「冒険の書三百二十五:イールギットは思い出した」
~~~イールギット視点~~~
フィオナの旅立ちの朝。
イールギットは『大外壁』の上からフィオナの乗る馬車を見下ろしていた。
馬車はフィオナとその仲間たちを乗せ、ゆるゆると進み始めている。
上空をペット(?)であるワイバーンが旋回している様はなかなかに異様な光景だが、帰還してからのフィオナの暴れぶりを考えると、まあこれぐらいのことは驚くに値しないのかもしれない。
「……ふん。ずいぶんと規格外の娘に育ったものだ」
沿道にはエルフの国民たちがどっと押し寄せ、花や食べ物を贈りながら盛んに別れの言葉を口にしている。
愛らしい容姿の他にも色々と面白いところのある娘だからもともと国民人気は高かったのだが、今回の帰還に際し『闇の軍団』をまさかの『拳で粉砕』したことも手伝って、その人気は今や天井知らずの勢いだ。
「しかしまあこれほどの人気があるなら、いっそ本当に女王にするのも手だったか……?」
イールギットは少しだけ悔やんだが……。
「ま、そんなことをしたらどうなるかは想像に難くないからやらないが……」
無理やり女王位につけようなどとしたら、フィオナは全力で抵抗するだろう。
エルフヘイムという檻を破って飛び出して、二度と戻らないことすらあるかもしれない。
――鳥は自然のままが一番美しいのよ。無理やり檻に押し込めてはダメ。頭の固いあなたにはわからないかもしれないけれど……。
イールギットは、亡き妻であるリリアナを思い出した。
月の精のように幽玄な美しさを湛えた、彼女のことを。
彼女と恋人になるために費やした数百年を。
ようやく勝ち得た恋人時代。
求婚するための贈り物として美しき霊鳥を捕らえた彼を、彼女は手のかかる子どもにそうするように、やんわりと叱ってきた。
かと思うと、触れれば折れそうな首を傾げて、そっと笑んだ。
――でもありがとう。わたしのために美しいものを捧げようとしてくれた、その真心に感謝するわ。
求婚は失敗したのだろうかと動揺する彼に、彼女は続けて。
――わたしたちの子どもは、自然に自由に、美しく生きて欲しいわね。
いたずらっぽく笑みながら、そよ風が耳もとをくすぐるように囁いた。
その瞬間の幸せは、言葉では言い表しきれない。
あれから数千年の時が流れた。
息子が産まれ、娘が産まれた。
息子に孫ができ、娘にも孫ができた。
エルフなので多産ではないが、彼女の血はきっちりと受け継がれている。
十六氏族の一家の長女であった彼女が望んだように、檻などに囚われることなく、自然に自由に、美しく。
「……おっと」
リリアナの面影とフィオナのくれた手紙の文面を同時に思い出したイールギットは、ジワリと胸を熱くさせた。
がしかし、そんな情けない姿を人目にさらすわけにもいかないので、去りゆく馬車に背を向けた。
「さあ~て、仕事仕事」
コッソリ目もとを拭うと、ごまかすようにつぶやいた。
「そうだそうだ。これからますます忙しくなるからな、休んでいる暇などないのだ」
それは事実だった。
『闇の軍団』の襲撃による被害の調査と復興作業。
傷ついたエルフの治療と、死亡したエルフの家族への見舞金の支払いと、死亡したエルフの弔いの儀への参加。
再襲撃への備えと国防計画の再考。
代替わりした世界樹による魔力供給の計測。
次代の国王の教育と、文武各官の引継ぎ。
すべきことが山積みなのだ。
「……や、本当に休む暇がないな。自分で選んだ道とはいえ、さすがにひどくはないか……?」
アレスたちと共に過ごしたあの旅から、五十年が経っている。
この世には未だに危険が溢れていて、魔族たちが虎視眈々と復讐の機会を窺っている。
なんなら魔王を復活させようとする動きすらあるそうだ。
対するイールギットはひとり、頼りになる仲間はもう誰もいない。
だが、絶望はしていなかった。
次世代は着実に育っている。
人魔決戦を経験した世代の撒いた種が、世界各地で芽吹いている。
たとえばフィオナのような、たとえばルルカのような若者が現れた。
王族の中にもリゼリーナのようなものがいるし、勇者学院などという組織も誕生している。
様々な危険と対峙する中で、彼女らは丈夫に育っていくだろう。
すくすくと健やかに伸び、やがては人類の希望の灯として世界を照らすだろう。
「……まあでも、『それが無駄に長生きな、アナタの役目でしょ』。君ならそう言ってからかうのかな、リリアナ」
エルフヘイムはもちろん、世界を救う若者たちの道しるべとなる。
いざという時には、身を挺してでも護って見せる。
それこそが自分の役割なのだと、イールギットは考えている。
かつてリリアナに約束したように。
長命種のエルフだからこそできる、それが人類に対する貢献の仕方なのだ。
もちろんそんなこと、他の誰にも言わないけれど。
「……それで、おまえは何をしているんだ?」
ふと横を見ると、大外壁に背をつけるようにしてメアリが座り込んでいる。
下からは見えない位置で、つまりはフィオナに見られないよう隠れているのだろうが……。
「見送りに行かなくていいのか?」
「い゛ま゛、ぞん゛な゛こ゛と゛を゛じた゛ら゛っ」
ついさっきまで泣いていたのだろう、ひどく鼻の詰まったような声だ。
「わ゛た゛し゛が泣゛い゛て゛い゛た゛の゛が゛バレ゛て゛し゛ま゛う゛じゃ゛な゛い゛です゛か゛っ」
真っ赤に泣き腫らした目で、メアリは言う。
「わたしはいつでも冷静でなきゃいけないのに……っ。頼りになるお姉さんでいないとダメなのに……っ。これじゃ、姫さまを幻滅させてしまうじゃないですか……っ」
「そ、そうか……そんな意図があったのか……」
イールギットは思わず気圧され、後ずさった。
(普段は優秀で冷静なメイドだが、フィオナのこととなるとどうにもおかしくなるな。男たちや女たちがフィオナにちょっかいをかけないような組織を取り仕切っているという噂も聞くし……。まあ、悪い娘ではないのだろうが……)
「だからわたしは……っ、落ち着くまでここにいないと……っ」
「わかるが、そうこうするうちに行ってしまうぞ? 次に会えるのは何年後になるかわからんのだぞ?」
「う゛う゛う゛う゛う゛う゛~……っ?」
せめてもう一度その姿を見ようと思ったのだろう、メアリは立ち上がり、大外壁の上から顔だけをちょっと覗かせた。
タイミングがよかったのだろう。
メアリを見つけたフィオナが、ぶんぶかと勢いよく手を振ってくる。
「ひ゛め゛ざま゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛~……っ」
ボタボタと大量に涙を流したメアリが、手もちぎれよと言わんばかりの勢いで手を振り返した。
「お゛達゛者゛でえ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛~……っ」
冷静なお姉さんとやらはどこへいったのか、わんわんと幼い子どものような泣き方だ。
「ふっ……」
笑ってはいかんと思いながらも、さすがに笑ってしまうイールギット。
「周囲の人間に恵まれるのもまた、あの娘の天命なのかもな。ふっ……ふっふっ……はっはっは……」
彼にとってはひさしぶりの、胸のすくような笑いだった。
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