132_月明かりと麦畑
そうして日が沈み、月が高くなるまで飲み明かした頃。ようやくお開きとなって私はふわふわした頭のままビョルンさんの元に戻ってきた。ミニベロスは待ち疲れてしまったようで、鞄の中でくうくうと可愛い寝息を立てている。
私たちは酒場をあとにして、月明かりのもとに照らされた海岸沿いの道を歩いた。
「んー……」
「おい、まっすぐ歩け」
ふらつく足取りで大きな背中について行くけれど、普段よりもスピードが出ずにどんどんと離されてしまう。アルコールに弱い体質ではないけれど、浴びるほどエールを飲んだ今、眠くて仕方がない。
「あのね、ビョルンさん。最近、海が濁ってて撮れ高が低いんですって」
「そうか」
「そのせいで長時間の漁になるから、なかなか疲れが取れなくて困るんですって」
「……そうか」
バルデーニさん達から得た貴重な情報をビョルンさんにも共有したくて、眠気と戦いながら報告する。しかし眠気で重くなった頭では、思考の半分すらも上手く伝えられない。
「それから、朝は寒くて漁に出るのが辛いとか……それと、それから……」
とうとう立ち止まってしまって、大きな欠伸をひとつ。すると、前を歩いていたビョルンさんが足早に戻ってきた。
月明かりに照らされた小麦の髪が、潮風に揺れる。それがとても綺麗で、私は思わず手を伸ばした。パサついているけれど、出会った頃より少し毛艶がある気がする。
「この酔っ払いが」
呆れたような言葉が頭上から降ってくる。しかし私はろくな反論も思いつかなくて、その分厚い胸にもたれかかった。どくん、どくん……と、ゆったりとした心音が筋肉の向こうで脈打っているのがわかる。
「とても、有意義な時間でしたよ」
「あれだけ飲んで出費ゼロだったことに関しては、褒めてやる」
つま先が地面から離れる。ビョルンさんに抱え上げられたと気付いた時には、大きな背中に背負われていた。その背中はとても暖かくて、私は小麦の髪に顔を埋めた。心做しかふんわり香ばしい麦みたいな香りがする。
「私の飲みニケーションスキルを舐めてもらっちゃ困ります。これまで居酒屋でどれだけ肝臓を鍛えたことか」
「分かったから騒ぐな」
「えぇー? 聞いてくれないんですか、私の武勇伝。これでも、飲み会で上司にも褒められたのに」
「どうでもいい」
「けち。ケチケチ。けちエルフ!」
「やかましい」
私とのくだらない会話にも、律儀に返してくれるエルフが好きだ。もちろん同僚、ビジネスパートナーとして。
……本当に、それだけ?
酔いが回った頭は、普段なら絶対に考えつかないことを囁いてくる。そのせいだろうか。魔が差してしまって、私の軽くなってしまった口はらしくもないことを紡いでしまった。
「ねぇ、さっき。剣に指かけっぱなしだったでしょ?」
ひくり、とビョルンさんの肩がはねた。しかし歩みは止まらない。ゴツゴツと無骨なブーツの音が石畳を叩く。
「気のせいだ」
「心配してくれた?」
「気のせいだと言っている」
くふくふと笑って、私はビョルンさんの髪から顔をあげる。そして後ろから彼の首に腕を回して、柔く抱きついた。ビョルンさんが苦しくないように、でも少しだけまとわりつくように。
「わたしをまもろうとして、くれたんですねぇ」
自分で思ったよりも、甘えたような声が出た。アルコールで溶けたのは思考だけじゃなかったみたいだ。
私の言葉を聞いても、ビョルンさんはなにも答えない。ただ前を向いて、宿に向かう坂道を進んでいく。だけど、私は知ってる。こういう時はビョルンさんの耳を見るといいことを。
「っ、あはは! ビョルンさんの耳って、ぴょこぴょこしてて可愛いですね!」
「今すぐその口を閉じろ。落とすぞ」
ほの明るい月の光の下でもよく分かるくらいに、ビョルンさんの耳は赤く染まっていた。私はご機嫌に笑いながら、またビョルンさんの首に抱きついた。ビョルンさんは心底鬱陶しそうに、ぶっきらぼうに言い放ったけれど、その腕は抱え直すように力が込められていた。
「明日も、おねがいしますね」
私はビョルンさんの髪に顔を埋めながら、眠りに落ちる前にそう呟く。ちゃんと聞こえていたらいいな。
ビョルンさんの大きな背中の上で、私は小麦畑の夢を見た。




