213_戻るか? それとも突き進むか?
深夜、しんとした休憩所。
パチ、と爆ぜた焚き火の小さな音と、足元で丸まっていたミニベロスが低く喉を鳴らした気配で、私はふと目を覚ました。
薄暗い残火の明かりの中、視線を彷徨わせるといるはずのふたつの影がなかった。見張りのユウさんと、ブランシュさんがいないのだ。私は飛び起きてビョルンさんの肩を掴んでゆり起こす。
「ビョルンさん、ユウさんたちがいません!」
「逃げた」
「は?」
なんて事ないかのように、ビョルンさんは答える。その声には心の底からの呆れが含まれていた。モゾモゾと寝床に頭を突っ込もうとするのを阻止する。
「気付いてたんですか?」
「ついさっきだ。あの小僧、契約不履行をするような男だとはな」
「なにか理由があったのかも」
ユウさんは正義感が強そうな人だった。ブランシュさんの境遇に同情しているように見えたけれど、まさか私たちの契約を反故にするなんて。きっとなにか、とても大きな決断があったのだろう。それこそ、ブランシュさんの言葉に揺れ動いてしまったのかもしれない。
「どうする」
「どうするって言ったって……」
「あれだけの騒ぎを起こして雇った前衛に、一日で逃げられたとなると商会の評判にも響く」
ビョルンさんは面倒くさそうに起き上がり、大きなあくびをした。
「連れ戻すなら、今しかない」
私は少し言葉に詰まった。ユウさんが完全に間違いだと言いきれなかったからだ。
「どうしてあんなに回りくどいことを言ったんですか? エリザベスさんの顔を立てるっていうのは理解できるんですけれど、ビョルンさんらしくない気がして」
私は正直な疑問を口にした。これまでならば言えなかったことだけど、今なら言える。私たちを隔てる壁は、少しずつ薄くなっているはずだから。
「あの小娘の一族のことは知っている。正直、良い印象は持っていない」
「そうなんですか?」
「人間種は愚かだ。歴史は繰り返す」
ビョルンさんのライムグリーンの瞳が、残火の微かな光を反射して、どこか遠い過去を見つめるように細められた。その横顔には、いつもの面倒くさがりな態度とは違う、深い諦念のようなものが滲んでいる。
「言葉通りの意味だ。あの小娘の祖先――クリスタニアの旧王族が権利を失ったのは、他でもない、身内の権力闘争と強欲が原因だ。ドワーフたちを都合良く扱い、反発を招いて自滅した。今の統治者と大差ない」
ビョルンさんは淡々と、冷徹な事実を口にする。
「ブランシュとかという小娘の主張は綺麗な言葉で飾ってはいるが、本質はただの身勝手な復讐と、奪われた利権の奪還に過ぎん。あの小僧は、世間知らの小娘にまんまと巻き込まれたわけだ」
私は、ブランシュさんのあの涙を思い出す。ドワーフの家族を想って流した、あの切実な涙までもが偽物だとは、どうしても思えなかった。
私は、ぎゅっと自分の拳を握りしめた。そして彼を静かに見つめる。
「それなら尚更、追いかけましょう、ビョルンさん」
「なんだと?」
ビョルンさんは静かに私を見つめ返した。その目には批判的な光ではなく、静かな信頼の色が宿っている。
「ユウさんとブランシュさんが勝手に動いて、我々にとって不利益を生むことを避けなきゃいけません。事実確認と、事態の収集のために動きましょう。エリザベスさんもそう望むはずです」
私の言葉に、彼はこれまでにないほど長いため息をつくと、ガシガシと乱暴に頭をかいた。
「ったく……お前は本当に良い腹心だ」
「お褒めの言葉として受け取っておきます」
文句を言いながらも、ビョルンさんはよっこらしょと重い腰を上げた。その耳はすこし上がっていた。なんだかんだ言って、私を一人で行かせる気はないのだ。
「おい、駄犬。あいつらの匂いを追え」
「わふわふっ!」
足元で丸まっていたミニベロスが、三つの頭をいっせいに振って元気よく立ち上がった。床に残ったユウさんたちの足跡の匂いを嗅ぐと、通路の奥へと向かって小さく吠える。
「……急ぐぞ。あの小僧の足なら、そう遠くへは行っていないはずだ。手遅れになる前に、そのおめでたい頭を叩き直して連れ戻す」
「はい!」
私たちは急いで荷物をまとめると、冷え切った休憩所を後にした。ミニベロスを先頭に、薄暗いダンジョンの通路へと、消えた二人の影を追いかけて走り出すのだった。
ミニベロスが低い姿勢のまま、音を立てずに通路を駆けていく。私とビョルンさんはその後ろを影のように追った。
ダンジョンの奥へ進むほどに、ひんやりとした空気が肌を刺し、嫌な汗が背中を伝う。
「……止まれ」
不意にビョルンさんが私の肩を掴んで引き留めた。
ミニベロスもすでに足を止め、三つの頭を低く下げて通路の先を睨みつけている。
前方から、いくつかの話し声と、複数の足音が聞こえてきた。さらに、重い鉄格子の擦れるような音と、鎖のジャラジャラとした不快な金属音。
「……!」
ビョルンさんの耳がひくりと跳ねた。
「大丈夫ですか?」
「静かにしてろ。傍を離れるな」
ビョルンさんと顔を見合わせ、私たちは息を殺して曲がり角の岩陰から先を覗き込む。
そこは、少し開けた地下の空洞だった。数本のランタンが不気味に周囲を照らし出している。
「おい、さっさと歩け! ぐずぐずするな!」
粗暴な声が響く。
見れば、粗末な麻の服を着せられ、手枷をはめられた十数人の人々が、数人の武装した男たちによって一列に並ばされ、鉄格子のついた大きな荷馬車へと押し込められていた。
「ひっ……!」
行方不明者事件の現場。まさに人身売買の瞬間だった。現実世界ではありえない光景に、私は目をつむる。
「う、あ……ッ!」
荷馬車のすぐ近く、地面に叩きつけられるようにして、一つの大きな影が転がった。
「ユウさん……?」
私は思わず声を上げそうになり、ビョルンさんが手を塞いだ。
そこに倒れていたのは、ボロボロになったユウさんだった。鎧は随所がひび割れ、トレードマークだったあの頑丈な大盾はひしゃげている。
「ははっ! おい、出来損ない。正義の味方にでもなったつもりか?」
ユウさんを見下ろし、下品に嘲笑っているのは、倒したはずのガイルだった。しかも今度は二メートルくらいある巨人の兵隊を二人連れている。つまりこの場所はブランシュさんの引渡し場所だったのだ。
ガイルが容赦なくユウさんの脇腹を蹴り上げると、ユウさんは苦痛の声を漏らして血を吐いた。
「ユウ様! もうやめて、やめてください……!」
そのすぐ傍らで、二人の男に両腕を掴まれ、地面に膝を突かされているのはブランシュさんだ。
プラチナブロンドの髪は土に汚れ、アメジストの瞳から大粒の涙を流している。彼女の頬には、ぶたれたような赤い跡が痛々しく残っていた。
「おいおい、お姫様よ。逃げ回ったおかげで余計な手間がかかった」
ガイルは忌々しそうに吐き捨てると、髪を振り乱して泣き叫ぶブランシュさんの顎を強引に掴み上げた。
「引き渡す前に楽しませてもらおうか。手間賃代わりにな」
「いや……! いや、放してっ!」
「ブランシュ、さん……っ! やめろ、ブランシュさんを放せ! 彼女に触るな!」
ユウさんは全身傷だらけになりながらも、必死に手を伸ばして地面を這おうとする。だが、別の冒険者に背中を踏みつけられ、容赦なく地面に顔を埋めさせられた。
あまりにも一方的で、惨烈な光景。
無策で突っ込んだ結果とはいえ、二人の無惨な姿に、私の胸は激しい怒りと焦燥で張り裂けそうになった。
「ビョルンさん……」
「ったく、単独行動なんてするからこうなるんだ」
私が縋るように隣を振り返ると、ビョルンさんはすでに、腰の剣の柄にそっと手をかけていた。
「あのガイルとかいう男、泳がせていた方が効率的だ。だが、お前はそれを望むか?」
私は静かに首を横に振った。そしてグッ拳を握りしめる。
「今度こそ彼らを餌に、黒幕を引きずり出しましょう。喧嘩上等です!」
ビョルンさんは私の言葉にふっと口角を上げる。
「お前に『保守性』を求めるのは無謀か」
「何言ってるんですか。この事件を解決して、エリザベスさんからたっぷり報酬を貰うんです。ビョルンさんの力があれば、こっちの方が効率的です」
彼はクックッと喉で笑い、褒めるように私の頭をくしゃくしゃに撫でた。その顔はとても穏やかで、嬉しそうに耳も上がっている。
「交渉は私に任せてください。だから、喋れる頭は残しておいてくださいね」
「舌くらいは残しておいてやる」
私がニヤリと口角を上げてみせると、ビョルンさんは得意げに鼻を鳴らした。そして剣を携え、男たちの輪の中に飛び出していった。




