「冒険の書三百二十一:抱擁」
「失礼いたします。――これが、お妃さまからの贈り物でございます」
メアリがワシの手を取り、腕輪を嵌めてくれた。
フィオナの白くて細い手首に、エウロラ・イールギット・メアリ、三人の共同製作の腕輪が嵌まった。
「……ほう?」
丁寧に磨かれているからだろう、肌触りはさらさらで。
熱伝導率の高い銀だからだろう、ひんやり冷たくて。
大ぶりの翡翠は艶やかで、内側から淡い緑色の輝きが滲み出てくるようだ。
「この紋様は……『幹と枝』か? どちらも世界樹のそれを表しているのだと考えると、翡翠部分が『翠星珠』にあたるのか? うむうむ、意匠も含めて良い出来だな」
ドワーフのワシから見ても、丁寧に作られたものだということは疑いようがない。
彫り込みの角度や深さひとつとっても、こだわりと慎重さが感じられる。
この腕輪の持ち主を喜ばせたい、護りたいという造り手の気持ちが伝わってくるようだ。
「こいつは逸品だぞ。よかっ……」
よかったな、フィオナ。
そう呼びかけようとした瞬間、熱い液体がワシの目から零れ落ちた。
――ポタリ、ポタリ、ポタリッ。
いったいなんだ、などと考えるまでもない。
涙だ。
涙がワシの目から零れ落ちているのだ。
「……はあ?」
もちろん、ワシ自身が泣いたわけではない。
フィオナやエウロラの境遇を理解し、同情はしているが、ドワーフの武人が泣くほどの悲しみではなかったはずだ。
だが現実に、ワシは泣いている。
胸の内からこみ上げるような感情のせいで、大粒の涙を流している。
「これは……そうか」
そういえば、同じような現象が以前にも起きた。
具体的にはピピが死にゆく母樹のために、核を成す『翠星珠』のためにその身を捧げた瞬間。
別れの言葉を残しつつ、白い霧へと変じた瞬間。
胸を突き上げるような強い衝動と共に、ワシは涙を流した。
理由は単純だ。
極限まで昂ったフィオナの感情が、ワシの制御を超えたのだ。
(う゛わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛~ん゛っ!)
「フィオナ……」
(う゛わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛~ん゛っ!)
胸をかきむしりたくなるような、フィオナの泣き声が脳内に響き渡る。
(ごめんね、ごめんねお母さまああぁ~……っ)
「……そうか、なるほどな」
ピピのためという理由はあったにせよ、傍から聞けば自分勝手な理由で家を出て、事故で死んだ。
子が親より先に死ぬ不幸はないというが、末永く健康に生きて欲しいという皆の想いを踏みにじった形になったことが、フィオナの魂を強く強く締めつけているのだろう。
(ごめんねっ。メアリも、おじーちゃんもっ)
自分の幸せを願ってくれた皆に、フィオナは心の底から謝り続けている。
(ホントはね? 自分で受け取りたかったんだ。でも、ダメになっちゃったから……っ。わたしはもう、わたしじゃないから……っ)
聞いている方が狂いそうになるほどの声で、切々と。
「……ああ、くそっ」
ワシは呻いた。
こんなにも近くにいるのに、抱きしめてやることができない。
優しく声をかけ、頭を撫でてやることができない。
それだけのことが、しかしどこまでも口惜しい。
自分の無力さに、腹が立つ。
「いや待てよ……? ワシにはできなくとも……? そうだ、この場にいるのはワシひとりではないではないか」
顔を上げると、メアリの姿が目に入った。
「ああ……フィオナさまがあんなにも苦しんでらっしゃる……っ。ボロボロと涙を流して……っ。こ、ここはやはり、ほほほ抱擁のひとつでもして差し上げるべきでは……? いやでも、いかにお慰めするためとはいえたかがメイドが、しゅしゅしゅ主人に触れるどころか、ほほほ抱擁などと恐れ多い……っ?」
号泣しているとはいえ勝手にご主人さまに触れていいのか、それはさすがに不敬ではないのかと苦悩しているのだろう。
体をもじもじソワソワさせている。
「メアリよ」
「は、はい?」
「ワシをギュッと抱きしめろ」
「え? は? え? いま……なんとっ?」
答えが返ってくるのを待たずに、ワシは数歩前進した。
隙だらけのメアリの腰に、正面から抱き着いた。
「な、な……っ?」
「このまま、ぎゅっとだ。その腕で、ぎゅっと。絶対に逃がすなよ」
力を込めれば折れてしまいそうな細い腰を抱きしめると、メアリがおかしな声を上げた。
「ななななななあぁぁ~……っ?」
顔を真っ赤にし、声を震わせて動揺しまくっていたメアリも、やがて覚悟を決めたのだろう。
「そ、そそそそそれでは失礼いたしまして……っ? そっと……ぎゅぎゅぎゅぎゅうっと……っ?」
震える手をワシの頭に回すと、ぎゅっと引き寄せるようにしてきた。
「そうだ、それでいい」
感触を強くしてフィオナにも伝わるようにしてやろうと、ワシはより一層密着した。
メアリの薄い腹に、ぐいぐいと顔を押しつけた。
「はわわわわわあぁ~っ? これはさすがに不敬を通り越して死刑ではあぁぁ~っ? 仮にそこまでいかなかったとしても、なんらかの法に触れる行為ではあぁぁぁ~っ?」
誰かに見られるのを恐れているのだろう、メアリはわけのわからぬことをつぶやきながらキョロキョロと左右を見回している。
(ありがとねメアリっ。いつもわたしによくしてくれて、ありがとねぇ~っ)
抱きしめられたことで、少しは心の痛みが和らいだのだろうか?
フィオナは謝罪をやめ、代わりに感謝の念を伝え始めた。
(勉強もお小言も厳しいから嫌になって逃げたり隠れたりすることが多かったけど、ホントはすごく感謝してたんだよっ。メアリが部屋で待っててくれるって安心感があるから、わたしはどこまでも遠くへ行けたんだよっ。ありがと、大好きだよおぉぉぉぉ~っ)
「あああああこの時間が永遠に続いて欲しい気もするし、それだと本当におかしくなってしまう気もするしいぃぃぃぃぃぃ~っ?」
……まあ、うん。
どう聞いても話は噛み合っていなかったが、互いの心自体は救われたのではないだろうか。
メアリからはご主人さまへの愛情を、フィオナからはお付きのメイドへの感謝の念を。
間接的ではあるが、伝えることができたのだから。
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