186_血を超えた家族
小屋から一歩外へ出ると、里の広場はすでに熱気に包まれていた。
大きな焚き火がパチパチと爆ぜて、大串に刺さった魔獣の肉がジュージューと音を立てて焼かれている。あちこちで大盃が掲げられ、オークたちの豪快な笑い声が響き渡る、まさに絵に描いたようなお祭り騒ぎだ。
「ほらルナ、たくさん食べな! 港の飯もいいけど、うちの肉が一番だよ!」
「わぁ、ありがとうございます、ドーラさん!」
てんこ盛りにされたお肉を受け取り、私は木箱に腰掛けた。ビョルンさんもどっかりと隣に座りこむ。
賑やかな宴の様子を眺めていると、人だかりの中からハツラツとした笑顔のユフィリアさんが、大きな木盃に入った黒エールを持ってこちらへ歩いてくるのが見えた。
「ビョルン兄さん、お疲れさま。ルナもたくさん飲んで、食べていってちょうだいね」
「ありがとうございます、ユフィリアさん」
ビョルンさんは呆れたように耳を伏せつつも、ユフィリアさんから差し出された木盃を拒まずに受け取った。ユフィリアさんは笑いながら、ビョルンさんの肩を親しげにバシバシと叩く。
「まだ病み上がりだろう。飲みすぎるなよ、ユフィ」
「兄さんったら。もう私は元気よ。エールを飲めない宴なんてつまらないわ」
「相変わらずの酒癖だな、お前は」
ビョルンさんは普段私に見せる不器用な仏頂面とは少し違う、まるで本当の妹を慈しむような、信頼の籠もった穏やかな笑みを浮かべて彼女と盃を交わしていた。
二人が並んで笑い合っている姿は、どこからどう見てもお似合いで。以前の私なら二人に気を使って席を立っていたと思う。今だって、なんとなく居心地の悪さを感じている。それでも、ビョルンさんは私が席を立つことを許してくれなさそうだ。
「食わないのか」
ビョルンさんのライムグリーンの瞳が、真っ直ぐに私を見つめる。先程の小屋での甘い空気を思い出しつつも、ふと胸に仕舞い込んでいた疑問を口にしてみたくなった。
「あの、ビョルンさん。今だから聞くんですけど……」
「なんだ」
「ビョルンさんは、ユフィリアさんのことが好きなんだろうなって思ってたんですよ」
「っ、ごふッ……!?」
ビョルンさんは盛大に喉を詰まらせ、胸をドンドンと叩いた。これまでにないほど長い耳をピンと垂直に立てて、信じられないものを見るような目で私を睨みつけてくる。
「俺が、ユフィリアを? お前、本気で言っているのか?」
「だって……ユフィリアさんとはすごく親しそうに話してたでしょう? これまでだって、ユフィリアさんのことをすごく気にかけてたじゃないですか」
一度溢れ出してしまった本音は止まらなくて、私は全て胸の内を打ち明けた。
「だから私、二人はそういう関係なのかなって。私はお邪魔虫なのかなって……実はちょっと傷ついてたんですよ?」
私が本音を漏らすと、ビョルンさんは額を手で押さえ、天を仰いで深いため息をついた。その耳は呆れ果てたようにへにゃりと倒れている。
「お前のその、時折発揮される壊滅的な察しの悪さは何なんだ……」
馬鹿にしたような、呆れたような声で続きを教えてくれた。
「俺はガロール族長に拾われた恩がある。族長の家族は俺の家族、そしてオーク族では家族を守ることは当然の責務だ」
「家族……」
「そうだ。たしかにユフィリアはこの里で指折りの美人だが、俺にとってはいつまでたってもただの小娘だ」
ビョルンさんの言葉になんだか拍子抜けしてしまって、私は身体から力が抜けた。これまでの私の気遣いはなんだったのだろうか。
「なぁんだ。私、てっきり……」
「俺が色恋沙汰にうつつを抜かすとでも?」
ギロリと強い眼光で睨まれて、私は否定するように首を振る。ビョルンさんはクックッと喉を鳴らして笑うと、私の頭をクシャクシャにかきまわした。
「そう心配せずとも、俺がお前から目を離すことはない」
その一言と笑顔で、私の顔はボンッと一瞬で沸騰してしまう。先ほどの小さな嫉妬もモヤモヤも、一瞬で消し飛んだ。
「そういうことをサラッと言わないでくれます?」
「お前が変な勘違いをしてるからだろうが」
照れ隠しに私が彼の腕をポカポカと叩いた。そんなことをしていると、背後から堪えきれなかった笑い声が聞こえてくる。
「ハハハハ!!! 聞いたかよ、おい!」
突然、周囲から地鳴りのような大爆笑が沸き起こった。驚いて振り返ると、いつの間にかバッシュさんやガズさん、遠くにいたはずのジルキさんまでが、大盃を片手に私たちのすぐ後ろで聞き耳を立てていたらしい。懐かしい面々との再会を喜ぶのも束の間、私はいたたまれなくなって顔を隠す。
「ちょっと待って、ルナ!」
ユフィリアさんはお腹を抱えてケラケラと笑いながら、私の隣に座り込んだ。
「私がビョルン兄さんと恋仲? 断じて、そんなことはありえないわ。本当よ」
身をよじるようにして笑うユフィリアさんに私が呆気にとられていると、彼女はふっと豊かな胸を張り、オークの戦士らしく誇らしげに言った。
「私の伴侶になる男はね、私よりも強い者じゃなきゃ絶対に嫌なの! オークの女は理想が高いのよ」
「そうなんですか?」
「えぇ。ビョルン兄さんは確かに風魔法も使えるし、剣も凄腕だけど。なんていうか……」
ユフィリアさんは困ったように眉を寄せて、ビョルンさんを見る。その顔はいたずらっ子のようにからかいの色が強く滲んでいた。
「力が足りないかも」
「やかましい」
ビョルンさんはユフィリアさんの言葉にピシャリと返す。完全に拗ねたように不満げに唇を尖らせたけれど、ユフィリアさんはケラケラと笑い飛ばしていた。その様子を見ていたバッシュさんたちオークの戦士たちも大盛り上がりだ。私の大いなる勘違いは、一瞬にして里の笑い話へと昇華されていく。恥ずかしいけれど、なんだかすごく胸が軽くなった。
ドーラさんが腰に手を当てて、ニヤニヤと私たちを見下ろしていた。
「ビョルンおじさん? 今度ルナを泣かせたら、里の女たち総出で絞めあげるからね!」
「そんな機会はない」
「どーだか! おじさんってば、ほんっとに不器用なんだから!」
ビョルンさんは不遜に鼻を鳴らしつつも、オークたちからのからかいを受け入れていた。そこ光景はまさに家族の団欒そのもので、とても居心地がいい。
オークたちの賑やかな歌声と、焚き火の温かい光に包まれながら、私はこの場所の温もりをしっかりと噛み締める。離れてしまっても、いつまでも忘れてしまわないように。
翌朝、私たちはまたポルタ・サレに戻ることにした。いよいよ日が昇り、出発の時間が訪れる。大木で作られた門が開き、里のオークたちが見送りのために顔を見せてくれた。
ジャールちゃんやイグニ君に懐いたミニベロスは、別れを惜しむようにきゅうきゅうと切なそうに鳴いている。二人もミニベロスをしっかりと抱きしめて、目に涙を浮かべていた。
「ルナ、ほんとに行っちゃうの?」
二人は私を見上げて、ズボンの裾を引いた。その小さな手を振り払うことができなくて、私は子供たちを抱きしめる。
「私たちはね、行かなきゃいけないところがあるの」
「すぐ帰ってくる?」
その言葉に、胸が締め付けられた。返事ができずにいると、ビョルンさんは子供たちの頭を撫でて言い放つ。
「お前たちが立派な戦士になった頃に、また会える」
それは優しい嘘だと分かっていた。けれど子供たちは嬉しそうに破顔して、小さな手で握りこぶしを作る。
「じゃあ、兄ちゃんみたいに強い戦士になる!」
ジャールちゃんは目に涙をためて、精一杯の笑顔を見せてくれた。その健気な姿に、私の目頭も熱くなってしまう。
「ビョルン兄さん、ルナ。いってらっしゃい」
ユフィリアさんの後ろには、バッシュさんを始めとするジルキさん一家が控えていた。それぞれ別れを惜しむような顔で、私たちの名前を呼んでくれる。彼らとの別れは惜しくて、胸が張り裂けそうだ。それでも私は前を向いて、進まなければならない。
「いってまいります」
さようなら、オーク族のみんな。この旅の先はまだ分からない、もう二度と彼らには会えないかもしれない。
「ルナ」
ビョルンさんが、少しだけ心配を滲ませた声で私の名前を呼ぶ。
「大丈夫ですよ、ビョルンさん」
涙は見せるものか。
仮に今日が最後だとしても、彼らが家族であり、この場所が私の第二の故郷であることには変わらないのだから。
私はオーク族の人々に手を振って、ポルタ・サレへと続く道へと歩き出した。何度も何度も振り返り、その度に熱くなる目頭を抑え、鼻をすすって手を振る。ビョルンさんは私の背中に手を添えて、導くように歩いてくれる。その大きな背中を追うように、私は山道をくだっていったのだった。




