200_迷宮都市にようこそ
まばゆい朝日に目を細めながらタラップを降りる。迷宮都市の入口である港は、圧倒的な熱気と喧騒に包まれていた。
「わ、すみません!」
ぶつかりそうになった人に頭を下げて、前を行くビョルンさんを追いかける。港を行き交う人々の放つエネルギーに、私は圧倒されていた。
海の男たちが飛び交わせる怒号に混じって、あちこちから金属が擦れ合うジャラジャラとした音が聞こえてくる。見渡すと、すれ違う人々の大半が武器を携えていた。背の丈ほどもある大剣を背負った大男、全身を黒いローブで包んだ魔術師風の女性、身軽そうな革鎧を着た獣人の少年。ここには戦闘に特化した人々の方が圧倒的に多いのだ。
「ぼさっとするな。スリに遭うぞ」
振り向いて声をかけてきたビョルンさんは、結局、私が昨夜結び直したハーフアップのままだ。いつもより少し顔が見えているせいか、彼の端正な顔立ちがいつもよりよく見える。すれ違う女冒険者たちが、ちらちらと彼に視線を送っているのが少し癪だった。
「わかってますよ。スリになんて一銭も渡しません」
「グルル、ワン!」
私の足元では、ミニベロスの三つの頭が、それぞれ忙しそうに鼻をクンクンと動かしていた。クロは干物の匂いに釣られ、シロはすれ違う強そうな冒険者を警戒し、ブチはただ私にじゃれついている。周りの人々も、三つ頭の魔獣を見慣れているのか、誰も悲鳴をあげたりはしない。この街の懐の深さというより、非日常が日常に溶け込んでいる雰囲気は嫌いじゃなかった。
ギルドへ向かう大通りに足を踏み入れると、その独特な雰囲気がさらに色濃くなった。
道の両側に並ぶ露店には、普通の果物や野菜に混じって、明らかに怪しいものが並んでいる。紫色の濁った液体が入った小瓶、何かの魔獣の鋭い牙や、怪しく明滅する鉱石。
「あの光ってる石って何ですか?」
「ただの迷宮光石だ。迷宮の下層で採れる。大した価値はない」
「へぇ、こんなにキレイなのに価値は低いんですね」
ビョルンさん店先のラインナップを見て、呆れたように肩を竦めた。そして耳元で囁いてくる。
「時々紛い物のガラス玉が混じってる。むやみに買えば痛い目を見るぞ」
「あこぎな商売だなぁ」
「なんのための鑑定グラスだ。よく見ておけ」
私には櫛の時の前科があるので、彼の威圧的な言葉にも頷くしかない。
「わかりました」
「いい子だ」
ビョルンさんの言葉に頷くと、彼は満足したように颯爽と前を歩いた。様々な冒険者たちとすれ違いながら、目的地に向かってドスドスと足音を立てて進んでいく。
「キュウン」
「ん? どうかした?」
ミニベロスが立ち止まったので周りを見回すと、どこからか暴力的とも言えるほどに香ばしい、お肉の焼ける匂いが漂ってきた。じゅうじゅうと脂の爆ぜる音まで聞こえてくる。
「うわ、良い匂い……!」
吸い寄せられるように視線を向けると、白い煙をモクモクと立ち上げる露店があった。鉄板の上で、大ぶりな肉塊が串に刺さって何本も焼かれている。看板には『迷宮名物・クックホッパー(鶏)のタレ焼き串』と書かれていた。
「うぅん、どうしよ」
この焼き立ての強烈な匂いは胃袋にダイレクトに響く。気がつけば、私のお腹が小さくキュウと鳴っていた。
「ビョルンさん、お腹すきません?」
「肉なら食う。……が、いいのか」
ビョルンさんが気にしているのは財布事情だろう。だけど彼の目はもう既に串焼きの肉に釘付けだ。
「これも市場調査です。この街の物価を知るため、市場調査は商人の基本!」
「違いない」
もっともらしい言い訳を並べて、私はお財布から銅貨を取り出し、店主のおじさんに元気よく注文した。
「あいよ、おまちどお!」
手渡された串焼きは、ずっしりと重くて熱々だった。肉を覆うほどにたっぷりとかけられているのは、甘辛い醤油ベースのような特製のタレ。匂いがダイレクトに鼻をくすぐって、理性を吹き飛ばしてしまいそうだ。
「はい、こっちはビョルンさんの分」
大きな肉が刺さっている方をビョルンさんに手渡して、私はさっそくお肉に噛みついた。
「んんっ!」
口に入れた瞬間、パリッと炭で焼いた皮の食感、そして淡白だけど凝縮されたお肉の旨味とジューシーな脂が口いっぱいに弾けた。見た目に反して全然固くなくて、噛めば噛むほどしっかりとした味が染み出してくる。
「キュウン……クンクンクーン……!」
足元から物欲しそうな三重奏が聞こえた。ミニベロスの六つの赤い目が、じっと私の手元にある串焼きを見つめている。クロもシロもブチも、完全にロックオン状態だ。
「ちょっとだけね」
タレのついていない中心部のお肉を小さくちぎって放ってあげると、三つの頭が器用に空中でキャッチする。短い尻尾をちぎれんばかりに振って喜んでいた。
「ふふっ、かわいい」
私はミニベロスたちの頭をそれぞれ撫でて、自分の残りの肉に齧りついた。その隣でモグモグと咀嚼するビョルンさんを、私は期待の眼差しで見上げる。
「どうですか?」
ビョルンさんは不思議そうに首をかしげて、ごくんと飲み込んだ。
「……このタレ、知らん味がする」
「あれ? たしかに。この世界では珍しい味ですね。醤油っぽい」
ビョルンさんに言われて初めて、このタレの味に親しみがあることに気がついた。あまじょっぱいテリヤキに酷似しているのだ。
「流石にこの味は、この世界の人間が作るには再現が高すぎる……」
とはいえ、先程の店主はタクさんのような異世界人ではなさそうだ。ということは、導き出される答えは一つ。顧客層のなかに異世界人がいるということ。
「あの」
屋台に戻って店主のおじさんに声をかけた。
「ん、なんだね。返金は受け付けてないよ」
「違います! 串焼き、とても美味しかったです。それで……この味が、故郷の味とよく似てきたので。どこで知ったのかなと思って」
「故郷ってことは、あんた異世界人かい」
「へっ?」
あまりにも簡単に告げられた『異世界人』という言葉に、思わず素っ頓狂な声をあげる。ビョルンさんはどこか警戒するように眉を寄せた。
「ここらじゃ珍しくもないね。この通りにもしょっちゅういるよ、異世界人。この迷宮都市じゃ毎日のように異世界人を見るね」
「毎日って、そんなに?」
「ポータルがあるわけでもあるまいし。家畜みたいにポンポン呼び出されても困るんだがねぇ」
店主は火にかけた肉を回しながら、疲れたようにボヤいた。それほど異世界人が珍しくもないということだろうか。私とビョルンさんは思わず顔を見合わせる。
「ま、味が気に入ったってんなら嬉しいがね。ほれ、こいつはサービスだ。上手くやんな、お嬢さん」
そういって笑いながら差し出された串二本。
「あ、ありがとうございます!」
まさかのおかわりを貰ってしまい、私も笑顔になってしまう。屋台を後にして、歩きながら肉を齧るビョルンさんに尋ねる。
「異世界人召喚の儀式って、そんなに簡単に行われるものなんですか?」
「さぁな。ポータルはないと言っていたが……」
ビョルンさんは顎の無精髭を触り、うーんと唸った。
「安定して召喚の儀式ができる環境、というのも気がかりだ。調査する必要はありそうだな」
「もしかしたら、元の世界に帰る方法もわかるかも……!」
「可能性は捨てきれん」
思いがけないところで僅かな希望が光って、私の胸はドキドキと高鳴る。でも、なんだか前ほど晴れやかな気分ではない。ビョルンさんも少し微妙な顔をして、肉を飲み込んでいた。
「我々の目的は変わらん。これは俺の負債返済と異世界への帰還方法を探る旅だ。片方だけでも達成されるのなら、それに越したことはない」
「だ、ダメです!」
諦めを含んだようなビョルンさんに、私は反射的に食ってかかり、首を横に振った。
「負債返済は絶対条件です。私がいなきゃ、あなた借金返済できる額まで稼げないでしょ」
図星をつかれてそっぽを向くビョルンさんの視界にまわりこみ、ツンとその胸をつつきまわす。本当はわかってる。ビョルンさんはいまや商会長、私の助けはなくてもいずれ借金は返せるだろう。でも彼には私の力が必要だ。
「この迷宮都市と鉱業都市での商売プランを考えますよ。そのためにもまずは、冒険者ギルドで前衛を雇わないと」
「……そうだな。まずは目の前の課題からだ」
ビョルンさんは耳を垂らし、そして小さく頷いた。残りの肉片を丸ごと飲み込んで、ビョルンさんはまた目的地へと向かって歩き出す。大きな歩幅だけど、決して私を置いていくことはしない。そのブーツが石畳を叩く重厚な音が好きだ。
こうして私たちは街の中央、最も大きな噴水のある広場へと歩き始めたのだった。




