178_心の鍵をそっと開いて
釣り人たちの太く大きな歌声が響く。それに続くのは人魚たちの笑い声と、踊るリザードマンの力強い足音だ。私はビョルンさんの手を取って、リズムに身を任せる。
「いいぞ! もっと踊れ!」
バルデーニさんの大きな声が響いて、その場はよりいっそう盛り上がった。樽を太鼓のように叩く人まで出てきて、重低音が腹に響く。
「ふ、ふふっ! あははっ!」
周りに釣られるうちに楽しくなって、私は大きく笑い始めた。ビョルンさんは慣れないように足で床を叩き、時折私にターンを促す。
以前の舞踏会のような形式ばった型はないから、思いのままに体を動かすことができた。
「楽しいですね、ビョルンさん!」
「……ん」
私が笑いかけると、ビョルンさんはフンと鼻を鳴らして返事をする。それでも私の手は離そうとしないのがなんだかおもしろくて、私は悪戯心に握った手に力を込めた。
「ビョルンさんの手は大きいですねぇ」
「お前が小さいだけだ」
「平均的ですよ」
二人の手を合わせてみると、ビョルンさんの指は私のひと関節と少しあまりが出るくらいに大きい。やっぱり彼のルーツにも理由があるのだろうか。
「あのね、ビョルンさん」
「なんだ」
「私、ビョルンさんのこと、あんまり知らないなって思って」
私はビョルンさんの顔を覗き込むように、ぐっと顔を近づけた。彼の表情を見逃さないように。
「言えないことがたくさんあるのは、分かってます。でも、だからってなんにも知らないのは、さびしいです」
そう、私は寂しかったんだ。
今、隣にいるのは私なのに、ビョルンさんとの距離がとても遠く感じていた。この異世界にたった一人取り残されてしまった気がして、心細かった。
「楽しい話じゃない」
「いいですよ。あなたの話なら、それで」
「……そうか」
ビョルンさんは少し視線を背けて、また私の方に戻した。その目には戸惑いと、少しの怯えが見える。それでもビョルンさんは私に答えようと、震える声を振り絞ってくれた。
「何から聞きたい」
そう言われると、少し困る。けれど、話してくれることならなんでもいい。
周囲の笑い声が小さくなり、次のダンス曲は人魚たちのハミングによるバラードに変わった。周囲の恋人たちは尾を絡め、鼻先を擦り合わせて愛を伝えあっている。そんな中に混じるのは気恥ずかしくて、私はわざと明るく振る舞った。
「じゃあ、小さい時のこととか?」
ビョルンさんの顔が曇る。あぁ、しまったと内心で焦った。
「あっ、えっと、言いたくないなら無理はしなくても」
「いや、そうじゃない。ただ……」
「ただ?」
「二百年は前の話になる」
「二百年……」
そっか、と今更ながら思い出した。目の前にいるこの人は、長い時を生きるエルフだ。私たち人間と生きている時間が違う。
驚いている私に、ビョルンさんは少し口角をあげた。優しい笑みだった。
「生意気な小僧だった。両親を困らせてばかりで、手がかかるとよく叱られたものだ」
ビョルンさんはクックッと笑い、遠くを見つめながら言う。ゆったりとしたリズムに乗り、歌うように話を続けた。
「母の故郷は北のエルフの里、父は流れ者のウェアウルフだ。俺たち家族は、人里離れた場所で暮らしていた。金は無いが生活には困らない。静かで、平和な日々だった」
続きが聞きたい。先をせがむように、ビョルンさんの腕を軽く叩いた。
「ご両親はどんな人だったんですか?」
「父は陽気だった。母も好奇心旺盛で、子供のように笑っていた」
「楽しそうなお家ですね」
「あぁ」
優しい声音だった。彼にとって、それはとても大切な思い出だということがよく分かる。だからこそ、話してくれたことがとても嬉しい。
「家族の話は嫌いか」
「えぇっ!? そんなわけないですよ。ビョルンさんの小さい頃、どんなのだったかなぁって」
「だが、あまり楽しそうには見えない」
ビョルンさんはそういうと、私をそっと抱き寄せた。その温もりがあたたかくて、やさしくて。ピンと張り詰めていた糸が緩む。ビョルンさんに話してもらってばかりでは、フェアじゃない。私のことも、ビョルンさんに知って欲しい。
私は深く息を吸って、静かに覚悟を決めた。
「……あのね」
「あぁ」
「わたし、ね」
私はビョルンさんの胸元に顔を埋めて、くぐもった声を絞り出した。誰にも話したことのない、私の秘密。それは家族のことだった。
「両親は……いなかったんです。父は知らない。覚えているのは、祖母に私を預けて家を出ていく母の後ろ姿だけです」
耳元で、ビョルンさんが息を飲む音が聞こえた。しばらく私を抱きしめたまま、大きく息を吐き出しながら短く答えた。
「……そうか」
吐息混じりの、優しい声は私の話を静かに肯定してくれる。
「でも、おじいちゃんが優しくて、すごく可愛がってくれたんです。もうメロメロって感じで」
「メロメロ?」
「骨抜きってことです」
「恐ろしいな」
ビョルンさんは口角を上げて、喉の奥で笑った。
「だが、小さなお前は愛らしかったろうな」
「へ?」
思ってもみなかった言葉に、すっとんきょうな声が出る。ビョルンさんは私の頭に手を乗せて、優しく髪を撫でた。その拍子に結び目が解けてしまって、私の髪がぱさりと肩に落ちる。
「今は、俺がお前のそばにいる」
ビョルンさんの腕に力がこもって、強く抱きしめられる。まるで『ここにいる』と強調するように。
「だからもう、寂しいなんて言うな。いいな」
幼い子供に言い聞かせる優しい口調。普段なら子供扱いに拗ねてしまいそうだけど、今日はその優しさが嬉しくて、切なくて、目の前の大きな体に強く抱きついた。
「もう、大丈夫」
私はビョルンさんに、自分自身に言い聞かせるように呟く。それは紛うことなき本心。ビョルンさんが心を開いてくれた、その恩に報いたい。そしてもっと近づいて、隣にいたい。
胸が切なくて、苦しくて。それでも温かくて。
私は人魚たちのハミングを聴きながら、ビョルンさんの腕に身を任せるように目を閉じた。




