177_海辺のダンスホール
タクさんの店まで続く海沿いの堤防。そこからは商人ギルドの建物がよく見える。オレンジ色の光がいくつも灯っていて、賑やかな声がする。それに水面にはキラキラと輝く人魚の尾が見えた。
「ルナっ!」
その中に見えた小さな尾ひれが、ぱちゃんと水面を叩く。そしてこちらに近づいて、私の名前を呼んだ。
「スージーさん!」
「ルナ、おじさんも。元気になってよかった」
ニカッとギザギザの歯を見せて笑うスージーさん。その笑顔はとても晴れやかで、最初に見た悲しげな少女はもういない。ビョルンさんも安心したように肩を竦めて、スージーさんの頭にぽんと手を置いた。おじさん、という呼称には少し不満気だが。
「今ね、釣り人のおじさんたちとお話してたの。それでね、お姉ちゃんがルナとお話したいって」
「お姉さんと会えたんですね」
「うん。海がキレイになったおかげ!」
スージーさんがお姉さんと再会できたのは、とても喜ばしいことだ。人魚が釣り人たちと和やかな会話をしていることも、きっと前のポルタ・サレでは考えられなかっただろう。
「はじめまして、陸の方々」
「お姉ちゃん!」
スージーさんが振り返り、甘えるように擦り寄ったのは、美しいオパールの髪を水面に揺らす美女だった。水面の光を反射しているのか、キラキラと発光しているようにすら見える。その優雅さに、夜なのに目が焼けそうだ。隣にいたタクさんは、しぱしぱと眩しそうに瞬きを繰り返していた。
「私は人魚族の長、ロゼリアです。我らが故郷を瘴気から救ってくださり、本当にありがとうございました」
ロゼリアさんと名乗った女性の人魚は、深々と頭を下げた。彼女に続いて、スージーさんや他の人魚たちも私たちに敬意を表すように礼をした。
「バルデーニ様からお聞きしました。タク様がこのポルタ・サレの長になると」
「長っていうか、その、顧問ってだけでそんなに大層なことはできませんよ」
「それでも、あなたは我らの英雄です」
ロゼリアさんははっきりとした口調で言い、口元に笑みを浮かべた。その笑みは優しく穏やかで、親しみを感じさせる。
「我々人魚は本来、人間に関わらずに生活してきました。しかし今は、セレスティウムという共通の脅威がある以上、手を取り合わねばなりません」
「……はい。僕もそう思います」
「ですので、我々としてもポルタ・サレと共にありたいと考えております。救世主であるあなたに、恩を返さなければ」
そしてロゼリアさんは私の方を向いて、一つ頷いた。
「もちろん、あなた方にもですわ。なにかお力になれるとよろしいのですけれど」
しかしロゼリアさんの言葉に返事をしたのは、意外なことにビョルンさんである。
「問題ない、既に精算済みだ」
何の話かわからず首を傾げる私に、ビョルンさんはため息をついて肩を竦めた。そして近づいてきたかと思うと、私の頭をガシッと掴んで撫で回す。
「こいつの命を救ったのは、そちらの秘薬のおかげだ。感謝する」
「お役に立てたのなら、なによりです」
素直な感謝の言葉に、ロゼリアさんは笑みを深めた。
「ルナ、大変だったの? いたい? お薬、もっといる?」
スージーさんは心配そうにこちらに泳いできて、尾ひれを揺らした。私はスージーさんの手を握って、首を横に振る。
「もう大丈夫ですよ、スージーさん。私、もう元気いっぱいですからね!」
「よかったぁ」
スージーさんはにこにこ、くすくす笑いながら私の手にじゃれついてきた。お姉さんであるロゼリアさんも、微笑ましそうに私たちを見守ってくれる。
「そういえば、釣り人ギルドの方ではなにを?」
タクさんの質問に、ロゼリアさんはにこやかに答えた。
「バルデーニ様と奥様が、宴の用意をしているそうです。皆さんのこともお待ちの様子でしたよ」
言われてみれば、なんだか向こうから魚介の焼けるいい香りがする。思い出したようにお腹がぐるぐると大きく鳴った。その音を聞いて、プッ! と吹き出す音がする。
じとりと振り返ると、タクさんとビョルンさんが同時にそっぽを向いた。
「行っておいでよ、ルナさん。僕も料理ができたら持っていくからさ」
タクさんはそう言って、笑顔で送り出してくれる。私とビョルンさんは顔を見合せ、スージーさんとロゼリアさんは誘うように前を泳ぎ始めた。そこでビョルンさんのお腹もぐぅ、と大きく鳴ってしまう。
「じゃあ、お言葉に甘えて。行きましょうか」
「あぁ」
ビョルンさんは気恥ずかしそうに短く答えた。私はビョルンさんの背中を叩いて、釣り人ギルドの方に歩く。ビョルンさんは私の後ろをのそのそと大きな歩幅でついてきた。
「随分と遅い登場ですわね、救世主様?」
釣り人ギルドの隣、ラグナさんの酒場の中央。楽しげに尾を振るケルベロスの背中に座って、こちらを見下ろす女性がいた。
「エリザベスさん!?」
彼女は昼間見た高価そうなドレスではなく、町娘風のスカートに身を包んでいる。町娘と呼ぶにしては気品が溢れているし、なにより特徴的な縦ロールがあるせいでちぐはぐな印象だった。その隣では、クレイモアさんが諦念の面持ちでジョッキを煽っている。
「宿にいるのは退屈なんですもの」
「だからって、酒場に乗り込む貴族がいます?」
「前例がなければ、作ればよろしいのではなくて?」
エリザベスさんの貴族らしからぬ柔軟な一面は好きだ。とはいえ、立場もあるだろうからひとつアドバイスをしてあげる。
「わたくし、今はただのエリーですの。あなたもそうお呼びなさい」
「言葉遣いも変えた方がいいですよ、エリーさん」
「あら、たしかにそうね」
クレイモアさんの眉間にさらに濃いシワが刻まれたけれど、エリザベスさんは知らんぷりを貫いていた。彼女はケルベロスの背中から降りて、シロの頭を撫でる。
「ほら、この子はあなた達に会いたがっていたみたいよ」
「ケルベロスもいい子にお留守番してたんだね。いいこ、いいこ」
私は力いっぱいケルベロスに抱きつき、三つの頭を順番に撫でる。短い尾をはち切れんばかりに振り乱して、子犬みたいになくケルベロス。ビョルンさんもブチの頭を撫でて、その足に魔法道具と魔法をかける。すると、パッと光ったかと思うと、ミニサイズのケルベロスが舌を出してキャンキャン鳴いた。
「……ったく」
ミニベロスはビョルンさんの足元を駆け回り、恋しかったと言わんばかりに身体を擦り付ける。ビョルンさんは鬱陶しそうにしながらも、振り払うことはしなかった。
「ルナ、身体はもう平気なのかい」
調理場から顔を出したラグナさんが、木杯を差し出しながら言う。
「はい、もうピンピンしてますよ!」
私はにこやかに木杯を受け取り、エリザベスさんが持っていた木杯にぶつけた。ゴツ、と鈍い音が鳴る。
「では、エリーさんに庶民の楽しみをお教えしましょう」
グイッとジョッキを煽って、喉を鳴らしてエールを身体に流し込む。スッキリした麦の香りと苦味、そしてアルコールが体に染み渡っていった。
「……あーっ! 最高!」
久しぶりのエール、しかも大仕事終わり。シチュエーションはバッチリ揃っている。私は口元の泡を乱暴に拭って、木杯をテーブルに置いた。
「今宵は無礼講ってことで。楽しまなきゃ損ですよ、エリーさん」
私の言葉に、エリザベスさんをはじめとする釣り人ギルドのメンバー、そして水面からこちらを伺っていた人魚たちが弾んだ声をあげる。木杯をぶつけ合い、足を踏みならし、海からは水面に飛沫が上がる音がした。釣り人たちの笑い声と陽気な歌声が響き始め、足踏みでリズムを刻む。
「ラグナ! こっちに来い! 踊るぞ!」
「もう、今忙しいのよ」
ラグナさんは困ったように言うけれど、口元は大きく弧を描いていた。長い尾を絡ませて、鼻を擦り合わせる。そして二人でくるくると回り、手拍子を繰り返す。そのリズムに乗せられて、周囲の人達も踊り始める。
「ん」
「ん?」
横から差し伸べられた手に、私は首を傾げる。
「こういう余興は嫌いか」
ビョルンさんはこちらを見ないまま、気まずそうに言った。耳が落ち着かないように下がったり、上がったりしていて面白い。私は吹き出したいのを堪えたまま、その大きな手を取った。
「エスコートはお任せしますからね!」
「調子に乗って転ぶなよ」
「もう、意地悪なんだから」
呆れたように言って、ビョルンさんは少し口角を上げた。私たちは互いの手を取って、踊る人達の輪の中に飛び込んだ。
ポルタ・サレの夜は更けていく。穏やかな波音と弾んだ笑い声が周囲を満たす。爽やかな潮風に吹かれて、港に掲げられた旗が揺れた。




