191_海の魔獣の真っ黒スープ
船はほどなくして陸地に停泊して、先程ビョルンさんが討伐してくれた魔物が水揚げされていた。その間中はクジラのような巨体と小さな前足が生えている。鑑定グラスを覗き込んでみると、魔獣の名前と生体が表示された。
「デミ・ケートス? Bランクの魔物で、北部の冷たい海から南の海へと巡回するんですね」
「ケートスという古来の魔物を先祖に持つ魔物だ。ほら、宿屋に行くぞ」
港町はポルタ・サレと比べて小規模なものの、大通りは漁師や観光客で賑わっていた。早速水揚げされた魔物を買い叩こうとする商人や、彼らに魚を売りつけようとする漁師たち。屋台で彼らの食事を作る料理人。様々な人が行き交っている。
私たちは早々に宿の一室を借りて、船旅の疲れを癒すことにする。私は部屋に入るやいなや、ベッドに飛び込んだ。
「やっと揺れないベッドで眠れる!」
しかし私を受け入れたのは、岩のように硬いベッドと平べったい食パンみたいに薄いカーペットだった。強かに鼻先をぶつけて呻く。
「何をしてる」
「うぅ……硬い。銀貨三枚も払ったのに」
「この辺りじゃ陸の寝床は貴重だ。贅沢を言うな」
「あなたに贅沢について咎められるなんて」
「やかましい」
私の隣に座ったミニベロスも、硬いベッドに不満げに鼻を鳴らしている。とはいえ、上下左右に揺れないベッドはなによりも求めていたものだ。枕は薄っぺらだけど、麦とお日様の香りがして心地よい。贅沢はいっていられないけれど、これはこれで悪くはないだろう。
「食事の準備はしておいてやる。今は休め」
ぽん、と私の頭に手を置いてビョルンさんはまた外に出ていってしまった。そういえば魔物肉のシチューがどうとか言ってたような……。眠気に襲われた頭で考えながら、ミニベロスを抱きしめて微睡みに落ちていった。
「ルナ、起きろ」
「うーん……また高波でふか……?」
「寝ぼけているのか」
ねぼけた私のふにゃふにゃした返事に、ビョルンさんはふっと口角を上げる。まだ頭が眠気でぼんやりとしているけれど、なんだかいい匂いが部屋中に広がっていることに気がついた。
「夕食にするぞ。顔を洗え」
「はぁい」
いつもとは逆の立場で、なんだか面白い。私がくすくす笑うと、ビョルンさんは早くしろと言わんばかりに顎をしゃくった。ベッドサイドに置いている桶の水は冷たすぎず、ぬるすぎずの適温だ。ビョルンさんが用意してくれたのだろう。
「ほら」
ビョルンさんが差し出したお椀には、はみ出るほど大きな肉が乗っていた。真っ黒なスープに一瞬警戒したものの、機嫌が良さそうなビョルンさんの様子から、不味いものではないと判断する。恐る恐る受け取って匂いを嗅ぐと、ふわりと甘い肉の脂と磯の香りがした。
「おいしそう……」
ぐう、と腹の虫が鳴る。ビョルンさんはそんな私の様子が面白かったのか、クックッと喉を鳴らして笑った。笑われたことに頬をふくらませてみせるけれど、ビョルンさんは相変わらず機嫌良さそうにするだけだ。
「鮮度が良い肉だったからな。味もよく出来ている。昔に食べたものとそう変わらん」
「思い出の味でしたか?」
「……あぁ。昔、家族で食べたものと同じ味だ」
ビョルンさんは昔を懐かしむように言って、スプーンを渡してくれる。私はスプーンを受け取る前に両手を合わせて、祈るように言った。食材と、ビョルンさんに感謝を込めて。
「いただきます」
かぶりついたデミ・ケートスの肉は少し筋張っているけれど、丁寧に煮込んでいるため臭みはない。なんだかマグロの赤身のような旨みと、クジラのような淡白な味がする。その肉を彩るスープはモツのような、ちょっと特徴的で濃厚でこってりとした味わいだ。絶妙な塩加減で、正直エールが欲しくなる。
「どうだ」
ビョルンさんは首を傾げて私の反応を伺った。
「とってもおいしいです。不思議な味のお肉だけど、噛みごたえがあって、スープも濃厚で」
「そうか」
私の感想に満足したように、ビョルンさんは頷いて自らもスープに口を付けた。ひとくち、ふたくちとスープを啜り、肉を飲み込んだあと、ほうっとため息をつく。
「良い肉だ。鮮度が良いものを調理したおかげだろう」
「ビョルンさんが狩ってくれたおかげですよ」
「偶然の産物だったがな。それにこの宿屋の食材も良いものが揃っていた。野菜の甘みがなければ、このスープの深みは出ない」
ビョルンさんは機嫌が良くなると饒舌になる。最初の頃は会話を嫌うような素振りすら見せていたのに、今では彼の方からポツポツと話してくれることもあった。その変化はとても喜ばしい。
「それにデミ・ケートスの脂はポーションの材料にもなる。保湿剤や保温効果、美容系のポーションにも応用できる」
「本当ですか! 素晴らしいですね。明日早速作ってみましょうよ」
「揺れる船では無謀だ。目的地に着いてからにしろ」
「そっか。事故になったら危ないですもんね」
私は頷くと、またスープを飲み下した。少しの獣臭も飲み続けるとなんだかクセになる。それにビョルンさんの思い出の味だと思うと、なんだか感慨深い。
「ビョルンさんのご両親もお肉が好きだったんですか?」
「あぁ。父は血筋的には肉が主食の種族だからな」
「じゃあエルフのお母様は?」
「エルフの老人どもは肉食を嫌う。だが母達の世代となると魔物肉も食卓に上がるようになったそうだ。とはいっても、母のような狩人はあまり好まれなかったようだが」
「お母様は狩人だったんですね」
ビョルンさんのお母様だから、勝手に魔術師だと思っていたから狩人だというのは正直なところ意外だった。ビョルンさんはいったいいつ、どこで魔術を学んだんだろう。
「狩人の母は森で魔物に襲われた父を助けたそうだ。その際に恋に落ちて、故郷を捨て……故郷から離れた地で俺を産んだ」
故郷を捨てた、という言葉はとても重くて、なんと返事をすればいいのか分からない。きっととても辛い選択だったのではないだろうか。それでも彼のお母様は、愛する人と生きる道を選んだ。
「俺は母を尊敬している。己の生きる道を、選んだのだから」
いつの間にかビョルンさんのスープは空になっていて、彼は椀を脇に置くと私を見つめた。その優しい眼差しはなんだか擽ったい。ビョルンさんが私の頬に手を伸ばして、ゆっくりと触れる。その手が熱くて、顔から火が出るようだ。
「あ、あの、ビョルンさ……」
「スープが口に付いてるぞ、小娘」
「へ?」
私の素っ頓狂な声に耐えきれなかったのか、ビョルンさんは吹き出してそっぽを向いた。からかわれたのだと知ると、先程とは別の意味で顔に血が上る。
「もう、ビョルンさん!」
私は頬をふくらませて、ポカポカと彼の腕を叩いた。ビョルンさんは肩を震わせながらも、目を合わせてくれない。明るい顔ができるようになったのはいいけれど、こんな風にからかわれるのはたまったもんじゃない。
まったく、このいじわるエルフめ!




