182_ある商人の走馬灯
「アーノルド」
一本の松明の光に照らされた地下牢に、男の声が響く。その男は黒いローブを羽織り、フードを深く被っていて顔は見えない。しかし僕はその男の正体を知っていた。
「無様でしょう。僕を嘲笑いに来たんですか、カイ殿」
セレスティウムの魔術師、カイ。それが彼の名前だ。
「まさか。お前はこんなところにいるべき人間じゃない」
カイが手をかざすと、錠前はいとも簡単に腐り落ちる。そしてカイは牢の中に踏み込んでくると、僕の目の前に立った。
「ひどい姿だ。今、治療してやる」
カイの言う通り、僕の身体は黒く焼け爛れてまるで焼死体のようだった。これでもかろうじて生きていられたのは、あの忌々しい耳長族の回復魔法のおかげだと風の噂で聞いている。
カイが呪文を唱えると、足元が緑色に光り爽やかな風が吹く。焼け爛れた皮膚は健康な肌色に戻り、ちぎれていた髪は元の栗毛に再生していく。
「さすが、魔術師塔の筆頭魔術師殿だ」
手のひらを握ると、先程までの強ばりは感じない。どうやら身体的なダメージは完全に治癒したようだ。僕はようやく簡素なベッドから立ち上がって、牢から出る。
「見張りはいないんですか?」
「一般人を黙らせるなど造作もない」
カイはフードの下で笑い、出入口にくたばっている見張りを踏みつけて廊下へと歩き始めた。松明の炎が消えた廊下を抜けて外に出ると、そこは奥深い森の中で、満点の星空が広がっている。魔法によるワープホールを使って地下牢と森の奥地を繋いだらしい。
「港ではないのですか?」
カイはこちらの質問には答えず、森の奥へ進んでいく。静かな森に彼の足が草を踏みしめる音だけが響いた。どこか嫌な予感がして、その場に留まる。
「君には感謝しているんだ、アーノルド。君の献身のおかげで良いデータが取れた」
「あなたのご協力があってこそです」
「だだ……肝心なところで失敗した。これは少し痛手だったな」
カイは振り返り、柔らかな声で言った。その声はまるで子供を諭す親のような優しさを含みながらも、油断できない冷たさがある。その冷たさに吐息が凍り、足がすくんだ。
カイの言う失敗とは、異世界人召喚儀式の失敗を指す。その失敗が、この命よりも重いことは理解していた。カイという魔術師が、人の命を羽よりも軽く扱うということも。
そう、カイは僕を消しに来たのだ。
闘技場で女が出されることは珍しくない。だがその女は少し様子が違った。
「簡単に死なないって言ったでしょ!」
震える拳を突き上げて、こちらに挑戦的に宣うその姿に、雷に打たれたような衝撃を受けた。この女が命乞いをすれば、お気に入りのコレクションに追加してやってもいい。だから三匹目の魔物をケルベロスに変更した。
賭けも盛り上がり、女はとうとう追い詰められた。その情けない口から命乞いを聞きたくて、身を乗り出す。
しかし計算が狂い、乱入者によって闘技場は破壊されてしまった。暇つぶしのために作った闘技場だ、愛着はないので破壊されようがどうでもいい。
女を抱きしめるエルフと、腕の中に収まる女。
それがなによりも面白くない。部下たちが逃げるように叫ぶ中、僕はその二人の姿を目に焼き付けていた。決して逃がしはしないと、刻みつけるように。
その後二人を見つけたのは情報誌の中だった。『おいしいポーション屋』などと宣い、商会に属することなく商売を続ける不届き者。しかも闇市にも出入りしているのか、あの忌々しいスラムのネズミ共の動きが活発になった。
「さっさと潰すか……」
向かわせた部下たちは、それは無惨に敗北して戻ってきた。それでもその女の血を掠めとり、鑑定した結果得られた情報は実に意義のあるものだと言えるだろう。
星宮瑠奈。強運のユニークスキルを持つ異世界人。近頃よく姿を見せるようになった異世界人の一人
女を誘い出し、甘い言葉で満たしてこちらに引き込む。そうして縋り付いてきたら、その羽根を引きちぎり、屈服させてやろうと考えていた。ユニークスキルがあれば、商会はより強固な地盤を得るだろう。その上、目障りなセレスティウムを黙らせることだってできる。
身分を偽り、自分でも寒気がするような甘い言葉を吐いて、その女の手を取る。柔らかくて、温かくて、手に力を込めればすぐに潰れてしまいそうなほどか弱い手を。
「ありがとうございます、アールさん」
女が笑うたびに、不自然に鼓動が跳ねる。僕はその名前を呼び、小さな背中を追いかけるように街を歩いた。こんな滑稽な姿を見せるわけにはいかないのに、いつしか女の機嫌を気にしている自分がいた。
しかし、彼女の目に僕は映っていない。その橙がかった琥珀の瞳に映るのはただ一人、あの忌々しい耳長族だ。彼女に想われているくせに、傲慢で無駄に自尊心の高い男。不器用なんて言葉では片付けられないほどに、彼女は傷付いていた。
その姿が痛ましくて、胸が締め付けられる。自然と彼女に手を伸ばし、肩に触れていた。彼女も少し困ったように笑っていた。だからこそ、一抹の希望に掛けた。
「僕と、結婚してください!」
一世一代の、本心の告白だった。彼女から返ってきたのは、冷酷な拒絶だけだったが。
彼女もまた、僕を利用しようとした。商会の闇を暴くための駒として使い捨てたのだ。その事実に気がついた時、何かが大きく音を立てて壊れた気がする。
手に入らないのなら、いっその事壊れてしまえばいい。たとえ呪われた指輪だとしても、唯一の繋がりならばそれだけでも愛おしい。
「私……しぶといですよ」
決して折れない気高い魂。その羽を手折って鳥籠の中に閉じ込めてやりたい。そんな思いで手を伸ばした。必死に足掻いて、その魂を僕のものにすることができたら。
「掛かってこい、小僧。格の違いというものを見せてやる」
僕の腕の中から掠め取った彼女を抱いて、あの忌々しい耳長族の魔術師は言い放った。何故だ。彼女を苦しめた張本人のくせに、なぜ英雄のような顔をしているんだ。なぜ、どうして。
取り返したかった。それは僕のものだ、返せ。
瘴気に飲まれた喉は言葉を紡ぐことはできなかった。どれほど叫んでも、本当の言葉は紡げなかった。
隣りにいるのがあのエルフじゃなかったら、何かが変わっていたのだろうか。
「心配しないでください。君の死体は魔物が食い尽くすだろうから」
カイの右手が光り、人工的な赤色の光が周囲を照らす。暗闇の向こうには獣の唸り声と荒い鼻息が聞こえた。
「なにか言い残すことは?」
「く……っは、はははは!」
カイの言葉に、僕はおかしくなって笑い始めた。今から己の手で摘み取る命に、情けでもかけているつもりか。馬鹿にしやがって。
「お前たち異世界人が支配者ヅラをできるのは今だけだ。いずれ必ず、ボロが出る」
カイに近づき、その黒い瞳を真っ向から睨みつける。せめてもの意趣返しだ。僕の命を狩る者の顔を、地獄の底でも覚えておいてやろう。異世界人とこの世界の人間が落ちる地獄が同じかどうかは知らないが。
走馬灯で見た彼女の顔を思い出す。花の綻ぶような笑顔だった。その笑顔の先に自分はいない。それでもいい、最後に一目だけでも会うことができたのなら……。




