218_記憶の書
「えーと、ルナさん、待ってくださいね」
ユウさんがガサゴソと動いた気配がする。そしてボッと鈍い音がして、手元が明るくなる。
「これは?」
「携帯松明ですよ。冒険者の必需品なんです」
ユウさんが見せてくれたのは、手のひらサイズの魔法道具だった。懐中電灯のような便利アイテムなものらしい。
「なるほど。今度仕入れておきま……いや、要らないか。ビョルンさんいるし」
「ビョルンさんを便利家電扱いしないであげてくださいよ……」
周囲を照らして見た結果、私たちは古い本棚に囲まれた、書庫のような場所に入ってしまったようだ。埃と紙、そしてインクの香りがする。地元の図書館ってこんな香りがしたような。
「出口はなさそうですね」
ユウさんは本棚の隙間などを探してみるが、それらしきものはない。私はふと気になった本を手に取ってみた。
「この本も、もう一冊も全部白紙……?」
パラパラとめくってみても、真っ白な紙が挟まっているだけだ。一冊、もう一冊も白紙。白紙の本をこれだけ敷き詰めて、一体なんの目的があるのだろう。そしてある一冊、唯一タイトルのついた
「『記憶の書』?」
「ガルルルッ!」
ミニベロスが牙を剥いて唸る。その瞬間、私が手に持っていた本のページが眩く光り始めた。
「えっ、な、なに!?」
本から溢れ出した白い光が部屋中を満たして、その場には別の景色が映し出され、別空間にいるような錯覚に襲われる。まるでプロジェクションマッピングのような感覚で、一瞬嫌な浮遊感に身体がふらついた。
「こ、ここは……!」
その景色は、私もユウさんもよく知っている場所だった。
「東京駅!?」
ガタンゴトンという電車の音が聞こえる。サラリーマンの雑踏、ホームに響くアナウンス音、電車のタイヤが線路を走る音。毎日聞いていた生活音が今、すぐ側にあるのだ。ユウさんは目を丸め、私も身体が固まってしまった。だって、ここは異世界。東京駅に戻れたわけがない。それなのに、どうして?
「魔女の幻惑って、こういうことなのかも」
私とユウさんは顔を見合せて、東京駅に視線を戻す。ホームにいるのは確かに人間だけど、こちらに気がついている様子はない。そんな雑踏を掻き分けて歩いてくる、一人の中年男性が歩いてきた。その男性を見た瞬間、ユウさんがびくりと肩を跳ねさせた。怯えたように後ずさる。
「部長、なんでここに……!?」
中年男性はユウさんの前に立つと、大声で怒鳴り始めたのだ。目の前の男性が幻影だと脳では理解しているが、あまりにも現実味のある光景に足がすくむ。
「北条! お前、なんでこんなことも出来ねぇんだ!」
突然の怒号に私は驚いてしまい、ミニベロスが私を守るように吠えた。しかし男はまるで私たちをいないもののように扱い、ユウさんだけを見つめている。
「ユウさん、大丈夫ですか?」
「元の世界にいた時は、こんな感じだったんです。どうしようもないサラリーマンで」
ユウさんは気まずそうに頬をかいて、俯いてしまった。ミニベロスは心配そうに彼の足の間に挟まり、元気づけようとスリスリと擦り付ける。
「私も同じですよ。どうしようもない、ただの会社員でした」
私はユウさんの隣に立ち、中年男性を見上げた。眉間に皺を寄せ、薄い髪を覆い隠すようなヘアセット。ぴしりと整えられた襟とネクタイ、背広とスラックス。典型的なサラリーマン。私だって、この記号的な社会人のひとりだ。
「なんてことない、一般人です」
ここは異世界で、元の世界とは違う。私たちは異なる次元から落ちてきた者たちとして、特別な能力を得た。しかしその力がなければ、元の世界と同じ、ただの力を持たない社会の歯車なのだ。
「ユウさんは、元の世界に帰りたいですか」
ユウさんが異世界人であると知ってから、ずっと聞いてみたかった問い。彼は視線を落とし、何かを思案するように黙り込んでしまった。
「俺、ホントにダメダメなんです。こっちの世界でも、上手くいかない事ばかりで」
言葉に呼応するように、周りの景色が変わる。次は冒険者ギルドの酒場だった。数日前に見た通り、冒険者たちがテーブルにつき酒を煽っている。真ん中では賭博が行われているのか、大柄な男性が勝ち誇ったように腕を上げていた。
「この冒険者は最初のパーティーでのメンバーで。いつも俺を負かして楽しんでたんです。おかげで、技術を磨けたんですけどね」
ユウさんは笑顔を見せる。しかしその笑顔はどこか痛々しい。そして諦めの色も浮かんでいた。
「だから、どこにいても同じかなって」
その答えに私は何も言えなくなった。ハルは自分の欲を満たすことを選び、タクさんはミャーコさんと共に生きることを選んだ。この世界において、異世界人は選択を迫られる。
パッと映像が切り替わり、先程の白い空間が橙色の夕焼けに変わる。
「……私の会社、ですね」
窓から夕日が差し込んでいる、なんてことない商社ビルのオフィス。それが私の職場だった。わかるのは、四方から私への冷たい視線がとんでくることだけ。だけど私は、頑なに目線をあげなかった。
自分ができる努力を怠り、上ばかり見上げる彼らのようには堕ちるまい。そう自分に言い聞かせて、目の前のキーボードを必死に叩いていたあの頃。
「思い出したくもない」
私は首を振ってため息をつく。会社は倒産したのだから、あの場所に帰ることはもうない。そのはずなのに、胸が苦しい。
「私は、元の世界に帰りたい」
自分に言い聞かせるように、小さく呟いた。
故郷に一人残してきた祖母のために、私は帰らなければならない。今はもう、祖母の家族は私だけだから。
「元の世界に変える方法を探したいんです。ユウさんも、その……どうですか」
先程の光景を見てしまった手前、尻すぼみの勧誘になってしまった。彼にとっての居場所を見つけるのは、もう少し先かもしれない。だったら、その手助けをしてあげたかった。
「これまで何人か異世界人に会いましたが、自分の道を歩いているんです。ユウさんの道は、どこですか」
「俺の道は……」
ユウさんの言葉は途切れ、映像が静止画のように動かなくなる。不気味な静寂が私たちを包み込み、ミニベロスが不安げに鳴いた。
「おいで」
ミニベロスを抱きあげようと、手を伸ばす。その瞬間。ガクン、と部屋が揺れて、オフィスにいた一人の社員と目が合った。その目は真っ黒に塗りつぶされ、虚無と呼ぶのが正しいだろう。その虚ろを覗き込んだ瞬間、私は全身から血の気が引いていくのを感じた。
この世界で何度か味わった、死への恐怖だ。
「ぁ……」
首を絞められたような息苦しさを感じる。ひゅうと喉が鳴り、私は膝を着いて倒れ込んだ。
「ルナさん!」
ユウさんが私に駆け寄ると同時に、部屋中に女の笑い声が響き渡る。楽しげに、高らかに響く笑い声は恐ろしいほどに美しかった。
「な、なに……!?」
「ルナさん、ルナさ……うぅ、なんだ!?」
ユウさんも頭を抱えて蹲り、倒れ込んでしまう。謎の力により、私とユウさんはねじ伏せられている。しかし、その力の正体が分からない。
『少しお眠り、可愛い子たち。いつか迎えが来るまで、ずっと』
魔女の楽しげな声が、遠くなる意識の中で聞こえた気がした。




