221_ピットファイター
「あ、あのぅ、ビョルンさん」
居心地の悪さを感じて、ビョルンさんの名前を呼んだ。ビョルンさんは静かに目を開き、私の顔を覗き込んだ。無事を確かめるように、ゆっくりと頬に触れる。その温かい手が擽ったくて、私は眉を下げた。
「ありがとうございます、ビョルンさん」
私はゆっくりと身体を起こし、ビョルンさんを見上げる。
夢の中の、あの夕日に染まったみかん畑。寂しくて泣いていた私を抱き上げてくれた彼の温もり。あれは魔女の見せた悪夢だったけれど、彼が助けに来てくれたのは紛れもない現実だ。
「私を見つけてくれて」
「そういう契約だ」
口では素直じゃないけれど、耳がぴょこんと上がってる。その耳に触れたい気持ちをグッとこらえて、私はビョルンさんの額に自分からコツンとぶつけてみせた。
「さぁ、先に進みますよ。あんな夢を見させた魔女をぶっ飛ばしたい気分です」
私の強気な発言に、ビョルンさんはふっと口角を上げる。
「お前はそれくらい可愛げのない方がいい」
「うるさいですよ」
私達は立ち上がり、未だ気を失っているユウさんと、彼の手を握るブランシュさんの元に歩いていった。
「うぅ……?」
ちょうど、ユウさんも悪夢から戻ってきたようだ。顔色は悪いけれど、外傷を負ったわけでは内容で少し安心する。ブランシュさんといえば、聖母のように穏やかな顔でユウさんの隣に座っていた。
「ユウ様、ご心配なく。あなたの傍には私がおりますから」
「ブランシュさん、ありがとうございます」
二人の間にもなにか絆が芽生えたようだ。しかし深追いはしないほうがいい気がする。ビョルンさんはというと、フンと鼻を鳴らして二人を一瞥するだけだった。
「悪夢を乗り越えることが、この部屋の条件だったようだな」
ビョルンさんの視線の先には、先程まで存在しなかった扉が出現していた。鉄の扉は禍々しい紋様が書かれており、その先が穏やかではないことは簡単に予想できた。だが、私たちは進むしかない。
「行くぞ」
ビョルンさんは迷いなく扉に手をかける。私は頷いて、その大きな背中を追いかけた。
新しく現れた通路を抜けた先。そこに広がっていたのは、これまでの薄暗い通路とは全く異なる、広大で神聖な雰囲気の漂う円形の巨大な広間だった。
「グルル……」
それはまるで、古代の闘技場のよう。天井は見上げるほどに高く、その床には、複雑な幾何学模様の魔術式がびっしりと刻まれている。
「ミニベロス、おいで」
「きゅうん」
私はミニベロスを抱き上げて、三つの頭を撫でてあげた。彼らは元々闘技場に見世物として扱われていた。闘技場なんていい思い出はないだろう。
広間の中央には、古びた石碑がぽつんと佇んでいる。私はすかさず鑑定グラスを構え、レンズ越しに石碑の文字を睨んだ。
「……これは、『檻の試練』、とあります。この部屋を突破するためのルールが書かれているみたいですね」
「檻?」
ユウさんが大盾を抱え直しながら、不思議そうに首を傾げる。
「はい。しかもこれ、解除を始めると……?」
私はグラスの倍率を上げ、さらに細かく刻まれた文字を読み上げた。
「解除を始めると同時に、この部屋の四方から無限に魔獣が呼び出されるそうです。門が完全に開くまでの間、魔獣の猛攻から私を守り抜き、耐え続けなければならない……!?」
なんという悪趣味な罠!
「鍵を開けられなければ、先に削り殺されるということか」
私の隣で、ビョルンさんが不敵に口角を上げた。腰の愛剣の柄に手をかけ、いつでも引き抜けるように親指で鍔を押し上げる。
「でも解除ってどうやってやるんでしょうか」
「おまえのソレは何のためにある?」
ビョルンさんが私の前髪を書き上げて、鑑定グラス越しにこちらの目を覗き込んでくる。たしかにこのパーティーの中で、最も戦力的に劣るのは私だ。
「何のためにナイフで鍛えてやったと思ってる。最低限の働きはできるだろう」
ぽすん、と頭に手を置いて、ビョルンさんは低く宣う。私は腰にぶら下げていたナイフを握り、小さく頷いた。
「わかりました。必ず、解除してみせます!」
「ルナさん、俺の『ファイアウォール』で背後は絶対に守り抜きます! 安心して解除に専念してください!」
「私も、ユウ様とビョルン様のフォローを、全力でいたします!」
「はい! よろしくお願いします、皆さん!」
二人の頼もしい言葉に頷き、頭を下げた。
ブランシュさんの瞳には、先ほどの悪夢から醒めた時よりもさらに深く、どこか高熱を孕んだような、危ういほどの「光」が宿っていた。
「悪を排し、皆様をお救いするためですもの。私は絶対に、一歩も退きません!」
一瞬だけ、ゾクりとした不穏な予感が胸を過ったけれど、今は彼女のその強い意志と力を信じるしかなかった。
「では、解読を開始します!」
私の声でユウさんは盾を構え、ビョルンさんはすらりと剣を抜く。ブランシュさんは二人の後ろで、ぎゅっと手を握りしめた。私は大きく息を吸い込むと、中央の石碑の真ん中にある窪みを力いっぱい押し込んだ。
「来るぞ……!」
重い金属音を立てて、広間の壁に埋め込まれていた無数の鉄格子が一斉に跳ね上がった。その奥の暗闇から、赤く光る無数の獣の瞳がこちらを睨みつける。
「グルゥゥァァァァッ!」
不気味な咆哮を上げ、黒い霧を纏った狼型の魔獣たちが、一斉にこちらへ向かって牙を剥いて飛び出してきた。
「来ます! 『ファイアウォール』!!」
ユウさんが叫び、私の前で大盾を地面に突き立てた。半透明の強固な魔力の壁が展開され、突進してきた魔獣の群れを真正面から激しく弾き飛ばす。
「群れたところで雑魚には変わらん」
風を切り裂くような速度で、ビョルンさんの身体が地を滑るように躍り出た。
愛剣が一閃。美しい銀の軌跡が宙を描いた瞬間、先頭を走っていた魔獣が悲鳴を上げる間もなく光の塵へと還っていく。金色の髪を揺らし、野獣のような俊敏さで敵の包囲網を次々と切り裂いていくその姿は、冷徹でありながらも圧倒的に心強かった。
私は焦る心を必死に抑え、鑑定グラスを通して石碑を睨みつける。
「落ち着け、落ち着け……!」
自分に言い聞かせるようにして呟き、石碑の面を触る。僅かな窪みがあるが、規則性はない。
「お……!?」
正面の右側を押すと、窪みにそってぐるりと面が回転した。まるで、ルービックキューブのように。
「でもこれ、色が一緒だからわかんない!」
「何をひとりで言ってるんだ。さっさと解除しろ!」
「やってますってば!」
ビョルンさんの怒号にこちらも負けじと返事をするが、彼の余裕のなさも頷ける。魔獣の数は一向に減る気配がないのだ。それどころか、倒しても倒しても、壁の奥から新たな魔獣が湧き出してくる。
「くっ、きりがない……!」
ユウさんの盾に魔獣たちの爪が激しく擦れ、嫌な金属音が響く。ミニベロスは魔獣の首に噛みつき、振りわましていた。そして前線で剣を振るうビョルンさんの額にも、徐々に汗が浮かび始めている。
ジリ貧とはこのことを言うのだろう。早急な対応を求められている。
「鑑定スキルがもっとあったらなぁ」
ボヤきながら鑑定グラスを覗き込む。しかし覗き込むだけでは、やっぱり何も起こらない。じゃあ何かをするとか……。
私は周囲を見回し、天井を仰いだ。灰色の石造りの天井の真ん中に、マンホールのような蓋がある。そしてそこには、文字が描かれていた。
「『生贄を捧げよ』?」
ふと、思いついて自分の手のひらを見る。そういえば、漁業都市でアールが私の魔力について言及していた。つまり私は魔法を使うことはできないけれど、魔力は体内に流れているということだ。そして魔力はこの世界の生命にとって血液に等しく、なくてはならない存在だという。
「生贄………つまり、は……」
魔力の流れた、血?
「ええい! ままよ!」
私はナイフで手のひらを切りつけて、再度石碑に手を置く。血で濡れた手を抑え、体内の熱を石碑全体に流し込むように念じた。早く、早く!
「ルナ! 上だ!」
ビョルンさんの声で我に返り、上を見る。すると先程の蓋が少し緩んでいるのが見えた。だがその蓋は非常に高くて、手をかけることができない。
「いいか。舌を噛むなよ」
ビョルンさんが戻ってきて、私の傍に立つ。急な話の内容に首を傾げながら、何とか頷いてみせた。ビョルンさんはその返事を承認するよりも早く、右手から風を起こす。そして。
「わぁぁあああ!?」
次の瞬間。私の身体は空高く投げ出されていた。




