181_夏だ! 海だ! 海水浴だ!
もうすぐ一ヶ月が経とうとしていた頃、ポルタ・サレの雨季が明けて、日差しが眩しい夏が訪れた。
「ルナーっ! こっちこっち!」
浅瀬でミニベロスと戯れるスージーさんが、私に向かって手招きをする。私はミャーコさんに借りた水着を着て、砂浜を駆けていった。スージーさんが尾鰭で水面を叩く度に、水しぶきがあがりキラキラと瞬いている。
「あんまり沖に出ないようにね!」
「はーいっ!」
海辺でくつろいでいるミャーコさんに手を振り、私は海に飛び込んだ。潮の匂いと冷たい水が心地よくて、思わず声を上げてしまう。
「わぁっ! 冷たいっ!」
「ルナ、泳ご泳ご!」
スージーさんは私の手を引いて、深いところまで連れていってくれる。お留守番を悟ったミニベロスはタクさんとミャーコさんのところに戻って行った。
沈まないように細心の注意を払って、私を導くように丁寧に泳ぐスージーさん。彼女のおかげで、まるで私も人魚になったみたいに軽やかに泳ぐことができた。
「ね、ルナ。下、見てみて!」
とぷん、と水中に潜ったスージーさんを追いかけて潜ってみる。そして目の前に広がった光景に目を見開いた。
「わぁ……!」
そこには色彩豊かなサンゴ礁が広がっていた。ピンクやミントグリーンのサンゴの間を、悠々と泳いでいく魚たち。太陽の光が水中でゆらめき、光の柱となって降り注ぐ。美しい景色にため息が出て、泡となって水の中に消えていく。
「どう? キレイでしょ」
「はい、とっても!」
「よかったぁ。ルナに見せたかったの」
スージーさんは嬉しそうに笑って、クルクルと泳ぎ回った。私の身体に尾を絡ませてはしゃぐスージーさんの笑顔が眩しい。
「ね、ルナ。この海を守ってくれてありがと」
「この海を守ったのはタクさんとビョルンさんですよ。私はなにも」
スージーさんは首を横に振る。
「みんな、ルナが集めた人だもん。ルナがいないと、きっとみんなバラバラだった」
スージーさんは笑顔のままそう言って、私に抱きついてきた。冷たい肌が触れ合い、水滴が落ちる。
「……だから、行っちゃうの寂しい」
先程の笑顔から一転してぽつりと悲しそうに呟いたスージーさん。彼女の頭に手を伸ばして、よしよしと撫でた。
「やらなきゃいけないことがあるんです」
「じゃあ、終わったら帰ってくる?」
その純粋な疑問に声が詰まった。私は元の世界に帰る方法を探しに行くのだから、きっともうこの街には戻ってこない。一度きりの来訪のはずだったのに、大切なものがたくさんできてしまった。
「……えぇ。終わったらまた、スージーさんに会いに来ますよ」
私はひどい人間だ。嘘つきで、汚い。その汚さを隠すように、スージーさんを抱きしめた。胸の痛みと罪悪感を押し殺して、にっこりと微笑む。スージーさんはパァっと顔を輝かせて、嬉しそうにキュウキュウと喉を鳴らした。
「おーい!」
しばらく沖でスージーさんと遊んでいると、陸の方からタクさんの声が聞こえた。その手には大皿が乗っていて、白い湯気がたっている。
「お昼ご飯ですよーっ!」
「やったぁ! タクのごはん、だいすき!」
スージーさんは私の手を引いて、急いで陸に戻ろうとする。しかし、足に何かが引っかかったように動かない。
「ルナ?」
「えっと、足がなにかに絡まっちゃったみたい……っ!?」
ずるり、と何かが足を這う感覚がして身体が強ばる。海藻じゃない。魚のようなヌメリもない。ただ冷たくて、それがとても良くないモノであることを直感した。
「スージーさん、逃げて!」
叫ぶと同時に、足を引かれて水中に沈む。海の底に向かって引きずられるような強い力を感じで、私は自分の足を見た。しかし、すぐに見なければよかったと後悔した。
私の足に両腕を絡めた老婆がいた。白くて長い髪を水中で揺らし、目があるべき場所には黒い穴が空いている。老婆はその虚から私を見上げて、歯のない口で私を呼んでいた。
『おいで、おいで』
水の中でも聞こえる声に身の毛がよだつ。振り払おうとしても、相手の力が強すぎて振りほどけない。息もだんだん苦しくなって、口から漏れる空気が無数の泡となる。
助けを求めようと水上に手を伸ばした。その瞬間。
「ルナ!」
水の中でもその声が誰のものかはわかる。必死に手を伸ばして、ようやく触れた大きな手にしがみついた。
「げほっ、ビョルン、さ……!」
「ったく……目を離すとすぐに死にかけるな、お前は」
肺いっぱいの空気を吸い込んで、目を擦る。潮が目にしみて痛いけれど、なんとか開くとそこには私の頼もしいビジネスパートナーがいた。
「すみません……」
「いい。周辺の警戒を怠った俺の落ち度だ」
ビョルンさんは空中に浮いていて、私を抱き上げてくれる。ありがたいことに、未だに震える身体に上着を被せてくれるオプション付き。ビョルンさんは苛立ったように舌打ちをして、水中を見つめた。
「海の亡霊を呼び寄せたんだろう」
「亡霊?」
「人魚と一緒にいる人間なら、構ってくれると勘違いしたんだろうな」
「せっかくスージーさんと遊んでたのに」
私は濡れた前髪をかきあげて、やれやれと首を振る。楽しい海水浴に水を刺されたのは不服だった。死者を否定するわけじゃないけれど、生者を巻き込むのはやめて欲しい。
「浅瀬には亡霊はでない。スージーとは浅瀬で遊んでろ」
ビョルンさんは諭すように言って、陸の方へと歩き始めた。水上を歩くなんて、なんだか不思議な感じがして私は足元を覗き込んでしまう。
「落ちるぞ」
「落とさないでしょ」
以前の彼ならば、容赦なく落としただろう。でも最近は、少しは思いやりというものを学んだらしい。ため息を吐くものの、私を落とすことはしなかった。そんな不器用さが可笑しくて、私は先程のことなんて忘れてケラケラ笑う。
「ねぇ、今度はビョルンさんも泳ぎましょうよ」
「断る」
「ケチ」
「……と、言いたいところだが」
ビョルンさんは一度言葉を切って、私の顔を見る。そしてフッといたずらっぽく口角を上げた。
「どこぞのお転婆が溺れないように見張っておいてやる」
どこぞのお転婆と言われて頬を膨らませてみせると、ビョルンさんは耐えきれなかったようにククッと喉で笑う。どうやら誘いには乗ってくれるようだ。
「ただし、沖には出るな」
「ふふっ、はぁーい」
私は浅瀬に下ろしてもらってから、元気よく返事をしてみせる。そんな私を見て、ビョルンさんは呆れたように、しかしどこか楽しそうに大きく息を吐いたのだった。
その日は、昼食後もたくさん遊んだ。ビョルンさんに海水をかけて怒られたり、ミャーコさんと砂の城を作ったり、ミニベロスと追いかけっこをしたり。年甲斐もなくはしゃいでしまった私は、日が暮れる頃にはクタクタで、夕食もそこそこに眠ってしまったようだった。
「ん……?」
誰かが扉を叩く音で目を覚ました。ビョルンさんは私に下がっているように言い、静かに扉を開く。するとそこには、神妙な面持ちをしたオブライエンさんが立っていた。そして私たちの顔を見て、低い声で言った。
「アールが逃げやがった……!」




