180_あなたの隣で
それからは嵐のように物事が進んでいった。
エリザベスさんは五人の魔術師を連れてきて、あっという間に宿の一角を研究室に早変わりさせた。その研究室で、ビョルンさんは彼等にポーションの作成方法を叩き込むこととなったのだ。
「では一月後を楽しみにしていますわね」
エリザベスさんはそう言い残して、クレイモアさんと共にポルタ・サレの街を後にした。残された私たちは顔を見合せて、課せられた仕事に取りかかることにする。
ポルタ・サレは雨季に差し掛かったのか、雨が降る日が多くなり、私も自然と室内に留まることが多くなった。お散歩ができないミニベロスは不満げに足元で丸くなっているし、ビョルンさんは引き続きで毎日忙しそうだ。
「温度管理に気をつけろ。この場所を爆破させたくなければな」
ふと研究室を覗くと、私たちの力作『ポーションキャンディ』の作り方を伝授しているようだった。ビョルンさんの役に立てている気がして、とても嬉しい。私は頭を引っ込めて、スキップで廊下を歩いた。
私はポーションのことは詳しくないので、ビョルンさんのフォローに徹した。商会の経営資料をまとめたり、ビョルンさんや魔術師の方々の食事を用意したり、身の回りの世話に走り回る。ビョルンさんが魔術師たちへの引き継ぎに専念できるようにしてあげたかった。
激務。端的にまとめるならその一言に尽きる。日の出前からはじまり、日が沈み月が高く登った後も研究室の明かりは灯り続けた。
深夜、僅かな光の下で資料とにらめっこしているビョルンさんに声をかける。ビョルンさんは眉間を指で揉みながらも、目を細めて資料を見ていた。
「正直、意外でした。ビョルンさんがここまでするなんて」
「業務の効率化の為だ」
「魔術師の方々はどうですか?」
「まずまずといったところか。覚えは悪くないが、一から教え込むのは面倒だ」
ビョルンさんは面倒くさそうに欠伸をしながら、資料の文字を追っている。その横顔は真剣そのもので、私も気が引き締まる思いだった。焚き付けたのは私なのだから、しっかりしないと。
「夜食作りますよ」
「いらん」
「お腹すいてるくせに。スープくらいなら作れますから」
私は笑って答えると、宿の厨房に続く階段を降りていった。ビョルンさんが少し複雑そうな顔をしていることには気付かずに。
「お疲れ様です、ビョルンさん」
「……ん」
三日ほど経った頃。私は休憩に入ったビョルンさんに、淹れたてのハーブティーを差し出した。するとカップを受け取る代わりに、またしても頭をポンポンと撫でられる。素直にお礼を言えないからって、子供扱いするのはやめて欲しい。
「今日のご飯、何がいいですか?」
「お前は少し休め」
「ビョルンさんこそ休んでください。まだ身体は万全じゃないでしょ」
私が拗ねたように言うと、ビョルンさんは耳を下げてガシガシと頭を搔いた。そしてハーブティーを飲み干すと、魔術師たちのところに行って何かを話し、またこちらに戻ってきた。そして何を思ったのか、私をひょいと抱えあげる。しかもお姫様抱っこの状態で。
「ちょっとお!? 下ろしてください!?」
「お前は、俺のビジネスパートナーだ」
「そ、そうですけど?」
彼の突然の宣言に、意図がわからず首を捻る。
「茶汲み係じゃない」
フン、と機嫌悪そうに言い放たれた言葉に一瞬動きが止まった。つまり、私が身の回りをうろちょろしてたのが気に食わなかったのだろうか。
「なんのために、この仕事を引き受けたと思ってる」
「え?」
「お前に十分な休息を取らせるためだ」
そう言って連れてこられたのは、宿の寝室。ビョルンさんはベッドに私をそっと下ろして、隣に腰掛けた。
「魔力の枯渇を舐めるな。命に関わることだ」
そう言って私の頬に触れながら、何かを読み取るように視線を動かす。なんだか体がぽかぽかして、とても気持ちが良い。誘われるように目を閉じて、その温かさに身を任せた。
「魔力の流れが滞っている。まだ万全ではないな」
「もう元気ですよ」
「そう見えるだけだ」
そしてビョルンさんは私の左手をとって、忌々しいものでも見るように目を細めた。
「あの指輪があれ一つだけとは思えん。セレスティウムの連中は、アレを複数製造している可能性がある」
「何の目的で?」
「さぁな。だが、セレスティウムに向かった異世界人は戻ってきていないそうだ。ミャーコから聞いた」
可能性はふたつある。元の世界に帰った可能性、もうひとつはセレスティウムで異常事態に見舞われた可能性だ。
「ハルを誘い出そうとしたのも、何か目的があったのでしょうか」
「いずれにせよ、セレスティウムの連中が噛んでいることは確かだ」
ビョルンさんは頷いて、私を見た。その瞳は静かで、どこか心配そうな色を帯びていた。
「セレスティウムは危険だ。だが、諦めるわけにはいかんだろう」
「……はい。セレスティウムは何かを知っているはずですから」
「ならば尚更、万全を期して望むべきだ」
そうしてビョルンさんは手を離して、枕に向かって顎をしゃくった。横になって休めと言いたいんだろう。
「子守唄が必要か?」
揶揄うような声が悔しくて、私は頬を膨らませる。あからさまに拗ねた態度の私を見て、ビョルンさんは喉の奥で笑った。
「子供扱いしないでってば」
「小娘が何を言うか」
ビョルンさんは娘を諭す父親のような声で言いながら、頭を撫でる。そしてお団子を解いてしまった。もうこうなったら彼の言うことを聞くしかない。わたしはわざとらしくため息をついてから、ごろんと横になった。
と、そこで少しの悪戯心が湧く。無防備なビョルンさんの腕を引っ張ってみたのだ。
「……えいっ!」
「っ、おい……ふぐっ!?」
焦った声を出しながらも、ビョルンさんはバランスを崩してベッドに倒れ込んでしまう。枕に鼻先を強かにぶつけて、気の抜けた声を上げた。
「あははっ! 油断禁物ですよ」
「お前な」
私はビョルンさんの顔を覗き込んで、そのしかめっ面を見下ろした。
「私、ビョルンさんの役に立ちたいんです。ビジネスパートナーだから」
「……そうか」
何を言っても無駄だと判断したのか、ビョルンさんは諦めたように肩をすくめる。大きく息を吐いて、じっと私の顔を見た。
「俺には商才がない」
「そうですね」
即答した私に、ぐっと息を詰まらせるビョルンさん。私はそんな反応がおかしくてクスクス笑う。ビョルンさんはまた大きく息を吐いて、何が言いにくそうにもごもごと口を動かした。
「だから、その、なんだ。お前がこの世界にいる間でいい。お前を顧問として雇いたい」
「顧問? アドバイザーってことですか?」
「そうだ。従来ポーションだけでは対応しきれないケースも増えている。改良が必要だ」
ビョルンさんはそこで言葉を切って、私の乱れた髪をかきあげた。ふわりと視界が明るくなり、ビョルンさんの顔がよく見える。
「そういうのは、お前の得意分野だろう」
ライムグリーンの瞳を見つめて、私は深く頷いた。
「はい。絶対、後悔させませんよ」
「ただし」
ビョルンさんは私をベッドに押し戻しながら言う。
「三日間、ベッドでいい子にしてたら、という条件だ」
言い聞かせるように、しかし有無は言わせないという圧を感じた。私はその圧に根負けして、渋々頷くとごろんとベッドに転がった。
「わかりました。三日間は大人しくします」
「お前の魔力を整えるために必要な時間だ。休憩の意味を履き違えるなよ」
「わかりましたってば」
ビョルンさんはまたしても私の頭をクシャクシャにして、ククッと笑った。わずかな違いだけど、それはビョルンさんが本当に楽しいと思っている時に零す笑い方だ。
ここに来るまでに、とても長い道のりを歩いた気がする。初めて会った時は拒絶されて、近づいたと思ったら距離を見誤ってしまったり。ビョルンさんもきっといろんな葛藤があって、今に至るんだろう。その途中にたくさん傷ついたし、悩んだこともあった。
でも、もういいや。ビョルンさんさ、こうして隣にいることを選んでくれたのだから。
「ねぇ、ビョルンさん」
「なんだ」
「ビョルンさん」
「なんだよ」
呆れを混ぜた声でビョルンさんは首を傾げる。私はその小麦色の髪に手を伸ばした。初めてあった時よりも少し艶が出たのは、食事と手入れ方法を改善したからだろう。私が贈った櫛を、自分でも使っていることを知っている。不器用なこの人は、絶対口にしないけれど。
「お昼寝しましょうよ。休憩時間、まだあるでしょ」
「……まぁ、少しの間目を離しても問題はないだろう」
ビョルンさんはため息をついて、枕に顔を埋めた。狭いベッドの中、ビョルンさんの呼吸が聞こえるくらい近い。以前ならばその近すぎる距離に戸惑っていたけれど、今はなんだか安心する。
たとえ、いつか離れることになったとしても。今は彼の隣で、全力を尽くそう。この世界で、たくさんの時を過ごす彼のために。
「おやすみ、ビョルンさん」
私はビョルンさんの胸に顔を埋めて、穏やかなまどろみに身を任せた。




