176_わたしの生きる場所
「最高顧問のお話、本当にありがたいと思っております。でも、私はお受けすることはできません。私はこれからも行商人でありたいんです」
休憩が終わると一番に口を開き、深々と頭を下げた。ビョルンさんも不器用ながら、小さく頭を下げてくれる。心臓はバクバクと激しく脈打ち、どんな罵倒も受け入れる覚悟でいた。しかし、返ってきたのは意外にも穏やかな言葉だった。
「やはり、あなたを籠に閉じ込めるのは至難の業ですわね」
エリザベスさんは残念そうに、けれど私の意志を見抜いていたように優雅に微笑んだ。一方で、オブライエンさんはガシガシと頭を掻いて、あからさまに落胆した息を吐き出す。
「ま、そうなるか。あんたにはそっちの相棒がいるもんな」
オブライエンさんはビョルンさんを見ながら言った。言葉では納得しつつも、未練を滲ませた声だ。
「ただなぁ。あんたが頭に座ってくれなきゃ、また商人ギルドの狸どもと不毛な泥仕合をすることになるぞ」
オブライエンさんと商人ギルドマスターが睨み合う。バルデーニさんもオブライエンさんに同意するように頷いた
「利害関係のない、全種族から信頼される奴がいなきゃ、この話は進まねえぞ」
部屋の空気がどんよりと重くなる。ユフィリアさんは私の方を心配そうに見てくれたけれど、私は目を合わせることが出来なかった。私が一つ頷いてきたら解決するはずの問題だったから、あまりに居心地が悪い。
ビョルンさんが、私の背中にそっと手を添えてくれた。まるで私を元気づけるような優しい手のひらから、温かさが伝わってくる。そうだ、ビョルンさんの傍にいると決めたんだから、ここで揺らいではいけない。
とはいえ、この目下の問題をどうするべきか。誰もが次の言葉を失うなか、スッと一人が手を挙げた。
「あの……それなら、僕にその役目をやらせてもらえませんか」
声をあげたのは、隣に座っていたタクさんだった。
驚いて彼を見ると、タクさんは緊張でガタガタと震えながらも、まっすぐにオブライエンさんたちを見据えていた。
「ルナさんには、行かなきゃいけない場所があるんだよね」
「……はい」
タクさんは私を振り返り、すべてを察したような目で微笑んだ。背中を押してくれる優しい言葉。その言葉の裏側には、『自分はこの世界に残る』という強い意志を感じさせる。
「このポルタ・サレが、またバラバラになるのは絶対に嫌だ。もう二度と、こんな悲劇を繰り返しちゃいけない」
そして彼は拳を握って立ち上がり、一同を見回した。
「僕の浄化魔法があれば、セレスティウムの瘴気への牽制にもなるはずだし……何より、僕はこの街のみんなが大好きだから、出来ることはやりたいんだ」
「タクさん……」
「だから、僕に最高顧問をやらせてください! お願いします!」
タクさんは叫ぶように言い切り、頭を下げた。応接室は静寂に包まれる。それぞれが己の中で考えを巡らせていた。
「……っ、ははは! 言うじゃねえか、タク」
沈黙を破ったのは釣り人ギルドマスター、バルデーニさんだった。彼はタクさんの店の常連客でもあり、後ろ盾でもある。その言葉は錨よりも重い。
「お前がいなけりゃ今頃この街は瘴気まみれのドブ池になってたんだ。街を救った英雄がトップに立つってんなら、市民も漁師も文句は言わねえよ。なぁ、オブライエン?」
「……たしかに。あの商会長に騙されていた商人ギルドの連中よりは、自ら街を守ると立ち上がってくれたあんたの方が信用できる」
オブライエンさんも、満足げに深く頷いた。
「我がオーク族も異議はありません。タク殿のその熱い意志に報いるべく、我らも尽力いたしましょう」
ユフィリアさんが胸を張って賛同してくれた。彼らの賛同の言葉に、エリザベスさんも満足気に微笑んだ。
「では他種族連合の最高顧問は、タク殿に決定ということですわね」
「あ、ありがとうございます……! 」
タクさんは膝から崩れ落ちるように椅子に座り込み、ぐったりと体を預ける。先程の勇ましさはどこへやら、なんだか頼りない雰囲気で私を見上げた。
「決まったのはいいんだけど……どうしよう、緊張してきた。ルナさん、ちょっとでいいから手伝ってもらってもいいかな……?」
さっきまでの格好良さから一転して、情けない顔で涙目になって頭を下げるタクさんを見て、応接室にどっと温かい笑い声が響いた。
こうして、タクさんが自ら共同ギルドの最高顧問に就任する形で、ポルタ・サレはあらゆる種族が交わる奇跡の大交易都市としての第一歩を踏み出したのだった。
会議の後、私はタクさんの背中を追いかけた。タクさんは商人ギルドの中でも最上階、港を見下ろせるテラスのベンチで一人潮風に黒髪を揺らしている。
「タクさん、あの……」
「あぁ! ルナさん、お疲れ様。今日は疲れたよねぇ」
タクさんはパッと明るい笑顔を見せて、私にもベンチに座るように促してくれた。ありがたいことに、ハンカチまで添えてくれている。そんな紳士的な振る舞いに頭を下げつつ、私は本題を切り出した。
「本当に、ありがとうございました」
深々と頭を下げる私に、タクさんは驚いたように手を振った。
「ルナさんが気にすることじゃないよ! いきなりあんなこと言われてびっくりしただろうし。ルナさんにはやりたいことがあるんだから、その道を選んだ方がいい」
そしてタクさんは目を細めて、ふっとゆるい笑みを浮かべた。
「それにね、僕にとってもちょうど良かったんだ。店だけじゃなかなか、その、安心させてあげられなくて」
主語の無い言葉だったけれど、私には分かる。それがミャーコさんのことを指しているということを。
「これで僕がこの街にいる理由ができたんだ。感謝するのは僕のほうさ」
「それなら良かったです。これでミャーコさんも安心ですね」
「……うん。本当に、十年も待たせちゃった。情けない男だよなぁ、僕は」
頭をポリポリとかいて、タクさんは夕焼け色に染まったポルタ・サレの街並みを見つめた。その愛おしそうなその目は、故郷を見る者の目だ。タクさんにとって、このポルタ・サレは異世界の街じゃない。これから先生きていく故郷なんだ。
「僕はこの世界で生きていく」
その言葉は力強く、決意に満ちていた。
「だから、ルナさんにも生きていく場所を見つけてほしい。この世界でも、向こうの世界でもいいから」
「……はい。ありがとうございます、タクさん」
私はタクさんに頭を下げて、礼を言う。同じ世界の人間でも、生きていく場所は違うのだ。それが寂しくないわけじゃないけれど、タクさんの力強い姿に勇気を貰えた。
「これからどうするんだい?」
タクさんの質問に、私は思考を巡らせながら返事をする。
「セレスティウムに向かうつもりでしたけれど、このまま向かっても良いものかと思って……」
「そうだよね。セレスティウムは今、あまりオススメできない。こんなことがあった後だしなぁ」
タクさんは腕を組んで、うーんと首を捻った。そしてしばらく唸りながら考えたかと思うと、何かを閃いたかのように顔をあげる。
「クリスタニアに向かうのはどうかな?」
「クリスタニア?」
「これまで海が汚れたせいで、行くことができない離島だったんだけどね。今なら船も出せると思う」
タクさんは懐から取り出した手帳に、サラサラと地図を描いていった。
「クリスタニアはセレスティウムに近い貴族領なんだ。鉱業が盛んで、色んな魔法道具の産地でもある。交易都市でもあるから、この街よりも情報が集まるんじゃないかな」
「鉱業が盛んな交易都市、ですか」
「王都から来る商人も多いし、鉱石をセレスティウムに輸出している交易路もある。ポルタ・サレから入るよりもいいかもしれないね」
タクさんはそこまで言うと、私の顔を見つめた。そして、警戒するような低い声音で言い聞かせる。
「ただ、あの辺は最近物騒だと聞いてるんだ。現地では、冒険者ギルドで護衛を雇うことも考えてほしい。ビョルンさんは強い人だと思うけれど、パーティがいた方が安心だからね」
「パーティ、ですか」
冒険者ギルドの冒険者は、良いイメージと悪いイメージの二極化している。レイドさんやグリオンさんのような良い冒険者と、オークの集落に来た悪い冒険者だ。
「ビョルンさんと相談してごらんよ。ね、ビョルンさん」
タクさんの声に振り返ると、テラスの入口にビョルンさんが立っていた。不機嫌そうに口をへの字に曲げ、耳は下がっている。どうやら虫の居所が悪いようだ。
「腹が減った」
そうでしょうね、と私は苦笑した。そろそろ晩御飯の時間だから、痺れを切らして迎えに来たのだろう。
「今日は外食でもいいですか?」
「肉がいい」
ビョルンさんの不機嫌な声に、タクさんが思いついたように提案してくれる。
「あ、それならうちの店に来てください。美味しいアンバーボアの角煮をご馳走しますよ!」
「角煮!」
私は故郷の料理ワードに飛び跳ねた。異世界でも豚の角煮が食べられるなんて夢みたいだ。私は即座にビョルンさんの腕を掴んで、頷いた。
「お言葉に甘えましょう。ね、ね!」
「外食は資金の節約にならないと言ったはずだが?」
「今日はいいんです。今から自炊なんてムリ!」
私は駄々をこねるように言うと、ビョルンさんは呆れたように肩を竦めた。しかしビョルンさんの耳は少しずつ上がっている。それは機嫌の良い時のサインだ。
「今日だけだ」
「やった! タクさん、お願いします!」
「あははっ! じゃあ、腕によりをかけないとだね!」
私たちのやり取りを見ていたタクさんが、明るい調子で笑う。夜の帳がおりはじめたポルタ・サレの街に、橙色の灯火が光り始めていた。




