185_第二の故郷
グリオンさんを送り出した翌日、私達はオークの集落を訪れていた。ポルタ・サレから人間の足では半日以上かかる距離だけど、ケルベロスの大きな身体ならば移動に数時間は短縮できる。
「戻ったぞ」
ビョルンさんの一声が、門前に轟く。
「みんな! ビョルンおじさんとルナが帰ってきたぞ!」
見張り台にいたバッシュさんが、雄叫びをあげた。同時に集落の門は開かれて、懐かしい面々が顔を出す。イグニ君とジャールちゃんが駆け寄ってきて、私は二人を力いっぱいに抱きしめた。
「ルナぁ!」
「二人とも、元気そうでよかった!」
二人とも涙でぐしゃぐしゃにして再会を喜んでくれた。二人の安否はずっと気がかりだったから、こうして再会できたのは本当に嬉しい。
「ルナ! おかえり!」
「ドーラさん! ただいま戻りました!」
次に抱きしめてくれたのはドーラさんだ。ドーラさんにもとても心配をかけてしまったから、私は彼女の肩口に顔を埋めながら謝った。
「すぐに戻って来れなくて、ごめんなさい」
「いいんだよ。港の方で頑張ってるって聞いた。ちゃんとごはん食べてた? 痩せたんじゃないの?」
ドーラさんは私の頬を両手で挟んで、心配そうに顔を覗き込んでくれる。世話焼きなお姉さんのような優しさに、私は胸が温かくなった。やっぱりこの里の人達はとても優しい人達だ。
「おかえりなさい、ビョルン兄さん、ルナ」
そして最後に出て出迎えてくれたのは、ユフィリアさんだった。彼女は初めて会った時とは違い、とてもハツラツとした笑顔を見せてくれる。
「この里を救ってくれて、本当にありがとう」
その言葉に合わせるように集落の人々はみんな、私たちに向かって武器を掲げた。それが戦士たちの最敬礼であることは、言われずとも理解できる。私は彼らに頭を下げて、ビョルンさんは静かに頷いていた。
「この里の一員として、当然の責務だ」
ビョルンさんが見上げた先には、長であるガロール族長が立っている。族長は私たちを見下ろして、満足そうな笑顔を見せた。大きな口からのぞく立派な牙が誇らしげに光っていて、威圧感を感じさせるもののその頼もしさに自然と頭が下がる。
「今宵は宴だ。我が息子と娘の帰還を祝そう」
ガロール族長はそう告げながら私たちに近づいて、その大きな手のひらを私とビョルンさんの頭に乗せた。ガッシガッシと大きく揺さぶられて目がまわるけれど、不思議と嫌な気持ちはしない。こんなにもたくましい人に認められていることが、純粋に誇らしかった。
「ルナ」
ビョルンさんが、低く優しい声で私の名前を呼ぶ。
「少し休んでろ」
「えっ? でも、私まだ動けますよ」
「いいから来い」
ビョルンさんは少し居心地悪そうに耳を下げて、私の腕をとった。ユフィリアさんたちとお話したかったのだけれど、今は大人しく従った方が良さそうだ。
私は腕を引かれるままビョルンさんについて行く。向かったのは里の奥にある、彼の小屋だった。前に来た時よりも整頓されていて、ベッドの隣に一回り小さな寝床が追加されている。ミニサイズに戻ったミニベロスは喜んで寝床に飛び乗り、くうくうと穏やかな寝息を立て始めた。
「お前専用の部屋は間に合わなかった。これで我慢しろ」
「えっと、これって私の寝床ってことですよね?」
「お前以外をこの部屋に招く気はない」
ビョルンさんはぶっきらぼうに言い放って、何かを探すように本棚の中を引っ掻き回し始めた。せっかく整理していたのに。私はビョルンさんが引っ張り出す魔導書を拾い上げながら、彼の様子を見守っていた。
「……これだ」
ようやく目当てのものを見つけたのか、ひとつの手帳を取り出したビョルンさん。彼は手帳を開き、その中から小さな紙を取り出した。そこには四葉の幸運草がそのままの色で保存されている。
「これって」
「ジャールがお前に贈ったものだと聞いた。この魔導書で保存すれば、そのままの状態を維持できる」
「わぁ、きれい……!」
魔法によって保存された幸運草は、まるで今摘み取ったようなみずみずしい色合いで、光に透けるとステンドグラスみたいに光を反射する。
「……悪かった」
「え?」
「この里での俺の行いは……幼稚だった。言わずとも伝わるという傲慢さと甘えで、お前を傷つけた」
静かな声で紡がれる懺悔は、ひどく重く苦しげな響きを含んでいた。ビョルンさんは俯いて、私の返事を待っている。
「たしかに、あの時は不安でした。ビョルンさんはこっちを見ないし、話も聞いてくれないし」
「悪かった」
「挙句の果てにはつまみ出されたし」
「……すまない」
ビョルンさんの耳がへなへなと萎れていく。もっと意地悪をしてもよかったけれど、これ以上いじめるのも可哀想だ。
「でも、もういいんです。あの時のビョルンさんが、ちゃんと私のことも考えてくれてたって知ってますから」
私が笑顔を見せると、ビョルンさんは安堵したように大きく息を吐く。そしてどすとすと足音を立てて私の前まで近づくと、その大きな腕で私を抱きしめてくれた。
「目を離すべきじゃなかった」
耳元で低く囁くように言うビョルンさん。彼は私の頭をポンポンと撫でて、幼い子供に言い聞かせるように言った。
「もうあまり無茶はするな」
その声には悲痛さすら混じっていて、私は何も言えなくなった。その震える背中に手を伸ばして、ゆっくりとさする。これまで何度も心配をかけてしまったから、きっと彼の弱い部分を傷付けてしまったのだろう。
「……私たち、いつかはお別れしなきゃいけないんですよ」
だからこそ近づきすぎてはいけない。これまで私は自分にそう言い聞かせて、距離を取ってきた。だけどもうその境界線はぼやけてしまって、消えかかっている。
でも、今はもう少しだけ、この境界線の向こう側にいたい。
私はビョルンさんの胸に顔を埋めてビョルンさんを抱きしめた。離れてしまわないよう、しっかりと、力強く。
「でもね、ちゃんとお別れは言います。黙っていなくなったりしないから」
だから、だからね、ビョルンさん。
「泣かないで」
「泣いてない」
素直じゃないこのエルフは、口を尖らせて不満げに言う。私は顔を離して、くすくす笑ってみせた。笑われたのが機嫌を損ねたのか、ビョルンさんはムッと眉間に皺を寄せて私の頭をかきまわす。
「お前は俺の幸運草だ。もう勝手にどこかに行くなよ」
臆病だけど傲慢な、素直になれないこのエルフが絞り出した微細な本音。ようやく聞くことができた言葉に、私は深く頷いた。
「もう目を離しちゃいけませんからね」
ビョルンさんも頷いて、ふっと口角をあげる。それまで張り詰めていた空気がふわっと和らいで、私も自然と体の力が抜けた。
「えーと……」
ライムグリーンの瞳と私の視線が重なると、なんだか気まずくなって身体を離した。ビョルンさんもいたたまれなさそうに視線を逸らして、頭をぼりぼりとかく。
「外、行きましょうか」
「あぁ」
先程の和やかな空気はどこへやら。浮ついた空気がこそばゆくて、私はパタパタと手で顔を仰ぎながらそそくさと部屋の外に飛び出した。ビョルンさんは喉の奥でクックッと喉で笑い、ブーツを踏み鳴らしながら私の後をついてくるのだった。




