217_ぺちゃんこサンドイッチの危機
「うぅー……いたたぁ……」
お尻に走る鈍い痛みに顔を顰めながら、私はゆっくりと体を起こした。
どうやら、小さな部屋に落ちてきたようだ。天井には先程地面に描かれたものと同じ魔法陣がある。部屋の中には溢れんばかりの紙が積み重なり、私のおしりで踏んづける形になっていた。
「ルナさん! 大丈夫ですか!?」
「わふふっ!」
ユウさんとミニベロスがガサガサと紙をかき分けてこちらに走ってくる。ミニベロスはぴょんと跳ねて私の腕の中に収まった。
「はい、なんとか。ユウさんも無事ですか?」
「ええ、俺はピンピンしてます。……って、あれ? ビョルンさんとブランシュさんは?」
部屋の中には私たち以外誰もおらず、ビョルンさんとブランシュさんはどこにも見当たらない。完全に分断されてしまったのだ。
「……ルナ! そこにいるか」
突如、すぐ近くの壁の向こうから低い声が響いた。間違いない、ビョルンさんの声だ!
「ビョルンさん! はい、私はユウさんと、ミニベロスと一緒にいます! そっちは!?」
「俺の隣にはブランシュがいる。……クソ。どうやら、落ちる瞬間に強制的な転移魔法で二組に引き離されたらしいな」
ビョルンさんが壁を叩く音が聞こえるが、壁はびくともしない。
「ただの壁ではなく強固な隔離結界が施されているようだ」
「ルナ様、ユウ様。こちらは大丈夫ですわ! お怪我はありませんか?」
ブランシュさんの心配そうな声も重なる。二人とも無事なようで、まずは一安心だ。
「俺の魔力でこの壁を破るには、少し時間がかかりそうだ。ルナ、お前たちの部屋に出口はあるか?」
ビョルンさんの問いかけに、私は部屋を見回した。
背後の壁に、ひっそりと佇む古びた鉄の扉がひとつだけ、ぽつんと存在していた。
「ええ、扉がひとつだけあります」
「なら、そこを開けて進め。魔女の誘惑に気をつけろよ。小僧、ルナを死ぬ気で守れ」
「はい、もちろんです。ルナさんは、俺の命に代えても守ります!」
ユウさんがビョルンさんの言葉に力強く応える。頼もしいけれど、命に代えられては商売あがったりなので、そこは生きて帰ってもらわねば困る。
「ビョルンさん、ブランシュさん! 先に行って待ってますからね!」
壁の向こうの二人に声をかけ、私はユウさんと向き合って頷いた。
「行きましょう、ユウさん」
部屋にあるのは、あの扉ひとつだけ。選択の余地はない。私たちは意を決して、その扉に手をかけた。
ギギギ……と、錆びついた嫌な音を立てて扉が開く。
その先に続いていたのは、薄暗く、ひんやりとした一本の長い石造りの通路だった。
「ルナさん、俺が先頭を歩きます。何があるか分かりませんから、俺のすぐ後ろを離れないでください」
「はい、お願いします。罠に気をつけていきましょう」
私は鑑定グラスをのぞきこみながら、ユウさんの背中の後ろから慎重に周囲をうかがった。
一歩、また一歩と、罠を警戒しながら静まり返った通路を進んでいく。幸い、矢が飛び出してきたり、天井が落ちてきたりするような気配はない。けれど、静かすぎることが逆に不気味で、心臓の鼓動が嫌に大きく耳に響いた。
どれくらい歩いただろうか。
やがて通路の突き当たりに、大きな両開きの扉が現れた。ユウさんが慎重にその扉を押し開ける。すると、目の前の空間が一気に広がった。
「これは……すごいな……」
ユウさんが思わず感嘆の声を漏らす。
そこは、まるで古城の玄関ホールのような、広大で厳かな大空間だった。高い天井からは豪奢なシャンデリアが吊り下がっており、床には見事な大理石の模様が広がっている。
だが、私たちの目を引いたのは、その空間の美しさではなかった。
ホールの正面、私たちの行く手を阻むように、並んで佇む三つの扉。
「左の扉は……黒いけど鉄製で、鎖が巻き付いてる。開けるのは無理そうですね」
「中央のは、木製。でも、なんか……インクのシミが生き物のように見えませんか?」
「うわ、ほんとだ。辞めておきましょう」
私たちは左から順に扉を吟味していく。
そして最後に見た右の扉は、眩いばかりの純白の大理石でできており、かすかに聖なる光のようなものを放っていた。逆にその眩さがあからさまな罠にも思える。
「うーん、どうしましょうか。どの扉でもこじ開けることはできると思うんですけれど」
ユウさんが困惑したように私を振り返った。一歩間違えれば、それこそ魔女の恐ろしい幻影の餌食になりかねない。慎重に行くべきだろう。
「こういう時は……」
そう、慎重に。私は中央のドアノブを掴んで、そして叫んだ。
「勘です!」
「えぇ!?」
「笑う門には福来る! 出でよ、幸運! 招き猫!」
大丈夫、私には幸運を招くスキルがある。正しくスキルが働けば、近くにいる人、つまりユウさんに幸運が訪れることになるのだ。だからきっと大丈夫。
「ひょわ……!?」
と、そこでお腹が浮くようなふわりとした感覚。
「危ないっ!」
ユウさんに抱き止められて、すんでのところで落下は避けられた。足元を見ると、そこは深い谷底で終わりが見えない。からり、と小石が落ちたけれど落下音は聞こえなかった。
「や、やっぱり別の扉にしましょうか……」
「そ、そうですね。今回は運が悪かっただけですよ。気にしないでください」
私たちはそっと扉を閉じて、床にへたりこんだ。今のでどっと疲れてしまい、考える気力を奪われてしまう。いつもの不貞腐れたエルフの顔が見えないせいか、気弱になってしまったのかもしれない。
「あの……ルナさん」
ユウさんは恐る恐るといったように、私に話しかけてきた。きゅっと引き結んだ唇を噛み締めて、悩みながらも必死に言葉にしようとしてくれていることが伝わる。
「俺じゃ頼りないかもしれないですけど、俺は絶対ルナさんを守りますから」
その言葉からは、彼の強い信念が垣間見えた。
「ありがとうございます。でも、無理はしないでくださいね」
「もちろん。俺なら平気です」
ユウさんは明るい笑顔を見せて、縦を構えて見せる。その顔は自信に満ちていた。
「こうなったら、片っ端から開けていきましょう!」
あまりにも力技だけど、その度胸は好ましい。
「どうせ何も手がかりもありませんからね! よし、じゃあ次は右!」
と、そこではたと気づく。なんとなくビョルンさんがジト目でこちらを見ている気がしたからだ。
「……鑑定グラスをのぞけばいいのでは?」
「はっ」
私とユウさんは顔を見合せて固まった。私は大きく咳払いをして、自分の眼鏡をクイッと上げる。
「これは物の属性を鑑定する魔法道具です。魔女の迷宮で通じるかは分かりませんが……やってみる価値はあります!」
『最初からそうしろ』とビョルンさんの心底呆れた声が聞こえた気がしたけれど気にしない。
「じゃあ次は右から」
眩く光る右側の扉を睨みつけ、鑑定する。
『毒霧の間』
「はい、パス。次!」
私は腹の底から叫んだ。詳細なんて見る必要はない。なんてものを用意してるんだ、ここの魔女は!
「即死トラップでしたね。危なかったなぁ!」
「鑑定グラスさまさまですね」
ありがとう、アニタさん。あなたのお陰でふたつの命が救われました。ルーンデールに戻る時があれば、ちゃんとお礼を言おう。
……あれ。
ルーンデールに帰ることなんて、あるのかな。
「ルナさん?」
「……あ、いえ! 大丈夫です。次の扉を鑑定しましょう!」
「でもこの鎖をどうにかしないとダメですよね。壊せるかな」
「うーん、なにか鍵があったりするのかも」
ガガガガガガガガガ……ッ!!
その時、私たちの声を凄まじい地響きがホール全体に轟いた。ミニベロスが牙をむき出して低く唸る。
「えっ、何!?」
「ルナさん、後ろ!!」
ユウさんに言われてガバッと振り返ると、反対側の壁がこちらに迫ってきていた。つまりこのまま悠長なことをしていると、我々はサンドイッチのトマトになるわけだ。
「う、嘘でしょ!?」
壁を火花を散らしながら削り、大岩が迫り来る。どうやらこの仕掛けには時間制限があったようだ。
「なんて、言ってる場合じゃなーーーいっ!!」
「ルナさん、つかまってくださいッ!!」
ユウさんが叫ぶと同時に、私の体をひょいと横抱きにする。さらに足元からミニベロスを器用に蹴り上げるようにして背負う。
「ぬぉおおおーーっ!!」
迫り来る壁を背に、ユウさんが火事場の馬鹿力で、左の鉄の扉へと全力タックルをする。二度、三度と体当たりを続け。そして。
ガァァァァァン!!!
鎖が派手に弾け飛び、重厚な鉄の扉が文字通り粉砕された。ユウさんはそのままの勢いで、私を抱きかかえたまま暗い部屋へと豪快に滑り込む。
直後、壁が扉にぶつかって、暗黒が訪れた。




