静かに微笑んでいた。
「お役に立ててなによりです」
手をかざすと、光はふっと消えて静寂が包み込んだ。
「お前は光魔法の使い手なのか」
ビョルンさんはブランシュさんに問いかける。少し硬い声だった。
「光魔法の使い手は希少だ。ギルドの連中が欲しがるのも無理はない」
「鉱山の採掘に便利なので、覚えただけなのです」
ブランシュさんは困ったように頷くと、光の玉をいくつも発生させて、宙に放り投げた。するとぽうっと周囲が淡く光り、ぼんやりと輪郭が浮かび上がる。
「あ……!」
中央に浮かび上がったのは、仰々しい鉄製の扉。いかにもな場所だ。つまり。
「ようやくボス部屋!!」




