「冒険の書三百二十:贈り物」
「この後、お時間をいただけますでしょうか?」
真剣な顔をしたメアリに導かれるまま、『翠星宮』の奥の人気のない方向へ連れていかれるワシ。
あれ? これ本気で聞かれてたか?
ワシの脳内でしか聞こえないと思っていたフィオナのつぶやきが実はダダ漏れで、このまま誰もいないところまで連れていかれて正座三時間の刑?
「いやいや、さすがにそんなことあるわけが……」
勝手に想像を膨らませてビビるワシだが、そんなことは全然なかった。
「ここです」
メアリが立ち止まったのは、なんてことない部屋の前だ。
「ふう~ん……ここは、いったい?」
扉は普通の扉で、華美な装飾は一切ない。
室内は無人で、内装はこざっぱりしたもの。
ランプはひとつで、家具も雑貨も必要最小限で……いや、最小限すぎんか?
エルフヘイムの中枢たる翠星宮において、わざわざ個室を与えられているということはそれなりの地位の人間であるはずだが……?
「のうフィオナ。なぜこの部屋はここまで簡素なのだ? まるで一般人の部屋のようではないか?」
メアリに聞かれぬようひそひそ小声で聞くワシに、フィオナはボソリと小声で答えた。
(……ここはね、お母さまの部屋なの。質素倹約が大好きな人だったから、簡素なのはそのせいね)
なぜだろう、自分の母のことなのにためらうような口調で。
「おまえの? お袋さんの?」
(うん。エウロラ、それがお母さまの名前。お母さまは踊り子でね、スラっと細くて、体が柔らかくて、高く高く跳べて……)
元踊り子で、ヘリオン国王に見初められて妃となったエウロラはしかし、重い病にかかって死んだ。
女道楽に明け暮れるあまり病床の母を一度として見舞わなかった父のことを、フィオナはおそらく死ぬまで許さないだろう。
そこまでが、ワシの知っているエウロラの素性だ。
(優しかったんだぁ~……。美人だけど、すました顔なんか絶対しないの。変顔するのが得意で、いっつもみんなを笑わせてくれたの)
懐かしそうな口調で、フィオナは母との思い出を語り始める。
(自分が貧しい家庭の出身だからだと思うんだけど、どんな人にも平等に、家族みたいに接してたんだ。病気のせいでベッドから起き上がれなくなっても、それは変わらなかったんだ。世話してくれる人たちはもちろん、小さなわたしにもずっと笑顔を向けてくれたんだ。毎日痛み止めを飲んで、苦しかったはずなのに……いっつもニコニコでさ……。今思うとさ、あれってたぶん、わたしたちが必要以上に心配しないようにしてくれてたんだろうけど……)
フィオナが転んで泣いていたら、真っ先に駆けつけて治癒の軟膏を塗ってくれた――塗りたくりすぎて、皮膚がかぶれてえらい目に遭ったそうだ。
フィオナが勉強に悩んでいたら、一緒に勉強してくれた――自分も勉強が苦手だったので、逆にフィオナに教わるハメになったそうだ。
フィオナが外の世界への憧れを抱いていたら、一緒に人族の市場へ遊びに行ってくれた――極度の方向音痴を発症して、ふたり揃って迷子になったそうだ。
聞けば聞くほどに笑えるような、それが返って切なさを呼び起こすような思い出ばかりだ。
「――フィオナさま」
フィオナの思い出話に聞き入るワシに、メアリが声をかけてきた。
「本日ここへご案内したのは、他でもありません。お妃さまのご遺志によるものです」
「お袋の……ご遺志だと?」
「こちらでございます」
メアリはコクリとうなずいたかと思うと、数少ない家具である机の引き出しから小箱を取り出した。
布製の小箱の中に入っていたのは、翡翠を嵌めこんだ銀の腕輪だった。
「生前、お妃さまはよく仰っていました。いつかあの子にこれを贈りたいと。決して高価なものではないけれど、道に迷わぬよう大祖父さまから特別な術をかけてもらったからと」
エウロラが採取した翡翠にイールギットが『導きの星』の術――設定した出発地点を常に指し示す羅針盤のような術――をかけてくれたのだそうだ。
「本当はご存命のうちにお贈りするつもりだったのですが、お妃さま自身が銀細工を施したいと仰り……しかしお病気のせいで間に合わず……。事後を託されたわたくしが代わりに作業を進めていたのですが、なにぶん不慣れなもので……結果たいへんなお時間をおかけしてしまって、誠に申し訳ございませんでした」
メアリは申し訳なさそうに頭を下げると……。
「失礼いたします。――これが、お妃さまからの贈り物でございます」
ワシの手を取り、腕輪を嵌めてくれた。
次の瞬間――ドクンとワシの、心臓が脈打った。
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