「冒険の書三百二十二:本物の王女の絶対命令」
「今はそっとしておいてください……。でないと決壊……なにかが決壊してしまいそうなので……」
なにがどう決壊するのかはわからんが、とにかくそっとしておいて欲しいらしい。
というわけで、頭から湯気を出して崩れ落ちたメアリをその場に置いて、ワシらは部屋を後にした。
開いた窓から吹き込む夜風を浴びながら廊下を歩き、歩き……。
「どうだ、フィオナ? 少しは楽になったか?」
(うん……ありがとね。ガルム)
ぐず、と鼻をすするような音を立てながらフィオナ。
(おかげでメアリの感触、わかったよ。腰の細さとかお腹の薄さとか、あと心臓の鼓動のうるささとか。顔を真っ赤にしてたのはなんでなんだろうね? 興奮してたのかな……? だとしてもなんでなのかはわかんないけど……でもよかった。言いたいこと、言えた)
お、清々しい声が出せているな。
よかったよかった。
年頃のエルフの娘を抱きしめるなどというこっぱずかしい真似をした甲斐があったわい。
(なんだか里帰りしたな~って実感したよ。すぐ旅立つのがもったいなく感じるぐらい)
「ふん、なんならもう少しいてもいいんだぞ? 『外交官の護衛とその補助』という大目的自体は達成したわけだし、なんならエルフヘイムの政治的中枢とこれ以上ないほど親密な関係を築けたわけだし。それほど急がんでも……」
(いいよいいよ、そんな気を使わないで。それに、戻って来たくなったらいつでも戻って来れるじゃない。だってもう、素敵な道しるべがあるんだもん)
「ん、そうだな」
ワシはエウロラ・イールギット・メアリ共同制作の腕輪に触れた。
『導きの星』の術のおかげで、フィオナはもう道に迷わない。
戻りたい時にはいつでも戻ってこれるし、戻った先にはメアリたち大切な者が待っている。
中にはもう二度と会えない者もいるが……。
(あ……あとねガルム。あんたに『自分の正体明かしたほうがいい』とか言ったけど、あれやっぱりナシね)
「はあ?」
唐突な前言撤回に戸惑うワシに、フィオナは断固とした口調で言う。
(だって、考えてもみてよ。可愛い可愛い王女さまが実は死んじゃってて。脳筋ドワーフが成りすましてるだなんて知ったらみんながどう思うか……)
「……ワシを拘束するとか? そんでもって、磔にして処刑するとか?」
もちろんそんなことをさせる気はないが、王女の体を好きにされた報復というのならそれでも生温いぐらいだろう。
(違うでしょ、その前に衝撃で死んじゃうかもでしょ。恨みがどうとかそれ以前の問題で、ショックで心臓が止まっちゃうかもでしょ)
「ああ~……なるほどな。メアリやイールギットの執着ぶりを考えるとそうかもな。怒るよりも先に、悲しみと喪失感で潰れてしまうか……」
ちょうど先ほどのフィオナがそうだったように。
泣いて、叫んで、自らを傷つけて。
致命的な心の傷を負ってしまう可能性があると。
フィオナの死を告げるというのは、それほどに危険を伴う行為なのだ。
(でしょ? だからナシ。わたしたちの秘密は墓の下まで持っていく。い~い? これは命令よ? 本物のフィオナ・ウル・ノクス・エリオンドールからの絶対命令)
「へいへい、承知しましたぞいっと」
(あとさ、一応言っておくけど、秘密を明かしたほうがいいと思ったのはあんたのためだから。どこまでいってもフィオナのままじゃ、あんたが報われないと思ったからだから。でも聞いてみたら、あんたも秘密にしておきたいみたいだし……じゃあいいかなって)
なるほど、急におかしなことを言い出したなと思ったらそういう狙いがあったのか。
自分よりもワシの今後を考えてくれたのか。
「それはまあ……ありがとうな?」
やたらとわがままを言ったり変にツンケンしたりする時はあるが、基本的にはよい娘なのだ、こいつは。
「こちらも一応言っておくが、報われたいなどとは思っておらんよ。ワシはどこまでいってもドワーフの武人だ。武に生きて、武に死ねればそれでいい。ついでに皆が幸せに生きて、幸せに死ねればそれでいい」
窓の外に広がる夜空を見つめながら、ワシは思った。
満天の星々のようにワシの周りで笑い輝くルルカたちを、あいつらの表情を曇らせたくない。
期待を裏切って、悲しませて、泣かせて……そんな光景を見るぐらいならこのままでいい。
「……それにな、今のワシはディアナなのだ。フィオナではあるがディアナであり、ガルムではあるがディアナでもあるのだ。最初は面倒でしかたがなかった複雑な立場をな、今はそれなりに気に入っておるのだ」
(人の体でそこまでエンジョイされるのも複雑な気分だけど……ま、変に嫌がられるよりはいっか。じゃ、これからも『ディアナ』でいくの? 改名ナシ?)
「だな。公的には『フィオナ』を名乗ることもあるだろうが、基本的にはディアナでいくつもりだ」
(はいはい、じゃあこれからもよろしくね。ディアナ)
「おう、よろしくなフィオナ」
今後の身の振り方を話しつつ、ワシらは歩いた。
開いた窓から吹き込む風に髪をくすぐられながら、ギャアギャアと賑やかに。
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