「冒険の書三百十三:ディアナの像」
ワシらが最後にたどり着いたのは『鳥かご』からほど近いところにある、森の中の小さな草地だった。
人族の家が二・三軒建つか建たぬかといった程度のごくごく狭いスペースに、滾々と湧き出る地下水を蓄えた泉があった。
泉の水はよく澄み、樹幹をすり抜けてきた陽光をキラキラと反射していた。
メアリの説明によると……。
「泉の名は『生命の泉』。ひと口飲めば一年寿命が延びるという伝説があります」
「一年? そんなものか? もともと寿命の長いエルフにとっては、それほど価値のあるものでもあるまいが……」
「まあ、そういう見方もありますね」
ワシのツッコミに、メアリはあっさりとうなずいた。
「しかし、人族の方々にとってはそうでもないようで……」
メアリの目線の先では、さっそくとばかりにルルカが泉の水を飲んでいる。
両手ですくってひと口、さらにもうひと口……。
「今ので二年……。ディアナちゃんが少なくともあと五千年は生きるとして、最後までついていくには四千九百九十八口飲めばいい……? さ、さすがにお腹がたぽたぽになっちゃうなあ~……」
「水とて完全に無毒ではない。飲みすぎれば死に至るのだ。その辺にしておけ」
「あ痛あ~っ?」
バカなことをするルルカの額を手刀で叩いて止めると、同じく水を大量に飲もうとしているマリアベルたちを目で制した。
「おまえたちもだ。たかだか水を飲むぐらいで寿命が延びてたまるか。縁起かつぎだお祈りだというならわからんでもないが、せめてひと口ふた口ぐらいにしておけ」
水は決して無毒ではないという言葉が効いたのか、あるいはワシの手刀が怖かったのかはわからない。
わからないが、皆は水をすくおうとする手を引っ込めた。
「……ふん、それで? これがその……ディアナの像とやらか?」
泉のほとりに、一体の石像が立っていた。
ところどころが苔むした、白灰色の石像だ。
モチーフは細身のエルフ娘。
笹穂のように尖った耳の下から腰まで、長髪が垂れている。
革鎧と外套を着込み、腰には細剣を差し、背には弓と矢筒を背負っている。
「ほう、これはなかなか……」
近づいて見ると、石像の作り込みのすごさがわかった。
革鎧には無数の傷があり、外套の裾がほつれている。
戦いの中でついたものなのだろう、頬や剣の柄には紛れもない刀傷がある。
本物のエルフを連れてきてそのまま石化させたのではないかというぐらい、真に迫った迫力がある。
「戦士のたたずまいがあるな。エルフの娘にしては使えそうだ」
台座に銘板があり、そこにはこう刻まれていた。
『ディアナ・ステラ。星穹暦二千十五年没・享年千三百歳。彼女は我らの星だった』
「星穹暦……」
(今使われている星環歴の、三つ前の暦よ。星穹暦千十五年は、単純計算で一億年前かな)
「いち……おく……ねん……?」
フィオナのひと言に、ワシは一瞬固まった。
あまりにも桁が違いすぎて、言葉が出ない。
(当時は人魔決戦の時代以上に世界が荒れてたんだって。地獄の釜の蓋が開いたみたいに魔族が地上に溢れて来て、なのに世界中の大国が団結できなくて、孤立したまま戦いを強いられて、毎日バンバン人が死んでいったんだって)
「……」
(そんな中で活躍したのがディアナなの。貧しい猟師の娘だった彼女は、だけど強い目的意識を持っていたの。エルフヘイムを救うため、全人類を団結させるための旅に出たの。山を渡り海を渡り、海神の本拠地である海底城や、星渡りの住む空中城塞まで行った。その圧倒的なカリスマでもって、人と人とを繋いでいった。剣や弓も上手くてね、戦闘でもすごく活躍したんだって)
大好きな英雄を自慢する子どものようだったフィオナの口調が、急に弱った。
寂しげな、切なげな口調に変わった。
(……でもね、そんな彼女も、無敵ではなかったんだ。魔族の本拠地で敵の幹部の暗黒郷を仕留めたんだけど、自分も回復不能な傷を負ったんだ。そして……最期は故郷のエルフヘイムへ戻ってきてさ。ちょうどここで、息絶えたんだって)
「ここで……」
だからこの石像は、ディアナは傷だらけなのか。
ひざまずいて両手を組んでいるのは、世界の平和を祈るためだったのか。
「戦争はどうなったのだ? こいつのおかげで世界は団結し……もちろん今こうしてワシらが生きている以上、魔族どもは倒せたのだろうが……」
(彼女の遺志を継いだ人たちが団結してね、見事に魔族を打倒。世界は救われたの。その偉業と生前の彼女への友情の証として建てられたのがこの石像。ちなみに普通の石みたいに見えるけど、『星神ルシエラ』さまの加護の与えられた、すごい石なんだって)
「なるほど、だから一億年たってもまったく風化する気配すらないのか……」
ルシエラは、ルルカの信奉するセレアスティールのさらに上位に位置する女神だ。
この星そのものを生み出した、母のような存在だと言われている。
(ディアナはわたしたちエルフの英雄なんだ。空に輝く星のように導き、見守ってくれる女神さまみたいな存在なんだ)
「だからおまえはディアナ・ステラを名乗っていたのか? 自分がディアナのようになるのだという意気込みを込めて?」
(さ、さすがに大きく出すぎたなとは思ってるよっ。だからこの話はこれでおしまいっ。ディアナの由来がわかったからそれでいいでしょっ?)
英雄の名を名乗った過去の自分が気恥ずかしくなったのだろう、フィオナは早口になってごまかそうとして……ごまかそうとして……急に、思い出したように言った。
(あっと……そうだ、まだ言いたいことあったんだっ)
「なんだ、照れ隠しならもういいぞ?」
(そうじゃないよっ、そうじゃなくっ)
次にフィオナの口から出た言葉に、ワシはドキリとさせられた。
(ねえガルム、あんたこのまま、みんなに黙って生きていくつもりなの? 誰にもホントのことを言わずに、この先ずっと?)
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