189_船酔いも悪くない?
「うぅぅ……」
人生初の船旅は、はっきりいって最悪だった。四六時中の揺れは当たり前。昼でも夜でも海の魔獣が暴れ回って、大砲の音がしょっちゅう聞こえる。船に乗り込んでからまだ三日も経っていないのに、私はぐったりとベッドに横たわっていた。
「泣きごとを吐くなと言っただろうが」
「……まだなにも言ってません」
部屋の扉が開いて、ビョルンさんとミニベロスが入ってくる。ミニベロスはトコトコとこちらに歩いてきて、心配そうに私の足元で丸まった。私は身体を起こすのも辛くて、撫でてあげることもできない。
「食えるか」
ビョルンさんがスープを差し出してくれたけれど、私は首を振って断った。しかしビョルンさんは眉を寄せるだけで、スープを引っ込めることはしない。それどころかひと匙掬ってこちらに差し出した。有無を言わさない様子に、私はしぶしぶ口を開けた。
「……ん?」
透明なスープなのに、塩気があるお肉と貝の味がする。まるで牛乳を使っていないクラムチャウダーのような、なんだか満足感があるスープだ。船の上の食事としては贅沢な味に、私は目を見開いた。
「おいしい!」
「船酔いに効くと言われているスープだ。特にこの二枚貝の身には栄養がある」
もうひと匙には、大きな二枚貝の身が乗っている。一度腹に食料を入れたらエンジンがかかったのか、私のお腹は次のひとくちを求めた。雛鳥のように口を開けると、ビョルンさんは呆れたように肩を竦めてスプーンを差し出してくれる。
「ったく、手のかかる子供だな」
「あなたから見たら、みんな子供でしょ?」
「この甘えため」
ビョルンさんはそんなことを言いながらも、なんだか嬉しそうに世話を焼いてくれた。初めて会った時からは考えられないくらい柔らかな表情に、なんだかこちらも嬉しくなる。
「なんだ」
「いえ、ただなんとなく。ビョルンさんも変わったなぁと思って」
ビョルンさんは手を止めて、首を傾げる。まさか自覚がなかったというのだろうか。いくらなんでもそりゃ無茶な話ってもんで。
「そう変わらんだろう」
前ならそんな柔らかい声出さなかったくせに。そんな不満が顔に出ていたのか、ビョルンさんは困ったように口角を下げた。困らせるつもりはなかったので、私は首を横に振る。
「私たちも、少しは距離が縮まったってことです。ビジネスパートナーとして、これはかなり喜ばしいことですよ」
スープを飲んだおかげか、頭痛はかなり緩和した。私は起き上がって、ビョルンさんの顔を見つめる。前ならば視線を逸らされただろうけれど、今の彼はこちらを見つめ返してくれた。
「私ね、こんなふうに世話を焼いてもらったことってないんです。祖父母は畑仕事で忙しかったので、しかたないんですけれど」
私はビョルンさんの方を向きながらも、少し遠くを見ていた。祖母も祖父も心配してくれていたし、できる限りの事をしてくれたのは理解している。それでも、幼い頃の私はひとりで布団に丸まっているのが情けなくて、寂しくて仕方がなかった。
「だから今、ビョルンさんに構ってもらえて嬉しいんです。ありがとうございます」
素直に感謝を口にして、頭を下げる。ビョルンさんは突然の感謝の言葉に、前髪の下からのぞかせたライムグリーンを見開いた。そしてなんだか気まずそうに頭をかいて、ボソボソと言葉を紡ぐ。
「……別に。ビジネスパートナーの体調管理も仕事のうちだ」
素直じゃないこのエルフはこんな風に言うけれど、彼が私を心配してくれていることは明白だ。そうでなければ、スープを食べさせるなんて面倒な世話は請け負ったりしないだろう。
「起き上がれるようになったからって油断するな。薬を飲んで寝ていろ」
ビョルンさんは立ち上がると、机の上に広げていたハーブを小鉢に入れた。軽くすり潰して、最後にポーションを一滴垂らす。ツンとしたハーブの刺激的な香りが漂って、くしゃみが出た。
「飲め」
差し出された薬はおどろおどろしいほど真っ黒で、かなり苦そうだ。包み隠さずに言うと、不味そう。
「味の改良は……まぁ、今後の課題だ」
「つまり今はまだ改善の余地ありと」
「そうだ。つべこべ言わずに覚悟を決めろ」
「えぇっ! ちょ、むぐっ……!?」
ビョルンさんは神妙に頷いて、私の口に薬を突っ込んできた。口の中に煮詰めたコーヒーみたいなひどい苦味と、ハーブの匂いが広がって思わず口を押さえる。まるで口の中に真夏の草原に寝転がったような青臭い香りと、舌が痺れる苦味に涙が浮かんだ。
「ふぐぅうう……!」
「吐くなよ」
ビョルンさんの言葉に頷きながら、涙ながらになんとか飲み込む。喉がヒリヒリするし、吐き気も増長した気がする。薬を飲むだけで疲れてしまって、ぐったりとベッドに逆戻りした。ミニベロスが慰めるように顔を舐めてくれるので、そのふわふわの毛並みに顔を埋めて吐き気をやり過ごす。
「いい子だ」
私の奮闘を褒めるように、ビョルンさんは静かに頭を撫でてくれた。子供扱いされるのが気恥ずかしくて、ミニベロスから顔を上げられないでいると、彼はクックッと喉で笑う。
「もう船酔いはイヤだぁ……」
「まだ出航したばかりだろうが」
呆れたように言うビョルンさんの言葉に、私はぐぅと唸った。いちばん悔しかったことは、薬が苦かったことよりもこうして世話を焼かれることに喜んでしまっていることだ。こんな優しさになれてしまったら、離れたあとが怖いって分かってるのに。
「こういう時くらいは世話を焼いてやる。今は休め」
ゆらゆらと揺れる船の一室で、なんとも穏やかな空気が流れる。薬の効果なのか、足元から這い寄ってきた微睡みに身を任せた。次に目を覚ました時、この気分の悪さが解消されていることを願いながら。




