197_船旅に危険はつきもの
ポルタ・サレから航海が始まって十日が経った頃。私は漸く船酔いをすることがなくなって、まともに甲板で作業することも苦ではなくなった。私は甲板に出て荷運びを手伝い、ビョルンさんは船乗りに混じって帆をあげている。ミニベロスも一緒になって縄を咥えていた。
「ビョルンさーん! これが終わったらお昼ご飯にしましょう!」
「ん」
ビョルンさんは額の汗を拭い、潮風に前髪を揺らして頷いた。私は床に荷物を置くと、それを足場にして彼の後ろに回る。そして彼の長い髪を革紐で束ねてあげた。当然、おでこもちゃんと出して。
「おい」
抗議の声は聞こえないフリをして、きっちりと革紐を結んだ。
「ビョルンさん、髪を切るか前髪をあげるかした方がいいですよ。邪魔になりますから」
「必要ない」
「目が悪くなっちゃいますよ。街に着いたら髪を切ってあげます」
ビョルンさんはムスッと口をへの字に曲げて、不満げに腕を組んだ。そういえば、ビョルンさんはどうして髪を伸ばしてるんだろう。エルフにあまり短髪のイメージはないのは、長命種だからだろうか。
「ねぇ、ビョルンさん」
彼の名前を呼ぼうと口を開く。ビョルンさんも私を見て、ライムグリーンが瞬いた。その時、船の警鐘がけたたましく鳴り響いたのだ。
「な、なに!?」
「海賊の合図だ」
海を見ると、数百メートル先に大きな帆船がこちらに近づいてきていた。迷いなくこちらを獲物と認識して向かってきている。
「この海域、海賊なんているんですか!?」
「当然だ。海賊なんでどこにでもいる」
海賊なんて漫画の中でしか聞いたことがない。でもここは異世界、魔王や勇者がいる世界なんだから海賊くらいいてもおかしくない。
「ひっ!」
甲板にフックがかけられる音がして、振り返るとそこには武装した男が三人こちらに乗船しようとしていた。その曲がった刃先が私の鼻先に向けられて、思わずビョルンさんの背中に隠れた。ミニベロスは牙を剥き出して威嚇する。
「下がってろ」
ビョルンさんは右手に風を纏わせ て、フックを吹き飛ばした。同時に二人の海賊が海に落ちていったけれど、もう一人の大柄の男が乗り上げてしまう。男は拳を握りしめて、雄叫びをあげながら私たちに殴りかかってきた。
「うぉお!!」
「ったく……」
ビョルンさんは面倒くさそうにため息をつくと、男の腕を掴んで背負い投げをした。もちろん海にめがけて。
「お見事!」
「油断するな」
ビョルンさんの視線の先には、反対側から乗り込んできた海賊たちが船員たちに襲いかかっているところだった。中央のハッチ付近から激しい怒号と金属音が聞こえてきた。船員たちが数人の海賊に押し込まれている。
「ルナ」
「えっ!?」
ビョルンさんが私の名前を呼んで、さっと大きな腕を回して肩を抱き寄せる。分厚い胸板に鼻をぶつけたのもつかの間、大きく船体が揺れた。衝突されたとわかったのは、私とビョルンさんが甲板の端に吹っ飛ばされたからだ。
「大丈夫ですか、ビョルンさん!」
「問題ない」
ビョルンさんは私の無事を確かめるように頬に手を添えて、傷がないことを確認したらホッとあからさまに息を吐いた。そんな何気ない優しさにも、なんとなく胸が切なくなる。いやいや、そんなこと言ってる場合じゃないってば。
「ここにいろ。主を守れよ、駄犬」
「グルル……!」
ビョルンさんはミニベロスに指示を出すと、信じられない速さで地を蹴った。彼はまるで重力を無視したような動きで、船員を襲っていた海賊の懐に飛び込む。
「なっ……!?」
海賊が驚く暇もなく、ビョルンさんの重い拳が男の顎を撃ち抜く。そのまま流れるような動作で別の男の武器を奪い取り、柄でみぞおちを強打して悶絶させた。その鮮やかな手腕に、私や船員たちは歓声を上げた。
「おい、あいつをやれ!」
仲間がやられたのを見て、別の海賊二人組がビョルンさんの死角から刃を突き出そうとする。
「ビョルンさん、危ないッ!」
私はコロコロと転がってきた空き瓶を掴んで、海賊に向かって思い切り投げた。情けないカーブを描いたものの、空き瓶は海賊の頭にクリーンヒットする。
「お見事」
ビョルンさんは皮肉めいた声で笑い、肩を竦めた。あんまり褒められていないことは理解できたので、頬を膨らませてみせた。そして近くにあった木材を手に握って、威嚇してみる。
「怪我するぞ」
「私だってこれくらい!」
震える手を根性で抑えて、床に這いつくばっていた海賊の頭に思い切り振り下ろした。カエルが潰れるような声を出して、ぶくぶくと泡を吹く。どうやら気絶したみたいだ。
「ね?」
ビョルンさんを見上げて、得意げに鼻を鳴らしてみせる。彼は呆れたようにため息をついた。しかしすぐに目を見開き、私に手を伸ばそうとする。
「おい、ルナ!」
「えっ!? ちょ、わぁっ!?」
私のすぐ真上をナイフが飛んできて、反射的にしゃがんで避けた。ナイフは柱に深々と突き刺さる。避けなかったら私の頭はリンゴ飴みたいに刺し貫かれていただろう。恐怖に震えていると、足元から小さな影が猛スピードで飛び出した。
「ガルルルルッ!」
鋭く吠えたミニベロスが、海賊の一人の足にガッチリと噛みついたのだ。蹴り飛ばそうと暴れる海賊だが、魔獣であるミニベロスの顎の力には敵わない。
「なんだこの犬っ!?」
海賊が足元に気を取られた一瞬の隙を、ビョルンさんが見逃すはずもなかった。
「邪魔だ」
冷徹な声と共に放たれた風の衝撃波が、二人の海賊をまとめて船外へと吹き飛ばした。ぼちゃん、ぼちゃんと小気味いい水音が遠くで響く。
「ひ、ひぃぃ! 化け物め、撤退だ、撤退!」
残っていた海賊たちがビョルンさんの圧倒的な強さに完全に怖気づき、自分たちの船へと蜘蛛の子を散らすように逃げ帰っていく。やがて海賊船は慌てて舵を切って船から離れていった。
「ふぅ……」
静まり返った甲板で、ビョルンさんは小さくため息をついた。そして、激しい動きで完全に顔にかかってしまった前髪を、鬱陶しそうに手で跳ね上げる。戦闘中に紐が解けてしまったようだ。
私はビョルンさんの元へ駆け寄ると、ポケットからさっきの紐を取り出した。
「ほら、言わんこっちゃないです。前髪のせいで敵が見えなくなったらどうするんですか?」
「問題ない」
「はいはい、結んであげるから動かないでくださいね」
私は彼の足場にしていた荷物を引きずってきてその上に乗り、今度こそしっかりと、その綺麗な長い髪を一つに束ねた。おでこを出すといつもより素顔が分かりやすくなって、顔の良さが際立つ気がする。特に今のビョルンさんの顔は、戦闘の後であるせいか、なんだかギラついて見えるから。
「うーん……」
その整った顔をたくさんの人に見せてしまうのは、なんとなく面白くない、かも。
「やっぱり、いつもの方がいいかもしれません」
「ふぅん」
私が目線を落とすと、ビョルンさんは意地悪な顔をして私の顎を掴んで無理矢理あげさせた。
「まさかとは思うが」
「なんですか」
一瞬の沈黙が痛い。
「照れているのか」
にや、と面白いものを見るように彼の口角が歪む。図星をつかれて、思わず右手が出た。右ストレートを、彼の鳩尾にドスンと。
「っ、おい!」
「バカエルフ! ノンデリ!」
「のん……なんだって?」
「無神経ってことです! あぁもう、ビックリしたらお腹すいたっ!」
照れ隠ししては物騒だ、自分でもそう思う。でも素直に認めるのは悔しくて、つい誤魔化してしまうのだ。ビョルンさんもそれを分かっているのか、困ったようにため息をつくだけ。むしろ、私が自分の感情に振り回されている様子を見て楽しんでいるみたいだ。
「ミニベロス、おいで。お昼ご飯にしようね」
ミニベロスは嬉しそうに尻尾を振って、私の後をトコトコと追ってきた。ビョルンさんもやれやれと首を振って、私の後をついてくる。ドスドスと無遠慮に甲板を叩く足音が近づいてきて、私の頭に大きな手がぼすんと乗りかかった。
「ちょっと」
腕置きになったつもりはないんですが。そんな気持ちを込めて見上げると、ビョルンさんは機嫌良さげにクックッと喉を鳴らして笑った。
航海十日目、私たちの旅はまだまだ波乱万丈になりそうだ。




