214_一発逆転? 世の中そんなに甘くない
「な、なんだぁっ!?」
ガイルの引き攣った悲鳴が響くのと、銀色の閃光が暗闇を切り裂くのは、ほぼ同時だった。
男たちの輪へ飛び込んだビョルンさんの動きは、まさに圧巻の一言だった。
無駄のない流麗な剣さばきで放たれた一撃が、まずは二メートルある巨人の兵隊の一人の膝を容赦なく打ち抜く。凄まじい質量が崩れ落ちる間に、もう一人の巨人の腕を剣の腹で弾き飛ばし、鳩尾へ強烈な前蹴りを叩き込んだ。
「がはっ……!?」
巨漢二人が一瞬で使い物にならなくなり、周囲の裏冒険者たちが完全に凍りつく。
ビョルンさんは止まらない。踊るような剣撃で次々と武器を叩き落とし、峰打ちと体術だけで、瞬く間に十数人の男たちを地面に転がしていった。
ビョルンさんが場を圧倒している隙に、私はできることを考えた。
まずはブランシュさんの救助。
「ミニベロス!」
「ぎゃう!」
私が指示を出すと、ミニベロスはブランシュさんを掴んでいた男たちの腕に噛み付いた。そしてそのまま振り回し、壁に叩きつける。
「ブランシュさん、逃げますよ!」
「待ってください、まだ人が……!」
ブランシュさんは私の手を振り払い、夢中で荷馬車へと駆け寄っていった。たしかに、彼らを見捨てることもできない。少しでも多くの人を助けなきゃ。鉄格子を開けて怯える人々の鎖に手をかけた。
「大丈夫です、今外しますから!」
そう声をかけながら、震える男性の太い鎖を解き、手を差し伸べようとした瞬間だった。彼のボロボロに破れた麻の服の隙間から、剥き出しになった背中が目に入る。
「……っ!?」
そこには、皮膚がどす黒く焼けただれた、おぞましい焼印が刻まれていた。人間を家畜か何かのように管理するための残酷な印。それも一人だけじゃない。衣服の隙間から見える人々の背中には、一様に、まだ新しく赤く腫れ上がった痛々しい烙印が押し付けられていた。
「奴隷の紋章です。この国では、奴隷にはこうして印をつけるのです」
ブランシュさんは悔しそうに唇を噛み、教えてくれた。人としての尊厳を容赦なく踏みにじる、現実世界では到底信じられない狂気の光景。怒りと強い嫌悪感で、私の指先がガタガタと激しく震えだす。
「ひ、ひいいっ!?」
背後では尻もちをついたガイルの喉元に、ビョルンさんが冷徹に剣の切っ先を突きつける。完璧な仕事に満足したように、得意げに光るライムグリーンの瞳が、冷たくガイルを見下ろした。
「さて、今後のことについてだが」
ビョルンさんがそう口にしかけた、その時だった。
地響きのような、重苦しい足音が空洞の奥から響いてきた。
「な、なにあれ!?」
これまでの巨人とは明らかに格が違う。現れたのは、全身を黒鉄の重装甲で固め、禍々しい魔力の光を放つ巨人兵だった。
その衛兵が引きずっているのは、人間を縛るための太い奴隷の鎖。そして彼らの胸鎧には、先ほど奴隷たちの背中で見たものと同じ紋章が刻まれていた。
「……ッ!?」
不意に、ビョルンさんの息が止まった。
突きつけられていた剣の先が、微かに、けれど確実に震え始める。
「ビョルンさん……?」
おかしい。いつもならどんな強敵を前にしても不敵に笑う人が、嘘のように硬直している。ボサボサの髪の間から覗くその耳は、見たこともないほど力なく後ろに垂れ下がり、小刻みに震えていた。
「は、はは……! 来た、来やがった! クリスタニアの本隊だ! お前ら全員終わりだ!」
ガイルが勝ち誇った顔で高笑いをする。ガイルの声に呼応するように、巨人衛兵が巨大な鉄球を振り上げ、地鳴りを立ててこちらへ突進してきた。
なのに、ビョルンさんは動かない。
それどころか、顔から完全に血の気が引き、まるで何か恐ろしい幻影でも見ているかのように、瞳孔を開いて激しく呼吸を乱していた。額からは大粒の冷え切った汗が流れ落ちている。
「……く、そ……ッ」
胸を掻きむしるようにして、苦しげに呻くビョルンさん。
私は理由が分からなかった。ただ、今の彼が、戦える状態ではないことだけは痛いほどに伝わってくる。背中の焼印を見て私が感じた恐怖の、何百倍もの絶望に彼は今、呑み込まれそうになっている。
巨人衛兵の鉄球が、容赦なくビョルンさんの頭上へと振り下ろされる。私はミニベロスの足輪を外して吠えた。
「ケルベロス! ユウさんとブランシュさんを引っ張って!!」
「グォオオン!!」
本来の姿を取り戻したケルベロスは、咆哮をあげて空気を震わせる。その衝撃に巨人が怯んだ隙に、ビョルンさんを巨人から引き離した。
「ビョルンさん、撤退です!! 走って!!」
私の叫び声で、ビョルンさんの瞳に微かに理性の光が戻った。彼は自分の口元を血が出るほど強く噛み締めると、掠れた声で私の名前を呼んだ。
「……ルナ」
その瞳には、初めて見る色が宿っていた。それは、底知れない恐怖だ。ビョルンさんはこの巨人に、そしてこの場所に、強烈な恐怖心を抱いている。
「ビョルンさん。大丈夫、私がいます。傍にいますよ」
彼の大きな手を強く握り、私は全速力で前を走った。
「いくよ、ケルベロス!」
「ガゥゥ!」
ミニベロスが三つの頭でユウさんの襟元とブランシュさんの服をくわえ、怪力で引きずるようにして走り出す。私とビョルンさんも、背後で炸裂した鉄球の凄まじい衝撃波を背中に浴びながら、一目散に薄暗い通路の奥へと逃げ込んだ。
「おい! 逃げるんじゃねぇ!」
背後から迫る巨人の咆哮とガイルの罵声を聞きながら、私たちはただひたすらに、暗闇の中をがむしゃらに駆け抜けるしかなかった。
逃げ込んだ先はダンジョンの外だった。ひんやりとした外気が上気した頬に触れる。ブランシュさんとユウさんは気まずそうにしているが、逃げることはないらしい。
となると、先に手を打つべきはビョルンさんだ。
「ビョルンさん」
ビョルンさんは少し離れた木陰で休んでいた。顔色は悪く、脂汗が浮かんでいる。
「あの……ビョルンさん、答えられる範囲でいいんですけれど……聞いてもいいですか」
私は落ち着きを払って、ビョルンさんの前に座った。彼の震える手を握り、静かに胸に抱いた。ビョルンさんは少し安堵したように息を吐き、小さく頷いた。
「呪いを解く手段に、心当たりはある。クリスタニアまでの道のりにいる魔術師だ」
「え?」
「だが、その」
彼はいたたまれなさそうに耳を下げ、視線を逸らした。
「協力を頼めるかは分からない」
だが、彼が今できる最大の譲歩なのだろう。これまで話せなかったのは、怖かったのかもしれないし、他の理由があるのかもしれない。でも、今話してくれたことに意味がある。
「ユウさんとブランシュさんと取引しませんか」
「取引だと?」
ビョルンさんの目がすっと細められる。試すような、しかし興味深そうに。だから私は得意げに胸を張ってみせた
「はい。私に考えがあります。任せてください、ちゃんと二兎追いかけても捕まえてみせます」




